「勉強は、もっと楽しめる」
これは、LearnBoのロゴの下に付けたフレーズです。
結構、気に入っています。
勉強は、もっと楽しめる
高校生の時の、僕の言葉です。
勉強をさぼった高校生活
僕の高校は、いわゆる自称進学校というやつでした。
以前Twitterで「自称進学校あるある」というツイートを見かけて、内容の9割近くに「あるある~」ってなったのを覚えています。
当時の先生方には申し訳ありませんが、高校生の僕は大半の授業に面白さを見出すことができず、授業では寝てばかりでした。
特にひどかったのが、世界史の授業。
先生が教科書を音読して、そのままの文章を板書する、
生徒は板書された文章を、手元のノートに書き落とす、
淡々とノートを取っていた隣の席の友達に「楽しいの?」と聞くと、
「勉強なんて、そもそも楽しいもんじゃないし。」と言われました。
「まあ、そりゃな。」と答えましたが、心の中には不満がたまっていました。
勉強なんて、そもそも楽しいもんじゃない、
そんなはずは、ないからです。
教師という、職人
高校の話から遡って、
僕の中学はと言いますと、国立大学の附属中学でした。
地域でもかなり優秀な中学で、何より教師陣がとても素敵でした。
(卒業してから実感したことですが。)
担任は、英語の先生でした。
30代半ばくらいの、面白くて暑苦しいタイプの方です。
松岡修造とルー大柴を 7:3 の比率で混ぜ合わせたような方です。
その方は、教えるプロでした。
英語を教えるのではなく、英語の楽しさや意義を教えてくれました。
教科書はほとんど使わず、楽しくて実践的な英語の授業をオリジナルで行っていましたし、学校としてもそのような教育体制を推奨していました。
英語の授業中、僕たちは間違いなく、勉強を楽しんでいました。
反論したいお年頃
そんな中学時代とのギャップもあり、「勉強は楽しくないもの」という前提がまかり通っているような高校の授業にとても腹が立っていました。
今思うと、先生にも先生の事情があっただろうし、僕自身も何かと理由をつけて勉強から逃げていただけですが、当時は授業に対してとにかく不満ばかり感じていました。
そんな態度だったので、もちろん成績は最悪。
授業どころか宿題も疎かにしていたので、模試の成績もかなり酷いものでした。
しかし時は無情で、受験の時がやってきます。
学力はボロボロでしたが、勉強に向き合わなければならないタイミングが来てしまいました。
「授業が面白くなかったから」なんて言い訳を聞いてくれる人はいません。
↑高校三年時点のセンター模試
この時僕は、最後まで学校の授業はあてにしない、自分のやり方で結果を出して、最後に先生にモノ申したい、そんな決意をしました。(この期に及んで、本当に反抗期こじらせてます。)
自分が正しいと思うやり方、それは
「勉強を楽しむ」というやり方でした。
クラスで一番、受験楽しんだヤツ
学校が終わると予備校の自習室に飛んでいき、いっちょまえにブラックコーヒーなんか飲みながら勉強に打ち込みました。
倫理の哲学者の思想の問題を解いていた時、「問題文が面白くないわ」と思い、偉大な哲学者の名言を片っ端からゆるい関西弁に翻訳しました。
ピタゴラス「結局全部、数やねん」(原文:万物は数である。)
デカルト「俺いま、考えてるやろ。つまり俺はおるねん。これが俺や。」(原文:我思う、故に我有り)
地学の問題を解く時は、ふざけたクイズを自作しました。
問. 太陽の表面温度は?
①約1000度(めちゃアツ)
②約6000度(鬼アツ)
③約36度(ちょいヌルい風呂)
※答えは記事の最後に載せときます。
模試を受けたときは、点数が下がったのを見て悲しくなるのが嫌だったので、
自分でグラフを別製作しました。
オリジナルグラフを作るときのルールは、
①前回の模試より、点数がUPしたときは点を打つ
②前回の模試より、点数がDOWNしたときは点を打たない
皆さんも、模試を受けたら作ってみてください。
右肩上がり、絶好調のグラフの完成です。
ムフフってなりますよ。
こんな、しょーもない工夫を交えながら、朝から晩まで勉強に打ち込みました。
特に頑張ったのは英語。
寝る前に長文記事を40分間音読するルーティンを約8カ月、毎日続けました。
おばあちゃんは、何十分も異国語を唱え続ける孫を見て、何かに取り憑かれたんじゃなかろうかとマジで心配になったみたいです。ごめんね。孫は無事だよ。
人生で最も勉強し、勉強を楽しんだ受験生活でした。
勉強=苦痛?
そんな受験も、自分の中ではあっという間に過ぎ去り、F判定だった神戸市外国語大学に一発合格を果たしました。
合格した安心感と、達成感がありました。
↑センター本番の英語の点数
周りの友達には、合格をつかみ取った人も、一歩及ばなかった人もいました。
友達に「お前なんであんなに寝てたのに、合格してんだよ」と、軽い憎まれ口も言われました。
少し性格の悪い話ですが、僕にとっての勉強は、憎まれ口の彼にとっての勉強ほど辛いものではありませんでした。
僕と彼の差は、
楽しくないものを楽しくないと受け入れるか、
どう楽しむかを試行錯誤するか、
その姿勢の違いでした。
勉強はいくらでも楽しめるし、そのほうが伸びる。
それが、受験を通して証明した自分の答えでした。
(彼とは今でも仲良しです。たまに飲みに行きます。受験の話もします。)
「勉強は、もっと楽しめる」
大学3年生の夏を迎えようとしている今、僕は学生教育団体の代表として活動しています。
どうすれば子どもたちにとっての「勉強」の概念をポジティブにできるか、
そもそもこの考え方は正しいのか、
教育イベントの企画運営を通じて模索しています。
きっと、楽しくない勉強に嫌気がさし、投げ出してしまいたくなっている子どもたちがどこかにいるはずです。わかるよ気持ち。とってもわかるよ。
勉強はもっと楽しめるし、楽しんだほうがいい
それが現時点での、僕の答えです。
↓
あ、太陽の表面温度は約6000度みたいです。
ほら、これでもう覚えましたね。
「太陽の表面は、鬼アツい」