僕と後輩 15.寝言すらも許されない

 人がいつ死ぬかなんて、そりゃあ分からないけれど。でも、だからと言って僕が話をしている目の前でイヤホンを付けられたら人並みに腹も立つ。
「だって、死ぬ直前に聴く音くらいは好きな曲がいいです。今から数秒後に死ぬとして、先輩の声が最後とか死んでも嫌ですから」
 僕は知っている。そう言っていつものように長い時間をかけて聴きたい曲を探している彼女は、そんな理由でイヤホンをしているわけではない事を。
 彼女は世界でも類を見ないような奇病を患っていて、なんでも体温が全く無いらしいのだ。触った事は無いけど、肌に触れても冷たいだけ。でも、それ以外はごく普通の人間だと。
 それで、彼女は特別製の熱を伝えるイヤホンを買ったらしい。耳という部位は案外繊細な器官らしく、元々体温の無い彼女は常人の何倍もリラックス効果を得ている。要はその快感が癖なので、ずっとイヤホンを付けているという話だ。
「人の話をちゃんと聞く、なんて、人として当たり前の事だろ」
「人の定義もよく知りませんけど、私は体温が無いっていうそれだけの事でも人ではない理由に事足りると思いますよ」
 そう言っていつもみたいにすぐに寝てしまう。仮にも先輩を前にして、抗えない睡魔を召喚してしまう程のリラックス効果には興味が無いわけではない。いや、あるいはただ神経が図太いだけなのかもしれないが。
 
 言わんこっちゃない、なんて言いたくなる出来事が起きたのはそれから数日後だった。いや、この場合それを言われるのは僕なのか。
「ほら、言わんこっちゃない」
 瓦礫の向こうから声がした。学校が崩れて、落とされそうになった自分を咄嗟に助けてくれた僕にこの言い草だ。やっぱりとんでもない神経の持ち主という事だろう。僕は一応「大丈夫?」と声をかける。
「大丈夫じゃないです。最悪です。今すぐ手を離してください」
 瓦礫の僅かな隙間を通って、運良く向こうの彼女の手を掴んだらしい。恐らくは彼女の心からの願いと、人を一人この手で殺す事の後味の悪さ。後者を選びながらも、僕はやっぱり冷たいんだなと、初めて彼女の存在しない体温を実感した。
「音楽聴きますから、もう話しかけないでください」
 どうやら彼女はこんな状況でもイヤホンを付けるつもりらしい。勝手にしてくれと思いながら、彼女の動く様子が握ってしまった彼女の手首越しに分かってしまう。瓦礫の向こうは見えないから、実際にどうやって付けているかは分からないが。
 しばらくはたまに動いていたのだけど、少しして寝てしまったらしく、やがて大人しくなった。僕は一応、彼女を起こさない程度の小さな声でたまに声をかけた。
「大丈夫?」
 
 救急隊に助けられて、そこで初めて、瓦礫の向こうの彼女が出血多量で死んでいる事を知った。隊員の話を聞く限り、瓦礫が崩れてほとんどすぐに死んだのだろうと。その「ほとんどすぐ」にどれほどの余白があったのかは知らない。握っていた彼女の温度は、ずっと冷たいままだったのだから。
 僕は知らない。彼女が耳にしていたイヤホンはいつ壊れたのか。自分の聴きたい曲を見付けられたのか、好きな曲を聴いて死ねたのか。あるいは、僕の無神経な言葉を最後に死んでしまったのか。
 ただ、やっぱり体温が無いというのは人の定義としてどうにも不充分らしいと、それだけはよく知っている。