青木 藍子
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ビジョン

十分に表現活動ができる社会を作ると同時に、必要な力を得ていくことで、自分の作品で世間の誰かを感動させる

自分がやりたいことや楽しいと思えることについて考えたとき、やはり、自分自身の作品を世間に発表し、その作品によって誰かの感情を動かしたいと思い、そのためには、「自分が表現活動を行える社会であること」と、「自分が表現活動を行える力を持っていること」という2つの条件が満たされている必要があると考えました。

まず、「自分が表現活動を行える社会であること」というのは、自分が実際に作品を発表した際に、法や規則などによってそれが否定されたり、社会的な不利益を受けたりしないという状況のことです。そうしたことについて考えた場合、現代社会は比較的自由に表現活動ができるように見えますが、表現に対する過度な規制や、一部のキャンセルカルチャーなどを鑑みれば、安心して表現活動ができるとは決して言えないと感じています。
自分は、感動と感傷は表裏一体であり、誰も不快にしない表現など不可能であるという考えから、誰かの心情を保護するために表現を規制しようという意見には概ね賛同できません。そうした意思を表明するとともに、どんなに不快な表現があってもその存在自体を否定しないこと、表現規制を許さない姿勢を貫くこと、そして、周囲に流されずに自分が好きな表現を好きだと言い続けることで、「表現に対する意見はあれど、表現の存在そのものは否定しない」という社会基盤を構築し、自分や未来のクリエイターが安心して表現活動を行える社会を維持したいです。

また、自分自身の作品を発表するためには、当然、「自分が表現活動を行える力を持っていること」を満たしている、つまり、自分が作品を制作したり、それを発表して世間に知らせたりするために必要なものを持っていなければいけません。作品の制作のためには、様々な技術を活用する知識や、クオリティを高めるために集中できる環境、必要な素材やツールをそろえるための金銭などが必要でしょう。また、作品できても、それを十分に広めるための発信力や知名度が無ければ、自分の作品を好きになる相手まで届かない可能性があります。
それらを手に入れるのは容易ではなく、はじめのうちは自分が納得のいく作品を十分に発信することができないかもしれません。しかし、就職先などで技術を積み、自分のための環境を徐々にそろえ、発信を繰り返すことで知名度を上げていけば、いずれは自分の作品制作に全力を注ぎ、その作品を世間に広めることができるようになるはずです。その道のりは長いかもしれませんが、それでも自分にできることをやるしかないと思っています。

このように自分は、十分に表現活動ができる社会を構築、維持していくとともに、自分自身の能力を高めていくことで、自分の作品によって、世界にいる誰かの心を揺さぶりたいと考えています。

残したい世界

  • 自由に表現活動ができる世界
  • 安心して自分が好きな作品を公表できる社会
  • 倫理や道徳をある程度は尊重しつつも、それらによって表現が否定されない社会

果たしたい貢献

  • 誰かの心を動かすような作品を世間に発表し、それを求める観客に届けること
  • 既存の手段にとらわれない、様々な方法での表現活動を肯定すること
  • 例え、その作品にどんな背景があろうと、作品そのものを評価すること

手にしたい未来

  • 自分の作品を制作できるだけの余裕が、金銭的にも精神的にもある生活
  • 自分の作品を、その作品を好きになってくれる人たちに届けるための知名度
  • 自分が納得できる作品を作り、楽しいと思える人生

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