完璧なものなんてどこにも無いと、主観でしかものを語れない人間は言う。それが間違いであるかどうかはどうでもいい。僕が言いたいのは、「完璧」でなくても、「完成」はある、というところだ。
僕がそんな風に言うと、彼女は「そうかもしれない」と静かな口調で言った。
「でも、私が思ってる事と君が思ってる事は多分違う。君は、その『完成』を目指すべきと思ってる」
「だって、未完成よりは完成品の方が良いに決まってます。選ぶかどうかは別問題として、選択肢があるに越した事はないですから」
「もちろん、世の中っていうのはそういう風にできてる。その方がいい場面だってきっとある。でも、私自身は完成しなくてもいい」
「じゃあどうして、貴女はここに来たんですか」
僕が言うと、彼女は「君には分からない事だよ」と不機嫌そうに言う。分からないなら、分かるまで説明して欲しい。僕らはその為にここに来た。
原案者は僕だった。「完成」を目指していた僕にとって、それは必須事項だったから。募集方法としては単純にネットを用いた。ブログやフェイスブック、ツイッターといったものを様々に活用したが、結果として三人中二人はツイッターを通じて知り合った。個人ブログは見る人が限られるし、ただの一般市民である僕の拙い文章を読んでくれる人なんていない。フェイスブックに限っては、ユーザーの指向性が根本的に違っていた。彼らのような超が付くような常識人、かつ正論モンスターに僕らのような思想が理解できるはずもない。そこを念頭に入れておくべきだった。
「他の二人も、君と同じような考えだと思う?」
床が軋むような音がする。それは多分、すぐ傍のキッチンに向かっている。僕が「何するつもりですか」と訊くと「コーヒー淹れるだけ」と言われた。
「危ないですよ。他の人が来てから頼みましょう」
「誰が淹れたって危ないでしょ。それより私の質問に答えて」
ジャーと、水の流れる音がする。コーヒーを淹れる習慣の無い僕には、コーヒーを淹れる時に水を使うのかどうかも分からない。
「やっぱりそうだと思いますよ。そういう風に声をかけたから来てくれるんでしょう」
「家を買う時とか、色々設備とか、そういうのは君がやってくれたの?」
「いいえ、僕の友人に頼みました。古い付き合いで、頭の良い奴です。僕がこの企画を立案した時、ツイッターが一番いいってアドバイスをくれたのもそいつでした」
ガリガリガリ。そういう擬音が相応しい音が聞こえる。きっとコーヒー豆を挽いている音だろう。少しだけ楽しそうに思えた。
「そういえば君、苦いのって大丈夫?」
「あんまり得意じゃないです。味覚が敏感なので」
「じゃあ克服のチャンスだね」
「……未完成なままでいい、じゃないんですか」
「そうした方がいい場面だってある、って言っただけだよ」
その時だった。ピンポーンと、ベルの音が広い家に響いた。
「あ、私が行くよ」
「いえ、大丈夫です。僕が行く方が安全ですから」
壁に手をついて立ち上がり、のらりくらりと玄関へ歩く。金属製の少しだけ重いドアノブを下げると、暖かい陽の光が体を射した。
「こ、こんにちは。あの、えっと、応募した者ですが」
ベルを鳴らした女性は少しだけ慌てたような口調で、そう言ってくれた。ガラスのように繊細で、何かの拍子にすぐ壊れてしまいそうな声だった。
「こんにちは。ここじゃあれですから、どうぞ中に」
僕がそう言うと、彼女は何も言わずに黙ってしまう。僕が「どうしたんです?」と訊いてみるが、返事は無い。どうしたものかとその場から動けずにいると、また別の声が聞こえた。
「おい、忘れたのかよ。この人は」
「……ああ、そうか。意味が無いのか」
「俺が案内するから」
二人目の来訪者が、僕に言ってくれた。僕はその言葉に甘え、ゆっくりとリビングの方に戻る。
「……良い、匂い」
女性がまた、ガラスのような声で言った。確かに、リビングはコーヒーの芳醇な空気で満たされている。僕ら三人の姿を見て、コーヒーを淹れてくれたのであろう彼女は「あれ?」と拍子抜けな声を漏らした。
「もう来てくれたの? 早くない?」
「遅いよりはいいでしょう。とりあえず、皆ソファに座りましょうよ。早く話がしたい」
リーダー気質で少しせっかちなところがある彼が言った。それに彼女が「じゃあコーヒー二つ追加ね」と言うと、「いや、俺が淹れますから。後は任せてください」と彼が言う。
隣から「どこに座ればいいのかな」と弱々しい声が聞こえたから、僕は「どこでもいいよ」という意味で手振りをした。すると彼女は小さく、「ありがとうございます」と言ってくれた。
「で、リーダーは誰なんだよ」
「え? 君じゃないの?」
「原案はお前だろ。お前がまとめろ」
彼がそう言うので、僕は「らしいです」という言葉を皮切りに、自分の自己紹介をする事にした。
「知ってるとは思いますが、目隠(めがくれ)といいます。歳は二十で、多分この中で一番若いです。ご存じの通り、僕は目が見えません。よろしくお願いします」
終わりに「聴野さんは?」と訊くと、「あ、私が教えてる。手話できるから」と彼女が言ってくれた。続けざまに、聴野さんが自己紹介をする。
「ちょ、聴野(ちょうの)です。歳が、えっと二十で、目隠君と同じです。あの、耳が聴こえないです。それと、人と話すのもあまり得意じゃないです。よろしくお願いします」
話の終わりに僕が「良いと思う」と言ってみると、それを彼女が手話で伝えてくれたらしく、「あ、ありがとう」と聴こえた。すぐに「次は俺っすね」と彼の声がする。
「右堂(うどう)っていいます。歳は二十一。右腕を事故で失くしました。多分、この中では比較的動ける方なので、積極的に頼ってください。俺も助けて欲しい時は皆を頼ります」
「よろしくお願いしまーす」と、彼らしい少し大きな声が響く。彼女が「声も体も大きいね」と驚いたように言ったのが聴こえる。彼は身長が百八五センチあるらしい。
「じゃあ、最後は私かな」
彼女がそう言った後、床の軋む音が聞こえた。車輪がフローリングを抑えつける音だ。
「不下谷(ふがや)って言います。歳は二十二、もうすぐで二十三なので、この中だと最年長になるかな。下半身不随で、車椅子生活をしてます。年上なのに迷惑をかけますが、助けてくれると嬉しいです」
「当たり前じゃないっすか。その為に俺ら集まったんでしょう」
僕の言いたかった事を、彼が代弁してくれた。不下谷さんはそれに「ありがとうね」と少し明るい声で言う。
それぞれの自己紹介が終わったところで、一応、リーダーであるらしい僕が、このシェアハウスの目的を宣言する事になった。
「改めてになりますが、僕ら四人はそれぞれが欠落、欠損のある人間です。それを自覚してここに来てくれた事自体、僕にとっては嬉しい限りです。そして僕らは、それぞれがそれぞれを支える形でその欠落や欠損を埋めるような、言わば『未完成から完成へ』を目指す。それが主目的になります」
それに右堂がうるさく茶々を入れるのが聴こえる。弱弱しい拍手の音は聴野さんだろう。
完成を目指すべきではない、未完成のままでいいと言う不下谷さんがどんな反応を見せたのか、僕には分かるはずもない事だった。
「君には分からない事だよ」。その言葉の意味が分からないのは、僕が不完全だからなのだろうか。
僕がそんな風に言うと、彼女は「そうかもしれない」と静かな口調で言った。
「でも、私が思ってる事と君が思ってる事は多分違う。君は、その『完成』を目指すべきと思ってる」
「だって、未完成よりは完成品の方が良いに決まってます。選ぶかどうかは別問題として、選択肢があるに越した事はないですから」
「もちろん、世の中っていうのはそういう風にできてる。その方がいい場面だってきっとある。でも、私自身は完成しなくてもいい」
「じゃあどうして、貴女はここに来たんですか」
僕が言うと、彼女は「君には分からない事だよ」と不機嫌そうに言う。分からないなら、分かるまで説明して欲しい。僕らはその為にここに来た。
原案者は僕だった。「完成」を目指していた僕にとって、それは必須事項だったから。募集方法としては単純にネットを用いた。ブログやフェイスブック、ツイッターといったものを様々に活用したが、結果として三人中二人はツイッターを通じて知り合った。個人ブログは見る人が限られるし、ただの一般市民である僕の拙い文章を読んでくれる人なんていない。フェイスブックに限っては、ユーザーの指向性が根本的に違っていた。彼らのような超が付くような常識人、かつ正論モンスターに僕らのような思想が理解できるはずもない。そこを念頭に入れておくべきだった。
「他の二人も、君と同じような考えだと思う?」
床が軋むような音がする。それは多分、すぐ傍のキッチンに向かっている。僕が「何するつもりですか」と訊くと「コーヒー淹れるだけ」と言われた。
「危ないですよ。他の人が来てから頼みましょう」
「誰が淹れたって危ないでしょ。それより私の質問に答えて」
ジャーと、水の流れる音がする。コーヒーを淹れる習慣の無い僕には、コーヒーを淹れる時に水を使うのかどうかも分からない。
「やっぱりそうだと思いますよ。そういう風に声をかけたから来てくれるんでしょう」
「家を買う時とか、色々設備とか、そういうのは君がやってくれたの?」
「いいえ、僕の友人に頼みました。古い付き合いで、頭の良い奴です。僕がこの企画を立案した時、ツイッターが一番いいってアドバイスをくれたのもそいつでした」
ガリガリガリ。そういう擬音が相応しい音が聞こえる。きっとコーヒー豆を挽いている音だろう。少しだけ楽しそうに思えた。
「そういえば君、苦いのって大丈夫?」
「あんまり得意じゃないです。味覚が敏感なので」
「じゃあ克服のチャンスだね」
「……未完成なままでいい、じゃないんですか」
「そうした方がいい場面だってある、って言っただけだよ」
その時だった。ピンポーンと、ベルの音が広い家に響いた。
「あ、私が行くよ」
「いえ、大丈夫です。僕が行く方が安全ですから」
壁に手をついて立ち上がり、のらりくらりと玄関へ歩く。金属製の少しだけ重いドアノブを下げると、暖かい陽の光が体を射した。
「こ、こんにちは。あの、えっと、応募した者ですが」
ベルを鳴らした女性は少しだけ慌てたような口調で、そう言ってくれた。ガラスのように繊細で、何かの拍子にすぐ壊れてしまいそうな声だった。
「こんにちは。ここじゃあれですから、どうぞ中に」
僕がそう言うと、彼女は何も言わずに黙ってしまう。僕が「どうしたんです?」と訊いてみるが、返事は無い。どうしたものかとその場から動けずにいると、また別の声が聞こえた。
「おい、忘れたのかよ。この人は」
「……ああ、そうか。意味が無いのか」
「俺が案内するから」
二人目の来訪者が、僕に言ってくれた。僕はその言葉に甘え、ゆっくりとリビングの方に戻る。
「……良い、匂い」
女性がまた、ガラスのような声で言った。確かに、リビングはコーヒーの芳醇な空気で満たされている。僕ら三人の姿を見て、コーヒーを淹れてくれたのであろう彼女は「あれ?」と拍子抜けな声を漏らした。
「もう来てくれたの? 早くない?」
「遅いよりはいいでしょう。とりあえず、皆ソファに座りましょうよ。早く話がしたい」
リーダー気質で少しせっかちなところがある彼が言った。それに彼女が「じゃあコーヒー二つ追加ね」と言うと、「いや、俺が淹れますから。後は任せてください」と彼が言う。
隣から「どこに座ればいいのかな」と弱々しい声が聞こえたから、僕は「どこでもいいよ」という意味で手振りをした。すると彼女は小さく、「ありがとうございます」と言ってくれた。
「で、リーダーは誰なんだよ」
「え? 君じゃないの?」
「原案はお前だろ。お前がまとめろ」
彼がそう言うので、僕は「らしいです」という言葉を皮切りに、自分の自己紹介をする事にした。
「知ってるとは思いますが、目隠(めがくれ)といいます。歳は二十で、多分この中で一番若いです。ご存じの通り、僕は目が見えません。よろしくお願いします」
終わりに「聴野さんは?」と訊くと、「あ、私が教えてる。手話できるから」と彼女が言ってくれた。続けざまに、聴野さんが自己紹介をする。
「ちょ、聴野(ちょうの)です。歳が、えっと二十で、目隠君と同じです。あの、耳が聴こえないです。それと、人と話すのもあまり得意じゃないです。よろしくお願いします」
話の終わりに僕が「良いと思う」と言ってみると、それを彼女が手話で伝えてくれたらしく、「あ、ありがとう」と聴こえた。すぐに「次は俺っすね」と彼の声がする。
「右堂(うどう)っていいます。歳は二十一。右腕を事故で失くしました。多分、この中では比較的動ける方なので、積極的に頼ってください。俺も助けて欲しい時は皆を頼ります」
「よろしくお願いしまーす」と、彼らしい少し大きな声が響く。彼女が「声も体も大きいね」と驚いたように言ったのが聴こえる。彼は身長が百八五センチあるらしい。
「じゃあ、最後は私かな」
彼女がそう言った後、床の軋む音が聞こえた。車輪がフローリングを抑えつける音だ。
「不下谷(ふがや)って言います。歳は二十二、もうすぐで二十三なので、この中だと最年長になるかな。下半身不随で、車椅子生活をしてます。年上なのに迷惑をかけますが、助けてくれると嬉しいです」
「当たり前じゃないっすか。その為に俺ら集まったんでしょう」
僕の言いたかった事を、彼が代弁してくれた。不下谷さんはそれに「ありがとうね」と少し明るい声で言う。
それぞれの自己紹介が終わったところで、一応、リーダーであるらしい僕が、このシェアハウスの目的を宣言する事になった。
「改めてになりますが、僕ら四人はそれぞれが欠落、欠損のある人間です。それを自覚してここに来てくれた事自体、僕にとっては嬉しい限りです。そして僕らは、それぞれがそれぞれを支える形でその欠落や欠損を埋めるような、言わば『未完成から完成へ』を目指す。それが主目的になります」
それに右堂がうるさく茶々を入れるのが聴こえる。弱弱しい拍手の音は聴野さんだろう。
完成を目指すべきではない、未完成のままでいいと言う不下谷さんがどんな反応を見せたのか、僕には分かるはずもない事だった。
「君には分からない事だよ」。その言葉の意味が分からないのは、僕が不完全だからなのだろうか。