武藤 英之
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ヒストリー

出身地

兵庫県西宮市

幼少期の暮らし、体験

両親に連れられて、デパートの食器売り場にいったらしいのですが、そこで何を思ったのか、両手を広げて、飛行機をやったらしく、多くの食器が粉々に。。。
それ以来、かなり大人になるまで、食器売り場には連れて行ってくれなくなりました。
母伝です。

中学・高校時代

中学までは関西で、高校から九州の学校に通う。
九州久留米に受験するために、初めて一人旅行を敢行。
久留米駅からタクシーに乗って、ホテルまで行こうとしたところ。
運転手さんに「どこ行くとね!」と聞かれる。

その衝撃的な言葉に、自らの人生の覚醒が訪れる。それは。

世の中には方言なるものがあり、
さらに自身もこてこての関西弁を話していたこと。

それまでは、
日本中、全員が自分と同じ言葉をしゃべっていると、
信じて疑わなかった私。

「井の中の蛙」という言葉の意味を知った瞬間。

後日談
入学後、しばらく関西弁を話していたが、
ある時、久留米弁をしゃべりたい!と思った瞬間。
3日後にはほぼ久留米弁をしゃべっていた。

でも今はまったくしゃべれません。

大学・専門学校時代

横浜国立大学

学部はどちらですか?と聞かれると、
テニス部です。と答えるほど、
学舎にはおらず、部室にたむろしていました。
(ですが決してうまいわけではありません。)
ゼミの先生の指令で、ゼミのOB会を発足させました。
これは暗黙の卒業単位との交換条件だったと認識しています。

職歴

大学卒業後、外資系銀行に就職(だから少し英語は話せます。)
先輩に誘われて日本の銀行へ(デリバティブという数学をやってました。)
リーマンショック直前にIT会社に転職(コーポレートコミュニケーションをやってました)
先輩友人に請われて企業合併のIT統合をしました(PMの仕事とWBSを習いました)
住宅会社で経営企画室など、ちょっと色々経験しています。
直近はがん治療のBNCTを手がけていました。
色々な会社にいたので、ちょっと感想を述べてみます。

外資系企業:とてもフェア、そして競争も激しい。社内ルールや仕事の進め方がとても合理的で明確。でも間違えてはいけないのは、フェアであることは、年功序列も、タイトルも、実績も関係なく、これからの業績で評価されるということ。だから結果として厳しい。さらに言えば、失敗しても、いくらでも復活できる。

旧体質本邦企業:とても組織がしっかりしている。底力がすごい。でも自分より上の役職の人とは、許可がないと会話ができないらしい。(今は違うらしいです。念のため)
とても組織に守られていますが、それが弊害になることもしばしば。一番優先されるのが組織だったりするので、個人や社会の正義が後回しになることも。

建設業:徒弟制度の権化。オーナー企業だったからか、早朝役員会の冒頭から、オーナーの説教で一日終わることも。でも現場に出て、家が建つのをみるのはとても楽しい。

大規模プロジェクト:常に問題をリストに抽出し、それをだれがいつまでに解決するかを、みんなで共有する。その繰り返し。組織が頭でっかちにならないこと。何が問題かを見つける嗅覚を持つこと。あなたの見える全体像のもう二つ上の視座を持つこと。それが成功の秘訣かもしれません。