An Introduction

6月30日以来、約4ヶ月ぶりの投稿になる。
以前記事を書いていたときは、春の京都の観光客の少なさに驚き、自分自身が新しい生活の方法を模索しながら、学校の授業やミーティングなどのオンライン移行の波にもまれていた。

さて、4ヶ月経った今はすっかりその新たな生活様式に慣れ、人々がコロナにも慣れたのか、シルバーウィークの京都は例年通りとまではいかないまでも、観光客の姿が多く見られた。

今回は、これから我々Katharsisのメンバーが届ける記事のイントロダクション(序章)として、「なぜ私たちが記事を書くのか」について触れたいと思う。




4ヶ月前の投稿を見ていただいていた方はお分かり頂けるだろうが、私たちKatharsisのメンバーが書く記事には「正解」が示されているものは何一つとしてない。

むしろ、記事の初めか最後に、「これは絶対ではない」と明示されていることが多い。

伊藤浩太郎「あなたはそうめん人間?」

あなたはそうめん人間?

伊藤 浩太郎
カタルシス

山本周雅「あなたの心の中にいる「チー牛」。」

あなたの心の中にいる「チー牛」。

山本 周雅
カタルシス

自分自身の意見に消極的であると思われる方もいるかもしれない。

しかし、私たちは、記事を書くことで、「ゴール」を明示するのではなく、一つの「選択肢」や「方法」、「考え方」を提供したいのだ。

実際に、Katharsisのメンバーの中でも考え方の相違などで意見が対立することはよくある。以前の記事を読んでいただければ分かるように、それぞれ思考することが異なっているからだ。

一般的に「対立」というと良くないイメージがあるかもしれないが、私自身は対立を完全に悪だとは思わない。

対立とは、二つのものが反対の立場に立つことである。
これは2つ以上でも適応されると考えていて、Katharsisでは、よく複数間での対立が生まれる。

では、なぜこれが、「悪いこと」ではないと思うのか。

それは、1つのモノ・コトに関して、それぞれが自身の思考をしていることの裏付けであるからである。
もちろん対立の限度はあるが、それぞれが異なる思考をしながら、共創できるのは素敵なことだなと思う。


さて、話が広がったがまとめに入ろう。

今回のタイトル「An Introduction」

タイトル通り、この記事は「序章」である。
これから投稿されるKatharsisメンバーの記事を読んでいただくための序章だ。

是非色々な価値観に触れ、自分自身が思考し、対立・共感をして欲しい。
もし、それを吐き出す場所が近くになかったら、Katharsisにきて、スタッフに、その場にいる人に投げかけてみて欲しい。



「おまけの話」

今回の記事のトップの画像は、京都市京セラ美術館の「天の中庭(Sky Courtyard)」にしてみた。
京セラ美術館の1階中庭から眺める空は建物に囲まれ、狭くも感じられたが、夕陽に照らされて飛ぶ鳥の羽が美しく切り取られる空間でもあった。

今回の企画展「京都の美術 250年の夢」の中にあった西田幾多郎氏の著名な書が印象に残ったので最後に添えておく。

人は人吾は吾なりとにかくに吾が行く道を吾は行くなり

文:山下栞奈

まさなり
2020.10.26

いいビジョンですね。応援したいわ。

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