「甘いものは苦手です」と言っていた彼女が人気アイドルになった。公式プロフィールには「甘いものが大好き!」とあって、かつては「へぼ飯が好きです」と言っていたなんて誰にも想像できないだろうなと思う。プロフィールには、追記のように「虫が何より苦手です……」ともある。可哀想な話だ。
一応彼女の先輩として、あるいは普通の一ファンとして、たまに握手会に行ったりもする。彼女は僕の姿を視界に捉えると、営業スマイルなのかそうでないのか分からない表情をする。まあ、どっちにしろ嬉しそうな顔だ。
「どうして前回は来てくれなかったんですか」
「抽選に外れてしまって。今回は当たってよかったです」
彼女はどうしても「後輩」として僕と接したがる。本来であればファンに敬語なんて使わない。でも僕には使っている。他の人の目もあるし、僕はあくまでも一ファンとして敬語を使う。だからお互いに敬語を使うという、よく分からない状況になっていた。頼むからもう少し自覚を持って欲しい。
「あ、お誕生日おめでとうございます。記念の生配信も楽しみにしてますね」
今日は彼女の誕生日だった。公式プロフィールにそう書いてあって、僕はそれで初めて彼女の誕生日を知ったのだ。高校時代には、彼女の誕生日など祝った事もないのに。
「なんだか、複雑な気分になりますね。いつもの話ですけど」
彼女が少し、陰のある表情で言った。アイドルであるからにはあまり見せない方がいい類のものだと思う。
あの頃の僕は、他愛のない話ばかりを繰り返して彼女の事を知ろうとはしなかった。彼女は僕の事をよく知っていて、だから少し不公平だったと今になって思う。
学校を卒業して、別々の道を歩んで。僕と彼女が真っ赤な他人になってから、ようやく僕は彼女の事を知ろうとしている。かつて、彼女の口から聞くべきだったかもしれない言葉を、大勢の目に晒される文字列だけで追っている。
「来てくれるのは嬉しいです。それは本当です。でも、あとほんの少しだけでも早かったら、ちゃんと先輩に祝われたかもしれないのに。それが良かったのに。どうして今なんだろうって思って」
もう手遅れな話だ。後輩としての彼女の輪郭に触れても許される時期は過ぎ去った。だから、僕はそれに「何の話でしょうか」ととぼける他にない。
「あ、誕生日プレゼントは何くれますか」
「甘い食べ物でも差し入れますよ」
そうやって僕は、剥がしの人に追い出された。本当に甘いものを送るわけにもいかないから、結局はどうやっても祝ったりなどできない。
その後の話だ。僕らの会話からなのか、それとも彼女がうっかり情報を漏らしたのか、彼女と僕の熱愛報道みたいなものが世に出てしまった。だからちゃんとしろと言ったのに。いや、言ってはなかったか。高校時代に「身の振り方に気を付けろ」とでも言っておくべきだったかもしれない。
それで僕は気を遣って、しばらく彼女との距離を置いた。ライブにも握手会にも行かなかったし、たまにやっていた、差し入れみたいなものを贈る事もしなくなった。
阿保な彼女はテレビで「高校時代の先輩が凄い人で~」という話を平気でする。当然、それが今の恋人だと結び付けられる。頭を抱える。よくこれで芸能界から干されないものだ。
熱愛報道は冷めやらぬまま、一年が過ぎ去ってまた彼女の誕生日がやって来た。僕は少し勇気を出して、プレゼントを持って彼女の握手会へと足を運んだ。周囲の視線が痛いくらいに鋭くて、ファンは怖いなと本気で思った。刺されたりしないだろうか。
僕の番が回ってきて、彼女は一年ぶりに僕の姿を視界に捉えた。当然ながら驚かれた。その驚愕の表情が嬉しそうなものへと変わる前に、僕は紙袋からプレゼントを取り出した。箱をひっくり返し、全て机の上に零してやった。
「誕生日おめでとう」
彼女はそれを見て僕の意図を察したらしく、首を横に振って「できません」と言った。
「だったら、甘いものも頑張りますから。それでいいじゃないですか」
彼女が虫嫌いという情報は、この場にいる人間なら誰でも知っている事だ。当然僕は取り押さえられ、すぐに連行された。
別に、これで天秤が釣り合ったと言うつもりはない。でも、十万人、百万人の目で追われた文字列よりも、別に聞かなくてもよかった言葉で祝える誕生日があるなら、それも悪くない。へぼ飯で祝う誕生日があったって別にいいだろ。
一応彼女の先輩として、あるいは普通の一ファンとして、たまに握手会に行ったりもする。彼女は僕の姿を視界に捉えると、営業スマイルなのかそうでないのか分からない表情をする。まあ、どっちにしろ嬉しそうな顔だ。
「どうして前回は来てくれなかったんですか」
「抽選に外れてしまって。今回は当たってよかったです」
彼女はどうしても「後輩」として僕と接したがる。本来であればファンに敬語なんて使わない。でも僕には使っている。他の人の目もあるし、僕はあくまでも一ファンとして敬語を使う。だからお互いに敬語を使うという、よく分からない状況になっていた。頼むからもう少し自覚を持って欲しい。
「あ、お誕生日おめでとうございます。記念の生配信も楽しみにしてますね」
今日は彼女の誕生日だった。公式プロフィールにそう書いてあって、僕はそれで初めて彼女の誕生日を知ったのだ。高校時代には、彼女の誕生日など祝った事もないのに。
「なんだか、複雑な気分になりますね。いつもの話ですけど」
彼女が少し、陰のある表情で言った。アイドルであるからにはあまり見せない方がいい類のものだと思う。
あの頃の僕は、他愛のない話ばかりを繰り返して彼女の事を知ろうとはしなかった。彼女は僕の事をよく知っていて、だから少し不公平だったと今になって思う。
学校を卒業して、別々の道を歩んで。僕と彼女が真っ赤な他人になってから、ようやく僕は彼女の事を知ろうとしている。かつて、彼女の口から聞くべきだったかもしれない言葉を、大勢の目に晒される文字列だけで追っている。
「来てくれるのは嬉しいです。それは本当です。でも、あとほんの少しだけでも早かったら、ちゃんと先輩に祝われたかもしれないのに。それが良かったのに。どうして今なんだろうって思って」
もう手遅れな話だ。後輩としての彼女の輪郭に触れても許される時期は過ぎ去った。だから、僕はそれに「何の話でしょうか」ととぼける他にない。
「あ、誕生日プレゼントは何くれますか」
「甘い食べ物でも差し入れますよ」
そうやって僕は、剥がしの人に追い出された。本当に甘いものを送るわけにもいかないから、結局はどうやっても祝ったりなどできない。
その後の話だ。僕らの会話からなのか、それとも彼女がうっかり情報を漏らしたのか、彼女と僕の熱愛報道みたいなものが世に出てしまった。だからちゃんとしろと言ったのに。いや、言ってはなかったか。高校時代に「身の振り方に気を付けろ」とでも言っておくべきだったかもしれない。
それで僕は気を遣って、しばらく彼女との距離を置いた。ライブにも握手会にも行かなかったし、たまにやっていた、差し入れみたいなものを贈る事もしなくなった。
阿保な彼女はテレビで「高校時代の先輩が凄い人で~」という話を平気でする。当然、それが今の恋人だと結び付けられる。頭を抱える。よくこれで芸能界から干されないものだ。
熱愛報道は冷めやらぬまま、一年が過ぎ去ってまた彼女の誕生日がやって来た。僕は少し勇気を出して、プレゼントを持って彼女の握手会へと足を運んだ。周囲の視線が痛いくらいに鋭くて、ファンは怖いなと本気で思った。刺されたりしないだろうか。
僕の番が回ってきて、彼女は一年ぶりに僕の姿を視界に捉えた。当然ながら驚かれた。その驚愕の表情が嬉しそうなものへと変わる前に、僕は紙袋からプレゼントを取り出した。箱をひっくり返し、全て机の上に零してやった。
「誕生日おめでとう」
彼女はそれを見て僕の意図を察したらしく、首を横に振って「できません」と言った。
「だったら、甘いものも頑張りますから。それでいいじゃないですか」
彼女が虫嫌いという情報は、この場にいる人間なら誰でも知っている事だ。当然僕は取り押さえられ、すぐに連行された。
別に、これで天秤が釣り合ったと言うつもりはない。でも、十万人、百万人の目で追われた文字列よりも、別に聞かなくてもよかった言葉で祝える誕生日があるなら、それも悪くない。へぼ飯で祝う誕生日があったって別にいいだろ。