どうもこんにちは!今回は前回の「変わるきっかけ編」に続きまして、対人関係が苦手すぎて自分を見失ってしまった話をしようと思います。
中学に入り、ほぼ人間関係がリセットされた私は、むしろチャンスだと思い、ちょっと頑張ろうとします。でも、どう頑張ればいいんや!!!!!
しかしそんな私に、救世主が現れるのです。それが、私の大親友のWちゃんでした。
Wは、私と保育園が一緒で、当時はすごく仲が悪かった友人でした。小学校時代も認知はしているけど会話をしたことはない。みたいな関係性。
そんな彼女と私は家も近く中学一年生のクラスが同じでした。面倒見のいい彼女は、友達作りが苦手な私に自分の友人を紹介してくれたり、遊びに誘ってくれたりしました。そうして、しゃべれることのできるような関係性の友人ができ始めた私は、友人と遊んでいるときに発見をするのです。
「あ、ふざけて人を笑かしとけば、コミュ障でも楽しい時間が過ごせるんや!みんなと友達になれるんや!」
これが、高校時代までの私の”キャラクター”の始まりでした。完全に自己犠牲でふざけまくる。トンチンカンな発言をして、空気を読まないそぶりをして、人を笑わせる。対人関係が苦手なりのやり方を見つけたのです。
今思い出すと、ほんとに恥ずかしいことをたくさんしていました。笑
大勢の人がいる前で踊ったり、授業中にふざけたり、大丈夫?ってなるくらいわけのわからない発言をしたり。
完全にエンターテイナーでした。
当時の私は、思春期真っただ中。親ともうまくいっておらず、自分に価値をあまり感じていなかった分、何も怖くはありませんでした。(前回の投稿で小学校の先生が存在価値を感じさせてくれたといいましたが、当時はそれを実感できていませんでした。)
唯一怖かったのは、人から嫌われることでした。すべての自分の価値を、他人にゆだねていたのです。
そして、当時の私は周りが見えていませんでした。周りの顔色ばかり窺って、「自分が大切にされているか」や、「その笑顔の裏にある心情」が見えていなかったのです。
自分のことを大切にしていない人が、大切にされるわけもありません。私は完全にピエロでした。あまり記憶には残っていませんが、心のどこかに悲しみがずっとあったことだけは覚えています。
中学二年生になり、Wとはクラスが離れたことで、私は自分で人間関係を作る必要がありました。その頃の私は完全に自暴自棄、何とか友達はできましたが、毎日顔を隠すためにマスクをつけ、授業中は寝ていました。そのころ、クラスにはヒエラルキーというものがありました。私はその中で生き抜くために、わざと悪ぶってみたり、眉をそってみたりしました。不器用なりに、ヒエラルキーが高い人に媚びていたのです。
もう、生きるために必死でした。とにかく自信がない中で、どうすればいいのかわからず、私なんか、私なんか、の繰り返しでした。
そんな中で、当時所属していた放送部の部員から、こんなことを言われたのです。
さとこ、悪目立ちしているよ
あなたの発言はいつも客観的、他人事。
ここで私は気づきました。私は、私がどんな人間か、どんな感情を持っているのか、完全にわからなくなっていたのです。いつしか自分が自分から乖離したような感覚を覚えるようになっていました。
私が、自分を見失ったことに気が付いた瞬間でした。
次回は、そんな状態の中、解決法を見いだせず中学三年生になった小野山の話です!