未来の組織はどんな形だろうか?:『ティール組織』再訪

 ここ最近「未来の組織の形はこれだ」という主張がなされることがある。その名称は「ティール組織」という。この名前を耳にした人もそうでない人も未来の組織の形といわれると浮足だつようだ。このティール組織というのは、フレデリック・ラルー氏の手によって新しい組織の形という触れ込みで海外から日本に持ち込まれた概念である。

 これを一過性のブームではなく「ムーブメント」に変えようという動きもあり、本日約500人が参加する(2019年9月14日)大規模なシンポジウムが東京工業大学で開かれた。そして、このシンポジウムに参加しながら、未来の組織の形や働き方がどうなっていくのか少し考えてみた。

 まず、一般に解説されるティール組織というのは若干理解しづらい概念である。

 そこでは組織の中で働く一人一人が自ら目標を設定して経営に参加する「セルフマネジメント」、職場と家庭といった分断がなくなる「ホールネス(全体性・全人性)」、自分が何をすべきか組織が何をすべきかが追及される「パーパス」といったいくつかの特徴が指摘される。だが、正直なところ私はこのコンセプトが当初よく分からなかった。そして、何度も繰り返し読んでいるうちに、ティール組織の本質(著者のラルー氏の理解と一致しているかは分からないが)は「組織というアイデアと仕事の統制市場の自由市場取引化」ではないかと考え始めた(もちろん、熱心な信奉者は「そうではない」と反論すると思われるが、少なくとも経営組織論の伝統からすれば上記が最も重要なのではないかと思われる)。

 どういう意味か、以後書いていきたい。

 まず、ラルー氏自体も認めるように、組織というのは統制経済に似ている。統制経済というのは誰が何をどんな条件で取引するかがあらかじめ決められているということだ。この反対が自由市場経済で、誰と何をどんな値段で取引するかについて個人が自由に取引できるという状態を指す。普段、私たちはこのどちらも利用している。たとえば夜ご飯を作るときには好きなメニューを決めて、なるべく安くて品質が高い店で(食材があまりに高ければメニュー自体を考え直して)食材を揃え、好きな順番で料理に取り掛かる。一方、仮に自分がレストランで働いているとすると、お客さんが選んだものを作ると決め、決まった場所にある食材を使って、店長の指示に従いながら、マニュアル通りに料理に取り掛かる。

 このとき、市場での取引がその都度のものだとすれば、組織での働き方(取引)は長期的で反復的なものである。レストランで注文表にないものを頼まれて、その都度誰かを雇って、その都度食材を買っていては、無駄が多すぎて到底経営などできないだろう。そのため、しばしば人間は組織を作って取引を統制してきた

 ただ、組織がニアリーイコール統制であるという点は、いくつかの不合理も生み出している。たとえば、組織においては誰が何をするのか誰に何の権限があるのかは、部門(営業部、開発部、マーケティング部、財務部、人事部など)と地位(ヒラ、係長、課長、部長、取締役など)によって決められている。しかし、一つ一つの仕事やプロジェクトが必ずしも「その仕事の担当部門・担当役職にいる人が最適とは限らない」だろう。プログラミングなどの先端技術が必要な領域では新入社員が誰よりも詳しいということもあるし、あるいは経理担当者にコピーライティングの才能があるかもしれない(しかも本人も本当はコピーライティングの仕事を求めているかもしれない)。

 その場合、組織内の仕事に対して「この仕事は君の管轄外だから口を出すな」などと言われずに、本当に才能とスキルがある人が自ら手を挙げて取り掛かる方が効果的・効率的かもしれない。ただ、そのためには組織の一人一人のスキルや才能が可視化されていないといけないし、毎回の人材と仕事のマッチングが一瞬でおこなわれる必要がある。だから社内での情報共有システムが必要になるし、それゆえに近年までは実現されなかったともいえる。

 仕事と才能のマッチングが組織内で自由市場的におこなわれるのがティール組織の一つの重要な側面であるとすると、セルフマネジメント、ホールネス、パーパスの意味も分かってくる。こうした状況では各人は自分の才能を使って仕事を自分の管理の下で成し遂げる必要があるし(セルフマネジメント)、そのためには自分自身が組織の縮小版として様々な職務に通じている必要があるし(ホールネス)、組織と矛盾しない明確な目的を持つ必要がある(パーパス)からである。

 つまり、組織内のアイデア・資源・仕事・才能の統制市場を自由市場的に変えるというのがティール組織の本質だと考えれば、セルフマネジメント・ホールネス・パーパスはティール組織の本質ではなく「前提条件」ととらえ直すことができるのだ。

 いずれにしても、企業や組織は人間の才能を最大限開花できるような形へと変化しようとしているのかもしれない。