僕と後輩 11.この甘くて小さな世界の中で

 僕の唯一の後輩である彼女は、お世辞にもあまりいい生徒とは言えなかった。
 勉強ができないわけではないのだが、授業はしょっちゅうサボるし課題も提出しない。素行が悪いわけではないのに、身だしなみが整っているとは言い難い。教師に「そんな事で将来どうするんだ」と言われていたのを見かけた事もある。気に掛けなかったわけではないが、本人が「もし明日世界が終わるとしたらどうするんですか」「来ない未来の事を考えてる暇あるんですか」というような態度だったから、それ以上は何も言わなかった。
 ところが、僕が卒業する直前になって、彼女が趣味で書いていた小説が大当たりしたらしく、小説家としてのデビューが確約された。僕が必死になって少しでも良い大学に入ろうと躍起になっていた隣で、彼女は好きな事で将来の道を決めたのだ。
 僕の卒業式当日。僕を祝う気など微塵も無い彼女に、「これからどうするの」と声をかけた。彼女は執筆活動に勤しみながら、
「考えたくありません」
 と答えた。それが、僕らの最後の会話になった。
 
 卒業後の僕は本命の大学に二回落ち、結局妥協で選んだ大学に滑り込みで入学するという散々な始末だった。履歴書に挟まれた二年分の余白は、就職難と呼ばれるようなご時世には少しばかりこたえた。明日の面接の事を考える度、「考えたくありません」と無責任に言い放った後輩の存在を思い出した。
「やっぱり君だったんだ」
「……お久しぶりです。あまり会いたくはなかったですけど」
「成長したね。高校時代の君ならもう少しキツイ言葉を使ってた」
「お望みならそうします」
 小綺麗なカフェの席に座り、その場所によく似合う涼し気な表情を浮かべる彼女は、やはり現役の小説家になっていたらしい。そして、編集者として担当になったのが僕だ。どういう巡り合わせかは知らないが、彼女にしてみれば不幸な事だろう。
 今日はとりあえず顔合わせだけの日だったが、彼女は僕との会話を好ましく思っていない。とりあえず形だけでもと思って、卒業後の話をなんとなくお互いに軽く話した。
 彼女は卒業後、小説家としてデビュー。しかし、だからと言ってそれだけで食べていけるわけでもない。適当な専門学校に進学し、適当な働き口を見付けて、そこを副業扱いにしているらしい。
「あれだけ不真面目だった君がこんなに大躍進するんだから、凄い話だ」
「社会人という点で見れば編集者の方が凄いと思いますが」
「でも二年の浪人、大学のレベルを下げたのはマイナスだ」
 あれだけ勉強をしてきたのはなんだったのだろうと、今更になって思わないでもない。少なくとも、僕のプライドはそこだったはずだ。
 そして、今正面に座る彼女はただ専門学校を適当に卒業しただけ。それでやりたい事をやっているのだから、幸せなのだろう。
「僕も何か好きな事を見付けられてたら、今頃は違う世界にいたのかなって思うよ。文字ですら見られる事が恥ずかしい人生は嫌だね。自虐だけど」
「自虐って、ただ無毒化した甘い後悔と言い訳に浸ってるだけじゃないですか」
 その通りだ。そうやって、この無意味で恥ずべき人生を笑うしか方法が無い。
 履歴書を比べて、彼女を見下す事はできるかもしれない。いい学校を出た分、僕の方がマシだと都合よく虚勢を張るのは簡単かもしれない。
「自分がそれしかやってこなかったからって、自分にはそれしかないからって、プライドを持つのも誇りを持つのも勝手ですよ。でも、それを物差しにしてでしか何も測れないなんて、恥ずかしくないんですか」
「……考えたくないね」
「まあ、こうやって嫌いな人間が苦しんでくれる姿を見られたなら、私もこれまでが報われたと思えるので何よりですが」
 人と比べて、優位にいる事でしか安堵を得られないなんて、馬鹿みたいな生き物だと心底思う。
 彼女の言う通り、いっそ世界の終わりでも訪れてしまえばいいと思うほどに。