親、子、もうひとり

「目が細くて狐みたい!ブース!」

この心無い言葉が、私が箏(こと)を始めたきっかけだった。

小学生の頃の私は、見た目を馬鹿にされることが多かった。今考えれば、小学生らしいくだらない話かもしれないが、当時の私はかなり辛い思いをしていたらしい。

特に、「狐みたい!」は相当ショックだったようで(狐に失礼)、その日家に帰った私の様子は明らかにいつもと違ったそうだ。事情を知った母は、慰めるでも、悪口を言った子を責めるでも、学校に相談することもしなかった。

ただ、箏の先生を探し始めた。

「この子は、日本人らしい顔をしているのだから、着物が似合う、そして音楽が好きだから、着物を着てできる楽器を習わせよう。」これは、箏を習い始めて10年も経ってから聞かされた話だ。実際に着物を着てみると、それはまあ似合うこと!(自分で言うな)自分の顔を少しだけ好きになれた気がした。

4人兄弟の2番目の私、1番下の妹とは7歳離れている。比較的手はかからない子だったと思うが、母からは褒められた記憶よりも怒られた記憶のほうが多いくらいだ。母の子どもは私だけではない。他に3人もいるのだから。わかってはいたが少しだけ寂しかった。母もそれは理解していた。だから、自分の代わりに、娘を褒めて、愛情を注いでくれる人を真剣に探してくれた。箏の師匠は、第二の母のような存在となった。たくさん褒めてくれて、だめなことはだめだと教えてくれた。

それは、親に言われるよりも、効果があった。

4人兄弟だからって、みんな平等に同じようになんて、どんな立派な母親だって無理だ。人間だもの。でも、母は、子育てが一人ではできないことを知っていた。第三者の手を借りて私に愛情を注いでくれた。それが愛情であることに気づいたのは、最近のことだ。年齢を重ねるにつれ、師匠を通して母の想いを聞いたり、師匠を通して母への感謝を伝えることができるようになった。そして、師匠にも心から感謝している。

教育を通して、子どもに伝えなければならないことはたくさんある。

「あなたは、誰かにとって、とても大切な存在なんだよ」

と教えてあげることも、大事な教育なのだと思う。


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