今、私の手元にスマホがありません。
タイのドンムアン空港に忘れてしまいました。
こんにちは!学生団体アイリス新2回生の河岡愛実です。先程スタツアから帰ってきました。
本来なら2週間ぶりの自分の部屋でのんびりSNSでも見ていますが、スマホがない私はずっとぼーっとしています。ぼーっとしながら思い出に浸っています。
せっかくなので帰りたてほやほやな状態でラオスについて考えてみようと思います。
ラオスと日本を比べてみると、やはり日常生活の快適さが違います。
スタツアでラオスを訪れたとき、アイリスメンバーと
ホテルのシャワーの水圧めっちゃいい!!
廊下に出たらWi-Fiめっちゃつながるよ!!
という会話をします。
しかし、日本では当たり前のことです。
日本ではちょっと歩けばコンビニへ行けます。ハエをはらいながらご飯を食べなくていいです。レストランでテーブル汚いなーって思うことも無いです。
外では車が走る音がします。水道水でうがいできます。トイレの水が自動で流れます。お金を払わないとトイレを貸してくれない家もありません。
私は毎回帰国したとき、
快適だー!しあわせだー!!
と感じます。日本人でよかったと心から思います。とても快適な日本が大好きです。
ラオス人が日本にやってきたらどう思うのでしょうか?
ラオスの人々は生まれたときからラオスにいます。ずっとラオスにいます。この快適な生活を知りません。
ラオスへ帰国したとき、私たちみたいに
やっぱラオスって最高ー!しあわせやー!!
と感じるのでしょうか。
はたしてどっちが幸せなのでしょうか?
快適な世界を知っている方が幸せなんでしょうか?
いや、この快適さを知ってしまったから発展途上国へ行ったときに私たちは文句を言ってしまうのでは? それだったらずっと知らない方がいいのでは?
けれど、それならラオスで暮らす人々はこんなに生活しやすい世界を知らずに、一生ラオスで暮らすことがはたして幸せなのでしょうか?
今回のスタツアで、アイリスは以前建設したノンブア小学校の支援を正式にやめることにしました。地域が社会主義であるため、教育を受けて子供たちが村から出て行ってしまうのを望まなかったからです。
私は勝手に「幸せ」を決めつけていました。
勝手に 教育支援=いいこと、嬉しいこと、幸せなこと
だと思っていました。
しかし、すべてのアイリスが建設した小学校がアイリスの教育支援を断ったのではありません。
アイリスは
サンティス、ノンブア、タバーク
の三校を建設しました。
その中の二校、サンティスとタバークはアイリスの支援を快く受け入れています。
これからノンブア小学校への訪問や支援物資を届けることができなくなることはとても残念ですが、代わりにラオスの他の小学校の支援に費用を充てることができます。
日本だけではなく世界の観点から見れば、「幸せ」の定義が異なりすぎて自分が考える幸せに自信がなくなってしまうかもしれません。
日本で生まれ育った私の勝手な個人の意見としては、ラオスの子供たちによりレベルの高い教育を受けてほしいです。より快適な環境で授業を受けてほしいです。
なぜなら、教育を受けることによって子供たちの可能性が広がります。世界を知ることによって5個ぐらいだった選択肢が100個になります。
私がアイリスに入って視野が広がったように、ラオスの子供たちにもたくさんのことを知ってほしいです。たくさんのことを知った上で、夢を叶えてほしいです。
だから、私はこれからもアイリスの一員としてラオスの小学校の支援を続けていきます。
学生団体I-RIS 河岡愛実