「伝える」ためには

こんにちは! 3年の早野徳馬です。オードリーのオールナイトニッポン聴取に耽る今日この頃です。死んでもやめんじゃねえぞ!!


しばらく間を空けてしまいましたが、2回目の投稿になります。今回は自分の思う国際交流と、それに付随して自分が所属するPALプロジェクトについて書きたいと思います。
かなり長くなるかと思いますが、ぜひ最後までご覧ください。



さて僕の思う国際交流についてですが、これを真剣に考えるきっかけになったのは大学の語学研修でした(IIRとは関係ないです、すみません笑)。
法学部のドイツ語インテンシブコースの海外研修というもので、1年の春休みの3週間ドイツの語学学校でドイツ語を勉強し、その他にもフィールドワークを行ったり週末は観光したりと非常に有意義なものでした。キッチン付きのホステルに泊まっていて基本的に昼食以外は自炊だったということもあり、海外にほとんど行ったことがない僕にとってはすべてが新鮮でした。エアフルトという旧東ドイツ域の比較的物価が安い都市に泊まっていて、近くのスーパーの安すぎる酒を毎晩みんなで飲んでました。幸せいっぱい。

しかし前回の記事にも書いた夏のインドネシア渡航とは違い、自由が多いからこそ難しいことも多く、自分がその地において「外国人」であることを強く意識させられました。


僕が感じた一番の文化の差は、挨拶の違いです。買い物をしに店に行き、レジに並び店員さんと相対した際、「ハロー!」と声をかけられました。それが何だと思うかもしれませんが、僕にはとても新鮮に感じられました。
挨拶をすることによってただ「こんにちは」というだけでなく、自分は商品を見に来ました、自分は怪しい者ではありません、といった意味合いも込められているそうです。逆に挨拶をしなければ、相手に何か挨拶できない事情があるのだろうかと思わせてしまう可能性もあるようです。

日本の場合を考えると、店員さんから「いらっしゃいませ」と言われても何か返事をする人はほとんどいないと思います、いないというか、そういう感じじゃないと言いますか。
日本に留学していたチューターさん曰く、コンビニで店員さんに「こんにちは」と言ったらすごく困られてしまったそうです。なんとなくわかるというか、イメージはできますよね。

ドイツを始めヨーロッパでは、挨拶をするときは相手の目を見てきちんと言うことが礼儀であり、またお互いにいい気持ちになれるといった考えがあります。本来挨拶とはそのようなものであるべきだと思いますが、日本でとりわけ店員と客という関係においては、挨拶が本来の目的から外れていささか作業化されているようにも思えてしまうんですよね。
これらは文化的なことなので良い悪いという話ではないですが、ヨーロッパの挨拶の文化に触れたときに心地よく感じられたというのも確かでした。


週末に観光でベルリンを訪れた際は、その不思議な光景に驚かされました。
そこではドイツ語だけでなく英語、スペイン語、中国語など様々な言語が響き合い、目の色も髪の色も肌の色も様々な人々がいて、ここは本当にドイツなのかと疑いたくなるぐらいでした。
売店の店員さんにドイツ語で話しかけても帰ってくるのは英語。極端な話、ドイツの首都なのに公用語がドイツ語になっていないのではないかとさえ感じました。
にもかかわらず、ドイツ人と外国人観光客のやりとりは円滑に進んでいるように見え、全く違和感がありませんでした。


これからの東京は、来年のオリンピック・パラリンピック開催や外国人労働者のさらなる受け入れ、そして新型コロナウイルスが収まった後その反動でより多くの外国人がやってくると思います。東京もいずれベルリンのように聞き慣れない言語が飛び交う都市になるかもしれません。そう思った矢先に、1つ不安に思うことがあります。

「果たして僕たちはこれからやって来る彼らと本当に上手くやっていけるのか?」

例えば、言語が1つの障壁になるかもしれません。
もしレストランに日本語ができない外国人が入ってきたとしたら、おそらく多くの店員は対応に戸惑って相手の外国人は不便と感じてしまうかもしれません。最低限のやりとりはできても、そのメニューに自分の苦手な食べ物が入っているかどうかなど、日本語で書かれたメニューだけではわからないことを聞きたい場合のような細かいやりとりは難しい、という場合もあるかもしれません。
せめて英語が堪能だったらと思ってしまうときもありますが、「伝える」ということに求められるのは語学力だけではない。そう感じさせてくれたのが、昨年の研修でした。



「ハロー!」という一言が、人々の心の扉を開いてくれる。
エアフルトであってもベルリンであっても、ドイツの店に入るとまず店員さんからこう声をかけられます。ドイツ語に精通していない僕にとって、この気さくで何気ない一言が緊張をほぐしてくれました。マニュアルなどによらず心の底から発する挨拶は、いつも清々しい気持ちにさせてくれました。
僕はまさしくこのような言語を飛び越えた相手を思いやる気持ちこそが、コミュニケーション、異文化理解、国際交流の根底にあるものなのではないかと感じました。

普段は日本にいるただの日本人の僕が、異国の地に赴き外国人になったことで、日本にいるときよりも一層相手のことを慮り、どういう振舞い方や接し方が相手にとってベストであるのかを真剣に考えられるようになりました。
ドイツ語能力の向上・実践という一義的な目的だけでなく、僕にとってそれ以上のものを得ることができた研修でした。


僕は現在PALプロジェクトに所属しています。
PALプロジェクトは“Promoting Asian Leadership”の略で、数あるIIRのプロジェクトの中で「将来のアジアを担うリーダーの育成」というところにフォーカスしたプロジェクトです。
今年はサブテーマとしてさらに“Show your map, Respect other routes”を掲げています。
これは目標・目的に対しての自分の道筋・考え方を示し、その上で他者の意見を傾聴し取り入れ視野を広げることで、より良い方向に進んでいくという意味だと僕は思っています。
人によって上記のような道筋や考え方はそれぞれ違います。そして違うからこそ、それぞれの意見1つ1つに意味があると思います。
意見だけでなく、リーダー像も人によって異なります。しかし今回僕たちは共通して必要な理想のリーダーの要素として、様々な意見に対し1つ1つに傾聴し視野を広く保ち、「違い」を活かすことができる能力を特に取り上げたというわけです。
僕はこのリーダーシップへの第一歩として、この記事で口酸っぱく言ってきた相手を思いやることが必要であると強く思います。このコミュニケーションの基本なくして、良いリーダーには決してなれません。



現在新型コロナウイルスの影響で活動が大幅に制限され、大変厳しい状況下にありますが、この理念だけは崩さず自分のできることを考え自分なりのリーダーシップを発揮していきたいと思います。
もしこの記事を最後まで読んでくれた根気強い1年生がいたら、きっとあなたはPALに向いていると思います。ぜひ前向きに考えてみてください!
非常に長ったらしい記事となってしまいましたが、最後までご覧いただきありがとうございました!!

早野徳馬