学生団体って偽善団体なんですか?【栗原優花編】

こんにちは!12代目関東コアのゆうかです!

今回は学生団体、主にボランティアやNPO団体は偽善活動をしているのかという答えがないことについて自分の意見を書いていきたいと思います。

こういう話題は何が正解とかないので、白か黒かはっきりしたいわたしにとっては悩ましい問題です、、、。



わたしたちは発展途上国の子供たちの給食を支援する活動を行っていますが、やはりこの活動を好ましく思わない方もいると思います。

わたしは悩ましいですが、どちらかといえば偽善ではないのかなと思っています。



このTFTーUAに関わる前は私はあまりボランティアなどの活動に参加したことがありませんでした。ボランティア活動に参加しなかったのは、やっぱり周りの目とかを気にしていたのもあるし、自分自身やりたいけども恥ずかしいという思いがありました。

ここで話が少しそれるのですが、いまから2つ実際に体験した出来事をはなします。

1つはバスを乗車するときに恥ずかしいと思った出来事です。私がバスに乗車するときに前に少し足の不自由なおばあさんがいて、階段をのぼるのをたいへんそうにしていました。階段がのぼりづらそうだから、補助しようと思い、いざおばあさんを助けていると、なぜだかとても恥ずかしくなってしまいました。周りにいる人の目線を気にしていたのか、すこし自分がやったことは周りによく思われるための偽善だったのではないかと考えてしまいました。



もう一つの出来事は、電車の中で恥ずかしいと思った出来事です。私は電車にのって座っていました。駅について乗客がはいってきたのですが、1人の人がとてもゆっくりあるいていました。その方は目が悪いようで、いすの場所がわからなくて迷っていました。私は助けようかとても頭の中でぐるぐる考えて、すぐに行動にうつせませんでした。すると、女の人が座席からすっと立ち上がり、その方を座席まで案内しました。私はこれを見て女の人をすごいなと尊敬した反面、自分のことがとても恥ずかしくなってしまいました。




この拙い文章で伝わったでしょうか、、、。私は結局、人を助けても助けられなくても恥ずかしいと思ってしまうんです(^^;

でも一つだけいえるのは助けた時の恥ずかしさは一時でしたが、助けなかった時の恥ずかしさというか罪悪感というかというものはなんだか心にもやもやと残っていたということです。

この出来事が周りばかり気にしていないで自分が思う方向に進みたいと思うようになったきっかけです。

そして大学に入ってから偶然にもTFTに出会っていま活動を続けています。

発展途上国の子供たちが笑顔で給食を食べている写真を見ると、自分もうれしくなってもっと活動を頑張ろうって気持ちが上がります。



発展途上国の子供たちの笑顔をみるために給食を支援しているというのもある意味では偽善なのかもしれませんが、、、

それでも私は自分が興味のある食で困っている人たちを助けたい、自分の好きなことで役にたちたいと思っています!

なんだかテーマとずれちゃった気がするので、すみません(^^;

ここまで長く拙い文章を読んでいただきありがとうございました!

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