学ぶ意義とは?【Junction第2回ミーティング】

こんばんは!Junction共同代表のゆうきです!

先週の2月2日に行った、Junction第2回ミーティングについてご報告します。

今回は、初めてのディスカッションを行いました。テーマは、

「学ぶ意義とは?」

社会問題について話したり、普段の大学生活の中でも、「学ぶ」という行為は行動の基軸になるのではないかと考え、その意義や定義について考えてみたいと思いこのテーマを選びました。

【「学ぶ」ってどんなこと?】

みなさんは「学ぶ」ということはどんな行為を指すと思いますか?同じように「勉強」という言葉などもありますが、「学ぶ」とは少し違うような印象を持つ人も多いのではないでしょうか。

この「学び」と「勉強」の違いについて話した時、予想以上にメンバーの中でイメージの違いがありとても面白かったです。

それは、「学び」と「勉強」はいつもセットになっているのか?ということです。

私は、「学ぶ」ことは「勉強」の上に成り立つものであると考えていました。「勉強」は知識をインプットすること、「学ぶ」ことは「勉強」によって得られた知識をもとに新たに自身の考えを更新することだと捉えていました。

しかし、他のメンバーの考えを聞いて「学び」の概念をもっと広く捉えられるのではないかとも考えるようになりました。

例えば、音楽を聴いたり美術館で絵を見ること。その時に私たちは、必ず何かを感じ取ります。それも学びだと言えるということです。他にも、子供が幼稚園の中で人間関係について学んだりすることも言えるかもしれません。この場合、「学ぶ」ために、知識を身に付ける意味としての「勉強」は必ずしも必要ではありません。

そのような話を踏まえると、「学び」とは私たちが自ら動いて得られる何かなのではないかと感じました。

【なぜ私たちは学ぶのか?】

学ぶのは究極的には生きるためだと考えました。

私たちは、知っている範囲のことしか見えませんし選択できません。

学ぶことで広がるのはこの選択の幅であると思います。

学ぶことで、自分にとって未知であった部分が少しずつ明らかになっていくからです。

学びの中で、新たな領域に関心に目を向け、それも世界の一部分だと許容する、そして場合によってはそれが自身の拠り所となっていく。そうすることで、私たちは生きていくことが出来るのではないでしょうか。

【「自分で考える」とは?】

先ほど、「学び」は私たちが自ら動いて得られる何かなのではないかと書きました。

この「何か」を感じ取った私たちは、その感情や思いを他人に表現するために言葉にします。これが「自分で考える」ということなのではないでしょうか。

思いや感情というのは自分の中でぼんやりとした概念であるだけでは、自分でも不明なものであるように感じます。それを初めて外に出すことで、客観化されて一つの思想が生まれるのだと思います。

そして、そのように形になった考えを共有することで、互いの違いや似ているところを学び、感じ、さらに深化した自身の考えを表現する……という繰り返しなのだと考えています。

ここまで考えると、私たちのオンラインディスカッションの場はまさに「自分で考える」ためのサイクルを回す場所であると思います。積極的に自身の思いを表現していくことで、「学ぶ」ことを楽しみたいと思います。