僕と後輩 18.だって、穴は二つ開いている

「失くしてたピアスがどこにあるか分かったんです」
 今日の彼女は少し機嫌が悪いようだった。理由を訊ねるべきか考えていたところ、彼女の方から先にぽつりと話してくれた。
「『見付けた』、っていうわけではないんだね」
「そうです。それが私の機嫌が悪い理由です」
「先に謝っておきます、ごめんなさい」と彼女は言った。僕は彼女のそういう部分を好ましく思っていた。どこか自分を俯瞰的に見ていて、機嫌が悪い時もそれを口にできる。器用なのか不器用なのか分からなくて面白い。
 僕は少しだけ迷って、「で、どこにあるの」と何でもないように訊ねてみた。その問いに、彼女は少し言いづらそうに「元カレの家です」と呟く。
「ピアスを失くすのって何とも言えないような気持ちにさせられて落ち込むんですけど、こればっかりは普通に腹が立ちます」
「取りに行けるような関係ではないんだ」
「ええ。『これが最後だから』って別れたので」
「私が何か悪い事しましたかね」。彼女は溜め息交じりに言った。そんな彼女を、僕は少し意外に感じた。彼女がそんな風に、感情気ままに言葉を口にするような人に思えなかったから。それに伴うような行動を簡単に取るような人間には見えなかったから。
「……まあ、嘘の愛下手くそに囁いたりしたんですけど」
 ましてや、彼女がそんな事をする人間だったなんて、知っているはずもなかったのだ。
「自業自得ですかね」と自嘲するように笑う。僕は何と言っていいか分からず、ただ「知らないよ」と少しぶっきらぼうに言った。機嫌が悪いと豪語する彼女なんかより、よっぽど強い語気で。
 久しく感じた事のなかった、どこか居心地の悪い沈黙が流れる。僕から何か言うのも違う気がして、僕は彼女の言葉を待ってしまっていた。
「……やっぱり、自分の機嫌は自分で取らないとですね」
 気持ちを切り替えたように、明るくそう言ってくれると信じていたから。不機嫌になったようにも聞こえる僕の言葉に、彼女が嬉しさを感じて優しさを見せてくれると分かっていたから。彼女の言葉を、利用できると知っていたから。
 彼女が鞄から取り出したのは、両端に小さな球体が付いている三センチほどの棒。それと、短い針のようなものだった。僕が眉をひそめていたのに気付き、彼女が「インダストリアルってやつです」と教えてくれる。
「自分でやるの怖いので、先輩開けてくれませんか」
 そう言って彼女は長い髪を左耳にかけた。左の耳たぶには、嘘と罪を象徴するように小さなピアスが付けられている。
「……どうなっても知らないよ」
「先輩にならどうされてもいいですから。上書きして欲しいだけです」
 いつもなら当然のように断っていただろうと思う。なのに彼女からニードルを受け取ってしまったのはどうしてだろう。「罪悪感」なんて、馬鹿みたいな二文字が頭に浮かぶ。
 あるいは、彼女は全て知っていたのかもしれない。今なら、優しさに甘えた僕が彼女の願いを拒否できないと分かっていたのかもしれない。
 インダストリアルは耳の軟骨から軟骨にかけてを通る長いピアス。つまり、穴を二つ開ける事になる。彼女は手鏡を見ながら穴の位置に印を付けると、満足そうに「よし」と頷いた。そして、鏡越しに僕と目を合わせる。僕もそれに小さく頷いた。
 世界の真理に触れるように、何よりも丁重にそっと優しく、彼女の耳に触れる。彼女は目と口を強く閉じて、穴の開くその瞬間をひっそりと恐れていた。
「下手に躊躇しないで、思い切ってくれた方が痛くないので」
 その言葉が僕の決心を固めてくれた。彼女の長いまつ毛の瞼が震えている。優しくしない事が一番の優しさと、教えてくれたのだ。
 針が彼女の耳を通るのは、呆気ないくらいに一瞬だった。気付けば彼女の耳には二つの穴が開いていて、彼女はそれをピアスに付け替えているところだった。
「痛かった?」
「いえ、思ったよりは」
 何でもないような顔で、手鏡を確認しながら言う。本当に、嘘が下手くそなんだなと思った。瞳が潤んでいる事くらい僕にだって分かるというのに。
 彼女がまた「よし」と、さっきより満足そうに言ったところで帰宅時間を告げる鐘の音が響いた。手鏡をしまい、鞄に手をかけたところで「先輩」と僕を見る。
「これから暇ですか? どこか行きません?」
「……なんで?」
 これは断ってもいいと分かっていた。罪があるとするなら、贖罪は済んだはずだと思いたかった。でも彼女は「決まってるじゃないですか」と嬉しそうに笑う。
「新しいピアスを開けるのって、何とも言えない気持ちになって嬉しいんですよ。どこかに出かけたくなるんです。それに、可愛い私をもっと見て欲しいので」
 そう言ってじっと僕の眼を見つめる。その瞳はまるで自白剤のようで、世界の中心のようで、何かを強要されているようで。それに抗う術を僕は知らなかった。
「……そうだね。可愛いと思うよ」
 彼女は一瞬驚いたような顔を見せ、でもすぐ嬉しそうに顔を綻ばせる。どうだろうか。僕の嘘は上手かっただろうか。それとも、同じように全て見透かされているだろうか。
 どちらにせよ、それを彼女に断罪される謂われなんて無いのだ。だって、僕も彼女も、同じ罪なのだから。