数百年前の江戸時代まで、日本にはまだ妖怪がたくさんいました。
なんていうと、胡散臭いかもしれませんが、妖怪は別段スピリチュアルな存在じゃなく、僕は【人工物】だと考えています。
例えば、子供の川遊びの注意喚起をするための【河童】、夜山の危険を象徴する【山姥】や【鎌鼬】などを見ると、妖怪とは、人が意図的に自然の怖さを具現化した姿じゃないでしょうか?
同様に、精霊や怪異の類と言うのは、古来から自然に対する畏怖や崇拝の象徴だったのでしょう。そんな風に、超常を創作することでうまく自然と付き合っていた歴史を日本人は持っています。
現在、劇場公開中の映画【もののけ姫】(こちらは室町時代)を見て、テクノロジーを使って、そんな妖怪たちを今こそ復活させる時では? と感じた話をしたいと思います。
古代日本の自然信仰
日本は今や、無宗教国家と言われて久しいですが、元々のルーツ、神道や仏教が広がる前、縄文時代以前には自然信仰(アニミズム)があります。いわゆる、どんなものにも付喪神が宿るみたいな、八百万の神々がいる【もののけ姫】的な世界観です。劇中でも、自然と人間は共生出来るのか? という問題を中心に話が進みます。ラストでは、たたら場(製鉄所)も森も里山となり、人と自然が共生していく選択を採ります。
コロナや環境問題の高まる中、【風の谷のナウシカ】や【もののけ姫】、【平成狸合戦ぽんぽこ】で描かれた、自然と共生する社会とは? という問題を考えるべき時なんじゃないかと思います。今回の劇場公開も、そのような意図があったのでは? と邪推します。
ARと妖怪のいる世界
現実にはいないけれど、人と自然の間に立ち、注意喚起や意識向上の象徴となってきた妖怪ですが、AR(拡張現実)技術を使えば、彼らの姿や生態までも復活可能です。
例えば、googleグラスのようなデバイスを通すと、ポイ捨てゴミに集まる動物がいたり、そもそもゴミ箱が「ゴミをくれー!」と言っていたり、ゴミ自身が「ゴミ箱に連れてって下さい」、ちゃんと捨てると「ありがとう」と言う、そんな世界が広がってるイメージです。
環境保全へのアクションが難しいことの1つに、問題と貢献が見えないということがあると思います。地球規模の環境変化は、個人には見えない。でも、目の前の1アクションの価値を気付かせてくれる、あるいは価値を与えてくれる存在がいれば、それは案外簡単にしたくなる。
そんな役割に、妖怪のような存在が適しているんじゃないかと。
太古の日本人のように自然の象徴、というような抽象的ものを我々現代人はもう信じられない。だからといって、身の回りにある自然の悲鳴に耳を傾けることも難しい。現代に必要だったのは、自然と人間の架け橋ではないでしょうか?
おわりに
環境問題への取り組みって、基本的に面白くはないと感じます。環境のことなんて忘れた方が楽しくて便利に決まっている。その結果、僕らは今なお環境を破壊し続けている。しかしだからこそ、環境への取組にどんな面白さをデザインするかが重要なのだと思います。
環境を考えることは大切だろうし、正しい。でも多くの人にとって、それは面倒で退屈。でも、自然の代弁者として、おもしろおかしい妖怪が日本に、世界に蔓延れば、少しだけ世界が良くなるんじゃないかな、と考えたりします。
SDGsってどれも目標にしないといけないような、退屈で面倒なことばっかりなんです。
そんな退屈を、日本の妖怪(あるいはポケモン?)が2025年の大阪・関西万博の場で吹き飛ばしてくれることを目指して、あと5年、僕も頑張っていきたいと思います。
自然環境に対して良いことしたら、河童とか鎌鼬が喜んでありがとうと言ってくれる世界線ですね!発想神ですかよ。