僕と後輩 6.いつからのいつも通り

 この学校の人間全員が僕の事を好きになってしまったら困るなと、右手の平に人の体温を感じながら本気で思った。
「終わりました」と言って、名も知らない女子生徒の額から手を離す。その人は僕の顔を甘美な目つきで捉えながら、名残惜しそうに校門をくぐっていった。
「またやってたんですか。懲りない人ですね」
 後ろを振り返ると、右手をギプスで巻いた後輩が溜め息交じりに登校中だった。最近つまずいたか何かで骨折したそうだ。
「私が『止めてください』って何度も言ってるのに」
「仕方ないよ。工事が再開する気配も無いんだから」
 辺りを見渡す。校門周辺の道沿いは少し、いや大分、道が悪い。おかげで一日に一人は転んで怪我をする始末だ。少し前に舗装工事が急に中断されてしまったからだ。
「先輩にとっては優しさのつもりでしょうけど、その優しさが何よりも私を傷付けている、というのは絶対に忘れないでくださいね」
 いつからか覚えていないが、僕には人の怪我を治癒する、一種の魔法のような力が備わった。その人に触れるだけで、文字通り手当てされるのだ。小さな怪我から、息絶えてすぐであれば死体だったとしても、完璧に生き返らせる事ができる。
 だけど、この魔法も完璧ではなくて副作用のようなものがある。治癒をした人間は、例外無く全員僕の事を好きになってしまうのだ。性別や年齢問わず、老若男女誰でも。やった事はないけど、人間以外でもそうなる気がしている。
「僕だってあんまりやりたくないけど、怪我した人を見過ごすわけにもいかない」
「私の心の怪我は見過ごすんですか」
「精神的な傷よりは身体的な傷を優先するよ。まあ、無機物の怪我も治せるなら真っ先にこの道を直すけどさ」
 酷くがたついたコンクリートを靴の裏で踏みつける。これを怪我と呼べるかどうかは分からないけど。
「工事、三か月くらい止まってますね」
 携帯のカレンダーアプリか何かを見ながら彼女が言った。スマホには小さなストラップが付けられている。最近新しく買い換えたらしい。
「右手が使えないと、スマホも満足に操作できないです。困りました」
「何回も言ってるけど、僕が治してあげるのに」
「何回も言ってますが、お断りします」
 おぼつかない指先でスマホを操作し、慣れない手付きで左のポケットにしまう。ストラップだけがぶら下がるようにはみ出ていた。
「私のこの気持ちは、私だけのものです。それを、他の人間と同じようなものに変換されたくはありません。この感情を、そんなもので上書きされたくはありません」
 彼女はいつもの通りの言葉で、僕の誘いを断る。
「だから、先輩のその優しさが大嫌いなんです」
 いつも通りの表情で、僕の優しさを否定する。
 だから僕も、いつも通りに「ごめん」と謝る。
「でもやっぱり、僕はこっちを選ぶよ。身体的な怪我を治せるのは僕だけだから」
 するとやっぱり、彼女もいつも通りに「知ってます」と言うのだ。
「それが先輩ですから。だから好きなんです」
「私の傷は私だけのものですし」と、いつも通りに吹っ切れたように微笑んで、校門をくぐる。僕もその背中に付いて行く。
 ところで、ここら一帯の工事が中断したのには訳がある。簡単に言えば人身事故だ。重機とこの学校の生徒が衝突し、生徒が死亡した。それから再開の目処は立っていない。
「あーあ、ストラップどこで失くしたんでしょうね。お気に入りだったんですけど」
 多分そこら辺に転がっているだろうなと、いつも通り現場を横目に流して学校へと向かう。