今回は、途上国で教育支援に携わるうえで把握しておかなければいけないことを、黒崎・栗田(2017)から引用します。日本でもそうですが、途上国の多くで、公立の学校と私立の学校が併存しています。一般的に、私立の学校の方が学費やその他諸々の費用が高いため、貧しい家計には私立の学校へと子どもたちを通わせる余裕がありません。また途上国のように、そもそも学校に通えない子どもたちがまだまだ多い国や地域は、まずは学校に子どもたちが通えるような環境作りが必要となるでしょう。
そのため、多くの国で学費の無料化や無料の給食導入などが行われ、就学率が低かったサプサハラ・アフリカのいくつかの国々(ウガンダ、ガーナ、アンゴラなど)や、南アジアの国々(インド、バングラテデシュ、パキスタン)では、就学率が大幅に改善しました。ただしインドやパキスタンでは、公立学校よりも私立学校の方が顕著に子どもの数を増やしていて、両者の間で生徒の学力差は開く一方です。
しかしなぜ、まだ学校に通えない子どもたちがいるような国で、学費の高い私立学校の方が受け入れ児童・生徒を多く獲得するといった逆説的なことが起きるのでしょうか?1つの答えは、公立学校の質がひどく、教育そのものがまともに行われていないことです。つまり、無償化政策をいくら行っても、それに見合うだけの学校教育がなされなければ、親は子どもを公立学校には通わせず、コストが高くても私立の学校へと子どもを送り出します。またインドやパキスタンの場合、低料私立学校と言って、学費が格段に安い私立学校が急増しています(黒崎2015)。実際に、多くの途上国で、給料が安いために、公立学校の教員が無断欠席や副業を行う事例などが報告されています。加えて、たとえばカンボジアでは、内戦のために教師をはじめとする知識層が多く殺害されてしまいました。このため、現在のカンボジアで教師として働く多くの人々が、きちんとした学校教育を受けていないままに教師となっている現実があります。またアフリカの国々では、無償化政策を行うことで大量の子どもたちが小学校へ押し寄せてしまい、1クラスあたりの児童数が倍増するなどの事態も生じました。
途上国政府、あるいは地方政府には、こうした劇的な変化に耐えうるだけの財政的余裕がないために、事態の改善にはとても時間がかかります。このようなカンボジアやアフリカ諸国の事例から言えることは、就学率改善の一方で、教育の質が低下してしまうという現象が、多くの途上国で生じているということです。仮に、貧困家庭に生まれた子供は教育機関として機能していない公立小学校へ通い、裕福な家庭に生まれた子供は私立の小学校に通うような状況が続けば、彼らが労働市場へと参入するときに、それは職業選択の幅の違いや賃金の格差として現れてくるでしょう。
参考文献
1.黒崎卓・栗田匡相 (2017) 「ストーリーで学ぶ開発経済学ー途上国の暮らしを考える」 有斐閣
2.黒崎卓(2015)「教育普及ー産業発展につながる教育支援」黒崎卓・大塚啓二朗編『これからの日本の国際協力ービッグドナーからスマート・ドナーへ』日本評論社,所収
目の前の課題、就学率の低さを改善することに意識が行きがちで、教育の質が上がっていない。ハッとさせられました。教育をする本来の目的といった本質に目を向ける必要があるんですね。
コメントしていただき誠にありがとうございます。
教育を充実させる手段ばかりに注目しがちで、本来の目的を見失ってしまうという点では、おっしゃる通り、本質に目を向ける必要があります。とはいえ、学生が途上国支援を行う意味は確かに存在し、それが重要であることには違いないので、持続可能な途上国支援を続けていけるようにしていきたいと考えています。