中村隼
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ビジョン

お互いがお互いの幸せを喜べる世界

比較して評価する時代。。。
昔より家業が減りサラリーマンが増え自由に職業を選び、最近ではリモートワークなどで同じコミュニティに属していても住んでいる場所も人それぞれで自由に選べる環境になってきました。
インターネット、SNS、動画サイトの普及で誰でも欲しい情報だけでなく、他人の価値観や生き方の断片を見れるようになり、「価値観」や「行動の選択」には常に無意識に誰かと比較している気がします。
情報のインプット量が多すぎる時代に生きる私たちは家庭環境、マインド、仕事、人間関係、趣味、資産、学歴、会社や社会的な役割、食べるもの、住むところ、身に付けるもの、読んだ本、見た映画、聴いた音楽、行ったことある場所、情報が入ってきたときに勝手に比較評価して一喜一憂しがちです。

比べる癖をなくしていきたい
比べることが悪いとは思いません。
問題なのはすべてにおいて比べてしまうことだと思っています。
その先に待つのは、大切な人のお祝い事や、楽しい思い出話を聞いたとき、勝手に比較し評価し、素直に受け入れずらくなり、自己嫌悪になったり、傷つけてしまうことも多かったりします。
やりたいこと、やってみたい生き方、なんでもどうでもいいのに人々は勝手に世間的な優劣の価値を基準に、無作為に入ってくる情報をもとに比較し、初めから正解がない問いに勝手に解と評価を下しがちです。

誰かに左右されない満足感があるといいなあ〜
私もそうですが悩みの多くは、外的要因に由来することを多いです。
誰かと比較したり、環境が目まぐるしく変わる中で人付き合いがうまくできなかったり。
もしかしたら同じ選択をしても、情報が少なくコミュニティが狭い時代であればその悩みは軽減され、その人は自信をもてたかもしれないと思うことがあります。

コナンくんが言っていました。
"言葉"を"情報"に置き換えてもいいかもと思いました。"情報"も取捨選択が必要です。

「そこまでだ。2人ともそれ以上言うのは、辞めろ。一度口に出しちまった言葉はもう元には戻せねーんだぞ。言葉は刃物なんだ。使い方を間違えると厄介な凶器になる。言葉のすれ違いで、一生の友達を失うこともあるんだ。一度すれ違ったら、2度と会えなくなちまうかもしれねぜ。」

劇場版名探偵コナン 沈黙の15分(クォーター)より

・・・・・・・。。あんまりコナンくんの言葉はこの話に関係ないかもですが、、、
要は何かを決断するときの情報は必要なものと不要なものに分類できて出した答えに正解ってないんですよね。(他者や社会から得られる満足感や承認欲求は嬉しいです)

そして、自分の生き方や芯食った選択には不要な情報はなるべく排除した純粋な自分気持ちからきた満足感だけで満たしてあげることが必要かなと思います。

重要な事柄において自分と他者を明確に線引きすること。
すると大事な局面で心から相手のことを祝福したり喜ぶことができるようになるのかなと思っています。

Pandoの役割
Pandoは共感したい想いや叶えたいビジョンを軸に自分に必要な情報を能動的に見ることができると思います。きっと本来のSNSの役割であり、その点でこれまでのSNSとはある意味相反する役割を担っていると思います。

量も大切ですが、自分の軸を発信でき、必要な情報やコミュニティと繋がれる質が最終的にその人がほしかった情報かなと思います。

今の量の情報社会を抜け出すのは結構大変です。軸を持ち、ビジョンを共有できる人と繋がり、自分のことは自分で決め、自分で満足できる小さな経験を積む。
そのさきにすっきりとした頭となんとなく湧いてくるボーっとした満足感、笑
があるのかなと思いました。ジブリの草原っぽいですね~笑

まとめ
割とたらたらと書いてしまいましたが私が思っていることです(すみません)。結構文脈が飛んでる部分もあるかもですがその辺りは皆さんの頭で補完力に存分に頼らせてくださいませ。 (`・ω・´)bキリッ !

よろしくお願いしまぁぁぁぁすっ!

中村隼さんのビジョンに共感


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