哀悼を告げます。
輪島さんに最後にお会いしたのは、未だに私の尊敬する、亡き北の湖前理事長との対談をされていたときで、その際傍でご挨拶ができました。
その時は、声帯の手術と治療をされていると聞きましたが、かすれながらに「こうじ、こうじ、」と、元気にお声がけ頂いたことが思い出されます。それが輪島さんと最後にお会いした時でした。その時期の私は、北の湖理事長の下で職務を学んでいた頃でした。輪島さんに久しぶりにお会いできて大変嬉しく、同時に北の湖理事長の輪島さんに対する労わりの精神を垣間見させていただきました。
北の湖理事長も横綱を張った輪島さんとあって緊張された様子でした。その御心を察して、手を引くように国技館をご案内され、労わるように輪島さんの前を歩いておられたそのお姿。神が降臨したかのような北の湖理事長の優しさ、美しさ。そして、近年の実績でも追従をゆるさない横綱北の湖関に、私は魅了されてしまいました。輪島さんの緊張を察してそれをほぐすかのように、川の流れのように、自然体で深くて美しくゆったりとした風格。それこそが私には印象的でした。
輪島さんとその前にご同席できたのは、石川県にあります、かの有名な和倉温泉の加賀屋様でのひと時でした。一晩、加賀屋様にお泊めいただいた私は、「この世に竜宮城のような、こんな絢爛豪華なお宿があるのか」と思った次第です。それに加えて、従業員さんたちの礼儀正しさと、気品溢れる大女将様の仕草と語らいは、日本国を代表するこの世の居留地であり、人生のあらゆる場面で生じた喜怒哀楽を青く澄んだ海に浮かべることができるようなお宿で、展望台の中に佇んで旅情を包んでくれる御心与えしおもてなしでした。
輪島さんの気さくで誰も真似のできない会話のユニークさ、そして、演出できない輪島さん節を聞きながら、天空のお宿、加賀屋様で過ごした思い出は私の人生の財産です。
輪島さんは定年以前に角界を去りましたが、後援会長や支援者に長年にわたり愛され、大切にされた方です。個人名は出せませんが、輪島さんを永年ご支援された方々は存じております。私の父、先代貴ノ花の師匠からも輪島さんが人々に愛され大切にされてきたお話はたくさん聞いておりました。
私が幼い頃ですが、輪島さんは先代貴ノ花の自宅へ遊びに来られていました。夜に突然来られてあっという間に残り香を遺して帰られるような輪島さんは、私の子供の頃の記憶を辿ると、宇宙人みたいな、それこそ天孫降臨されたような方でした。
大相撲の時代を作った輪島さんの黄金の左下手は天才です。
ふと私の父の遺した言葉が蘇りますが、
"輪島は黄金の左下手といわれるがそれは違う、左を差した時の右からのおっつけが強かった。"
黄金の左下手には、そんな秘訣もありました。
これも私の父が遺した言葉です。
"北の湖は天才。北の湖は若い頃から孤独でそれに打ち勝って横綱になった。北の湖は強かった。"
もう一つ父の言葉が蘇ってきます。
"俺は、玉の海関に強くしてもらった。玉の海関がいなかったら今の自分は存在しない。"
輪島、貴ノ花が若手の筆頭株で、二人で幕内上位に昇り龍のごとくに活躍していた前から、バリバリの若手を相手にして息も上がらずに、一番も負けずに何十番と稽古をつけられた方が、横綱玉の海関でした。玉の海関は、解説でも著名な北の富士親方の盟友でもあった方です。
私も本場所中は花田家の仏前に祈りを捧げて通っておりましたが、玉の海関の戒名もうちの仏前には書き込んでありました。毎回、私は御先祖様と玉の海関に蝋燭とお線香をたいて祈りを告げておりました。
輪島さんの思い出を辿ると、先代貴ノ花の師匠が遺して下さったお話も尽きないほどに思い出されますが、どれもが懐かしいことばかりです。輪島さんのあの愉快な楽しい話がまた聞きたいです。グァム旅行にご一緒したこともありました。大きな大きな背中の輪島のおじちゃんとの大切な思い出を、いつまでも心にしまっておきたいと思います。
貴乃花
輪島さんのご冥福をお祈り申し上げます
貴乃花さんも身体に気を付けしばらくはゆっくりとしてください
今まで大変な思いをされて来られたでしょうから。
そうですね、本当にそうですね。今まで大変な思いをされて来られたでしょうから。テレビで、田川市での元気な様子を見られて嬉しく思っております^ ^
花田光司となったときき悲しくなりましたが、
田川での晴れ晴れとしたお顔にほっとしました。
親方の信じる道を歩まれんことを願っております。
なぜならそれが正しい道だから。
輪島さんのご冥福をお祈りいたします。
貴乃花親方にとって、お父様と同世代で幼い頃からの記憶が
たくさんおありで寂しさもひとしおではないでしょうか?
貴乃花親方が先代貴ノ花さん、北の湖さん、輪島さんについて
語られることは、貴乃花親方からしかうかがえない貴重な内容で
もっと、聴かせていただきたいような気持ちになります。
いつかそのような書籍を出版していただきたいと思ってしまいました。
私のような一相撲ファンは、このブログで語られるような、親方の生の
お言葉がとても嬉しいです。
ちなみに、母が輪島対北の湖戦を興奮して観ていた記憶があります。
祖父の家の柱には、吉葉山が蹲踞する古い古いブロマイドが貼って
ありました。大相撲はどの世代でも多くの人々を魅了してきたのだなと
思います。
偉大な方々が亡くなられても、語り継ぐことがご供養になると信じて
おります。
輪島さんのご冥福をお祈りします。
貴乃花さんの文面のから親しみと尊敬をされていたのだと、こころあたたまりました。昔の横綱は品格・人柄・力量すべてにおいて素晴らしかったのですね。貴乃花さんの大切な思い出を私たちにも分けてくださってありがとうございます。
人は思い出だされて語り継がれる限り死なないのだそうです。歴代の名力士と言われた方々はきっとこれからも私たちの思い出の中で生き続けていきます。貴重なお話ありがとうございました。
貴乃花様の哀悼文から
輪島様、北の湖様、玉の海様、お父様の貴重なエピソードを知ることが出来、
ありがたく思いました。
相撲が何より好きな祖母に印刷して今日持ってまいります。
30年近く前、祖母の誕生日に貴花田様の取組の升席観戦をプレゼントし、
こちらがビックリするほど喜んではしゃいでいたのを思い出しました。
哀悼の御文に感想も不謹慎とは存じますが、
貴乃花様の感性豊かな哀悼文にすっかり目が覚めてしまいました。
貴乃花様の素晴らしい感性と深い優しさを知ることが出来ましたのも
先輩方からのご縁であると、感謝と哀悼の意を捧げます。
輪島さんのご冥福をお祈りいたします。
私は貴乃花親方より年下の為輪島さんの相撲は残念ながら知りません。でも親方が尊敬してらっしゃる方なのでさぞかし立派な方、大好きな方なのでだったんだなと文面から感じる事ができます。親しい方が亡くなられるのは本当につらい事だと思います。でもこれからは先代貴ノ花さま、北の湖理事長、と一緒に輪島さまも見守って下さいます。
気温の変化が激しいので親方もお身体をご自愛下さいませ。