対人関係が苦手だった私~対人関係転換期~

こんにちは!今回は、自分を見失っていることに気づいた中学二年生から、今の人間大好きマンになるまでの重要な転換期についてお話します。記録用自分がたり~

中学三年生になった私は、受験を控えているという自覚を持つのですが、当時の私の偏差値は30台。中学二年生のときに成績が悪すぎるという理由で塾を辞めさせられた上に、夏期講習で言った塾にも入塾を断られ、挙句の果てには担任の先生に公立高校は厳しいといわれていました。「なんかやばいぞ」と思い始めた私は、勉強をし始めました。

私は、初めて本気で頑張りました。

ありがたいことに、学校の先生が放課後も付きっきりで個別指導をしてくれて、成績は徐々に伸びていました。

でも、対人関係が苦手なのに、勉強との両立はできず、私はクラスで一人ぼっちになりました。そういえば、今まで何もしなくても何となく誰かがそばにいてくれて、私からは誰かに話しかけたことなかったな、と、気づきました。自分が周りにどれだけ甘えていて、受動的な人間関係を送っていたのかを知ったのです。

その時に出会った言葉が、ダウンタウンの浜田さんの「人見知りは甘え」という言葉でした。まさにこの言葉を知ったときは青天の霹靂、衝撃が体の心まではしり、同時に恥ずかしさがこみ上げてきました。余談ですが、この瞬間私は完ぺき主義になってしまった詩がします。

私は、何か一つのエンジンがかかると、すべてのものにエンジンがかかる人間です。成績が上がり、偏差値が40台まで行った私は、私の頑張りを認めてもらい、夏期講習で入塾を断られた若松塾に入ることができました。しかも偶然、その若松塾が私の中学校校区に新しくでき、優秀な講師の方々と、レベルの高い生徒が集まっている校舎にに入塾。みんなが頑張ることが当たり前な空間に入ったことが、大きな転換期でした。

私はその塾で、友達作りも徐々に頑張り始めました。休日は友達と図書館で勉強しました。いつも誰かと過ごす日常が始まりました。

もちろん授業についていけるレベルでもなかったため、毎日夜の11時まで塾に残って、先生に質問しまくりました。朝は6時起き、夜は4時に就寝。健康と睡眠を犠牲に、自分の苦手の克服に取り組みました。(これは本当にあとから後悔。何かを犠牲にすることは美徳にされそうですが、何も美しくはないと思います。)

クラスでは、グループが既にできてしまっていたため、相変わらず、学校では一人ぼっちでしたが、でも、少しづつクラスでもしゃべれる友達が出来てきて。偏差値も50代後半に。いいぞいいぞ、自分。いい感じだ。

いままで苦手だったことを克服していくにつれて、自分をどんどん好きになっていきました。いや、基、私が自信を持てていたのは「外面の自分」でした。

次回は、外面の自分と内面の自分のギャップに悩んだ葛藤についてお話ししようと思います!


神徳 紫
2020.12.07

知らなかった過去を知ることができて更に魅力が伝わりました〜♡
そんなに勉強を頑張ったときがあったなんて!!!!かっこいい😆

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