哈喽,大家好👋
freebird関西支部のあっくんです〜
入部して以来ずっと「Pando投稿する」と言っていましたが、今回関西通信特別号で日本人学校に関する記事を書かれるということで、この場を借りて取材回答のフルバージョンをここで共有させていただきます🙌
いざ書き出してみると天津日本人学校の思い出がどんどん出てきて、文章を書くのが苦手な自分でも踊るように文字が並んでいくことに驚きました😂
また、今回の質問意外にも一般的な学校で体験できないような経験やエピソードがいくつかあるので、今度こそ自主的に「天津日本人学校」をテーマとした記事を
次回投稿します!📣
(改めて初投稿のきっかけをくれて有難うございます笑)
1.中国のどこの日本人学校に通ってましたか?
天津日本人学校に通っていました。(正式名称:天津日本人外籍人員子女学校) 現在の日本人学校は空港経済区にありますが、私が在学していた当時は津南区という場所にありました。(2021年9月に移転)
↓[写真は移転後の旧校舎]
2.どんな理由で日本人学校に通うことになりましたか?
簡潔にいうと両親の仕事先が中国の天津にあったからです。 私は日本人の父と中国人の母の間に生まれた日中ハーフで、天津で生まれ育ちまし た。中国に親戚(おじいちゃん/おばあちゃん)がいたり、両親も天津で知り合っ て結婚したということもあり、しばらくは中国で生活していました。幼少期は天津のインターナショナル幼稚園に通っていて、小学校に上がるタイミングで中国現地 の小学校に進学する話も出ていましたが、両親が私の性格を考慮して、学業におい ての競争が激しい中国の学業重視の教育よりも、「知・徳・体」(知識習得と人格 形成のバランス)を重んじた日本の教育の方が向いていると考えたため、日本人学校に通うことになりました。
3.何年間通いました?何歳から何歳までですか?
小学校一年生~中学校3年生までの9年間通いました。
年齢で言うと6歳~15歳までです。
↓[小学校卒業式の一幕]
4.日本人学校の勉強内容を教えてください。
基本的には日本の学校とあまり違いはありません。国語・算数・理科・社会などの 基本的な科目に加え、音楽・家庭科・図工・体育などの副教科もありました。日本の学校と比べると少し小さいかもしれませんが、実験を行う理科室や調理実習や裁 縫ができる家庭科室、そして図工室やパソコン教室などの設備も完備していて、とても充実した学校生活を送ることができました。それらを除いて、日本人学校の特徴的な授業として英会話や中国語の授業がありました。現在であれば小学校から英語教育を行うことが普及してきましたが、10年前にネイティブのALTの先生が主導 で行う授業は珍しいと思います。また、一週間に1回程度中国語の授業がありまし た。中国語の授業では中国人の先生がオリジナルのテキストを使って簡単な単語や 会話の練習などを行ったり、中国の曲をみんなで歌ったり、歌詞の穴埋めゲームを行ったり、学生が中国語に興味を持ってもらえるような創意工夫された授業が行わ れていました。
↓[龍のおもちゃを作った中国語の授業の様子]
5.日本人学校に通って、自分が周りの子と違うと思ったり、困惑する時はありますか?
日本人学校に通っているほとんどの学生は純日本人で、両親の仕事の関係で日本か ら来ている家族が多かったので、自分のような日中ハーフは学校全体で見ても数人しかいませんでした。そういう点においてはマイノリティーでしたが、特に周りの学生と違うと思ったり壁を感じることは全くありませんでした。逆に各学年基本1 クラスしかなかったので、少人数クラスであったからこそ、クラスのみんなとすぐ仲良くなれる環境でした。また、高校から日本に移住し日本の高校に通うように なってからも周りと差を感じることを心配していましたが、使っていた教材や授業 内容もほとんど日本国内の学生と同じだったので意外と周りとすぐ馴染めた印象が あります。
6.日本人学校に通って、友達も大体日本人学校で作りますか?近所の中国人の子と遊びますか?
天津日本人学校ではバスや車での団体登下校が主流で、中国現地の小学校やイン ターナショナルスクールとの交流会以外で、現地の中国の学生と関わる機会はあまりありませんでした。「九河国際村」という、日本人学校に通う学生の1/3が集 まっている集合住宅があり、放課後バスに乗って帰宅した後に友達の家に遊びに 行ったり、敷地内にある公園などで遊んでいた学生が多かったです。私の場合はそのような集合住宅ではなく一般的なマンションに住んでいたので、近くに住んでいる同級生と公園でキャッチボールや野球をしたりしていました。
↓[毎年開催される「九河夏祭り」での和太鼓パフォーマンス]
7.日本人学校で毎年どんな行事がありますか?(例えば運動会とか)
天津日本人学校では運動会や学習発表会、現地の小学校やインターナショナルス クールとの交流会、書き初めや中国文化体験イベントなど様々な行事がありまし た。運動会では全校生徒を紅組と白組に分けて徒競走や綱引きなどの競技以外にも ソーラン節や組体操などの種目もあり、かなり豪華な運動会で、運動会前のシーズンにたくさん練習した記憶があります。また年に一回ある学習発表会では各学年で 一曲演奏し、最後に全校生徒で合唱をします。ちょうど私が中学校3年生の時に天津日本人学校開校20周年を迎え、開校20周年式典として天津音乐厅で演奏や合唱を行い、光栄なことに当時勤めていた児童生徒会長としてスピーチをさせていただきました。交流会では 私たちの学校に中国現地の小学校の学生を招き、福笑いやけん玉などの日本文化体 験を行ったり、日中交流を行いました。また近くのインターナショナルスクール(IST)を訪問させていただき、欧米の小中学校での授業を体験したり、食べ物や ミニゲームなど様々な種類の屋台が出店するファーマーズマーケットにも遊びに行 かせていただくこともありました。さらに毎年の年明けに行われる書き初め大会で は、全校生徒が体育館に集まって、その年の抱負や目標を書きます。そして中国文 化体験イベントでは、花文字や切り絵などの講師をお招きしてみんなで実際に体験 してみたり、みんなで家庭科室に集まって中国の水餃子を一緒に作ったり、学生な がらも様々な文化体験をすることができました。
↓[運動会の様子]
↓[学習発表会の様子]
↓[開校20周年式典でのスピーチ]
8.今思い返せば、日本人学校での生活は楽しかったですか?
現在も日中学生交流団体に所属しているように、中国で生まれ育った私にとって天 津日本人学校で過ごした9年間は私の人生においてとても大きな意味を持っている と同時に、様々な思い出が詰まった素晴らしい9年間でした。もし当時日本人学校 に通っていなかったら日本に来てなかったかもしれないし、今ほど日中交流に興味 を持てなかったと思います。そして、他の日本人学校でも同じかもしれませんが、 先生や友達との別れが多いことが天津日本人学校の特徴として挙げられます。急遽 親の仕事の影響で日本に帰国することになった友達と別れることはとても寂しかっ たし、赴任される先生も長くても2,3年で交代するので、そのような数々の思い出 や「別れ」が私を人として成長させてくれたと感じています。天津日本人学校には そのほかにも上記に書ききれないくらいの思い出が詰まっていて、移転はしてしま いましたが母校としてとても誇りに思いますし、逆にこれからも卒業生として誇り を持ってもらえるように日中友好のために活動していきたいと思います。
↓[帰国してしまう担任の先生との一枚]