~この団体の記事に飽きてきたそこのキミに告ぐ~

ウィィィィィィィィッ↑ス!!

はいどうも、こんにちは~!

junで~す笑

突然ですが

この団体の記事を余すところなく読んでくれている、そこの皆さん!!

そろそろ

「議論が議論が~、ってみんな言ってるけどそもそも議論って何なんだよ」

というツッコミをしたくなっている頃ではないでしょうか??

というわけでですね、

今回は

議論という分野を歴史的な観点から解説していきたいと思います!!

まずはじめに、議論が強そうな有名人と聞くと、誰を思い浮かべますか?

例えば、カリスマ塾講師の林修先生やメンタリスト DaiGoはなかなか手ごわいかもしれませんね。

DaiGoなんかはやたら論文引っ張ってきて、論破してきそうですね笑笑

とまあ、

そんなことはどうでもいいのですが(なら言うな)

実は議論の始祖と呼ばれているのは

古代ギリシャのソクラテスなんですね。

「なんで哲学者?」

思った方、素晴らしい着眼点だと思います。

なぜなら、哲学にとって議論とはなくてはならないものであったからです。

「自分は無知であることを自覚しているからこそ、それを自覚してないものより高い視座に立つことが出来る」という無知の知で有名なソクラテスではありますが、

その一方で彼は問答法を重んじていました。

この問答法とは後の哲学者たちの間で使われた弁証法の原型であり、端的に説明すると身の回りの事象に対して懐疑的な思考を持ち出して質問を投げかけるという行為を指します。

彼は多くの人が当たり前だと思っていることに対し懐疑的な思考を持ち、それを人々の中で対話という形で質問し合うことは個々人に無知を認識させ、その根底にある常識を刷新することに非常にクリティカルであると考えていました。

彼の弟子であったプラトンによれば、ソクラテスの功績は抽象概念の明確化であったとされています。

すなわち、

一見すると役に立たなそうな事象にまでフォーカスを当て関心の対象とし問題提起する、ある種行き過ぎたその姿勢はときに、社会にとって新しい価値をもたらします。

ひょっとすると、現代社会において不足しているものはこれなのではないか、私はそう感じております。

テクノロジーが急速に発達し、社会情勢が右往左往している昨今こそ、今まで目を向けられていなかったことに興味を持ち、議論という対話を重ねて認識を更新することで現状打破の糸口が見つかると強く信じているからです。

社会構造が複雑化し問題点の洗い出しが非常に難しくなりつつある中で、そういったことをすることが特に

これからの社会を担う我々のような若い世代においてより必要不可欠になってくると推測します。

そう考えたときに当サークル

ディスカッションサークル「ゼロ」

は社会貢献という意味でも先進的な取り組みをしていると言えるのではないでしょうか??


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