私がBACKPACKERを書く理由(副編集長)

紙媒体の雑誌文化が廃れつつある昨今、どうして僕たちはあえてお金をかけて紙の雑誌を発行するのでしょうか。そのわけを自分なりにだらだら書いていこうと思います。

まず僕はBACKPACKERを読んでくださった皆さんに、ぜひ旅に出てほしいと思っています。というと上から目線にも聞こえるかもしれませんが、それが率直な思いです。本誌の毎号最後の2ページに掲載している『旅に出る理由』という文章に、それをよく表している部分があります。少し引用します。

 自分の国に帰ってきた時、今までとは世界の見え方が違うことを感じ、

自分の過ごした時間が、かけがえのないものだったと気づく。

そんな体験をあなたにもしてほしいのだ。

この文章は『旅に出る理由』と名付けられている通り、自分が、あるいはあなたがなぜ旅に出るのかということを短く綴ったもので、旅の漠然とした魅力が情緒的に、かつ幻想的に表現されています。文章全体を読むと僕なんかは遥か彼方の都市が心象風景としてぼんやり浮かんできて、そのどこにあるかもよく分からない都市に行きたくなってきてしまうのですが、皆さんはどうでしょうか。ぜひ本誌を手に取ってご一読ください。

 話がずれてきたので、なぜ紙媒体かという問いにつなげていきます。

上記の引用にもありますが、僕は最終的には旅という体験を皆さんにしてもらいたい、という思いをもとにBACKPACKERを作っています。

その上で拡散性や金銭面を考えれば、SNSやwebサイト上で公開するという方法がベターなのかもしれません。が、その場合、閲覧者は基本的にPCやスマートフォンの画面をスクロールして見ることになります。つまりそれらは物理的にはあくまで平面としてしか見られないし、ページをめくる操作も指先に限定され、また視点の移動もほとんど頭を動かさずにできるわけです。そうすると単なる視覚情報として消費されやすくなるし、広大なインターネットの中にあるわけなので再び検索しない限りは見てもらえないでしょう。

 一方で紙媒体にすると、読者は紙を右から左へとめくって見ることになります。つまり雑誌は空間としての広がりを持ち、ページをめくる動作も腕や手を動かして行うことになります。そうすると紙の質感に触れたり、頭を動かして写真を見たりすることで、単なる視覚情報として以上の(大袈裟に言えば)身体感覚に基づく体験が生まれます。さらに雑誌はおそらくは部屋のどこかに置いてもらえるので、ふとしたときに出てきたり、暇なときに目にとまったりしていつか再び読まれるかもしれません。

まとめて抽象的に言えば、紙媒体を選ぶのは物であるがゆえの「身体性」と「再帰性」が生まれるからです。そして「身体性」と「再帰性」こそが、あなたを、あるいは自分をあるとき旅へと誘い出してくれる。僕はそう信じています。

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