「分からないんです。どうすべるきなのか」 とある夏の午後、唐突に彼女が言った。 僕らはその時、いつものように部室にいた。開いた窓からは優しい夏風がそよいでいて、それに運ばれた緑の香りが部屋に充満し...
春先と言えどまだ冬の名残ある寒さなわけで、今年はそれが特に顕著だった。 桜の残花が宙を舞う四月。僕の前に姿を現した彼女は、既に夏服に身を包んでいて、厚い学ランを着ていた僕はすぐにこう思った。「ま...
「それ」は突然に現れた。 いつものように部室の扉を開けると、部屋の中央に居座っていた。 真っ黒で、モヤモヤしていて、輪郭が不鮮明で。「ばけもの」という言い方が正しいかもしれない。 「それ」は姿以...
「○○言葉ってあるじゃないですか。あれ好きなんですよね」 いつも通り、僕が本を読んでいると彼女が言った。彼女は何かのカードをシャッフルしていた。トランプには見えないし、カードゲームか何かだろうか。カ...
ある時はトラック運転手と子供。 ある時は別の国同士の兵士。 ある時は明智光秀と織田信長。 ある時は領主と農民。僕はいつの時代でも、そんな風に殺され続けてきた。つまり、前世の記憶を思い出してしまっ...
この学校の人間全員が僕の事を好きになってしまったら困るなと、右手の平に人の体温を感じながら本気で思った。「終わりました」と言って、名も知らない女子生徒の額から手を離す。その人は僕の顔を甘美な目つ...
その日は夏を予感させるような、あるいは梅雨なんて世界でまことしやかに囁かれてきた御伽噺なのではと思わせるような五月晴れだった。本を読んでいた僕は廊下から聞こえてくる雑音に散々苛々させられていて、...
名をジャバウォックと言う。けれど、その怪物に名は無い。「『昂揚した議論の賜物』。それが怪物の名です」 部室に彼女の声が反響した。どんな声かと訊ねられれば、少し迷いながらも僕は敢えてこう答えるだろ...
冬の空気は張りつめたように冷たく、乾燥している。 本を捲る自分の手元に目をやると、右の親指、人差し指の薄皮がめくれ上がっているのに気が付いた。いわゆるささくれというやつだ。一度目に入ったからには...
僕の唯一の後輩である彼女は、いわゆる優等生だと思う。 成績優秀で、性格も外見も穴が無い。取り立てて凄いと思うのは、校則を一切合切全て守り切っている部分だ。制服を着崩さず、スカートの丈を数センチ単...
僕の唯一の後輩である彼女は、お世辞にもあまりいい生徒とは言えなかった。 勉強ができないわけではないのだが、授業はしょっちゅうサボるし課題も提出しない。素行が悪いわけではないのに、身だしなみが整っ...
廊下を歩いていると突然、ピアノの音が聞こえた。 それは最初、一つの小さな音だった。でも、そこから組み立てられていく旋律が僕でも聞いた事のある曲だとすぐに気付いた。音の発生源は音楽室らしい。 僕は...
数年前に眼が見えなくなったという彼女は、最近刺身にハマっているらしい。わざわざ学校に持ち込んで食べている。おかげで部室には濃い醤油とツンとしたワサビの香りがほんのり漂っていた。「箸の使い方とかは...
部室の窓にベタベタと、赤い手形が強く貼り付けられる。彼女の顔を見るとどうもうなされているようだったから、あわてて肩を揺らして起こした。「……おはよう」 目覚めた彼女が額を抑える。窓の外の手形はいつ...
人がいつ死ぬかなんて、そりゃあ分からないけれど。でも、だからと言って僕が話をしている目の前でイヤホンを付けられたら人並みに腹も立つ。「だって、死ぬ直前に聴く音くらいは好きな曲がいいです。今から数...
「甘いものは苦手です」と言っていた彼女が人気アイドルになった。公式プロフィールには「甘いものが大好き!」とあって、かつては「へぼ飯が好きです」と言っていたなんて誰にも想像できないだろうなと思う。プ...
身を刻むような空気は、気道と肺を満たして体を内側から冷たくしていく。息を吐くと、白息となった二酸化炭素の塊が深い深い夜の空へと消えていった。「……綺麗」 何の疑いようもなく、どこまでも自然に彼女が...
「失くしてたピアスがどこにあるか分かったんです」 今日の彼女は少し機嫌が悪いようだった。理由を訊ねるべきか考えていたところ、彼女の方から先にぽつりと話してくれた。「『見付けた』、っていうわけではな...
授業が始まる直前に学校を連れ出され、行先も分からない電車に乗せられ、駅で停まった回数を数えるのに飽きたくらいのタイミングで、ようやく彼女から理由を聞かされた。「私達はいつだって、非現実を求めてい...
部室で一人うたた寝をしてしまい、次に目覚めた時には十年後になっていた。どういう理屈なのかタイムスリップをしてしまったらしい。どうしたものかと頭を悩ませていると、いきなり部室の扉が開いた。「誰かい...
部室で一人うたた寝をしてしまい、次に目覚めた時には十年後になっていた。どういう理屈なのかタイムスリップをしてしまったらしい。どうしたものかと頭を悩ませていると、いきなり部室の扉が開いた。「誰かい...
「どうだった?」「なんというか、変な話ですね」 彼女は少し眉をひそめながら、表紙も背表紙も真っ黒な文庫本を閉じた。僕は「そうかもしれない」と少し微笑みながら同意する。 変な話。そうかもしれない。そ...