私のラベルとルーツ

会社帰り、電車待ちの池袋駅のホームでPandoを開いたら、上司の児島さんが書いたPandoの記事が上がっていた。

思考の旅路 ~ビジョン・マインド~

児島 誉人
株式会社クインテット

つくづく思うが、児島さんの記事には深みがある。読んでてじんわり温かいものが広がっていく感じがする。個人的にPandoで人におすすめしたいユーザー。

ちょうど他の記事を書いていたが、この記事を読んで触発された。
自分のルーツは何なのか。


■私のラベルとルーツ


私は元々自己肯定感が低い人間だ。

理由は色々と思いつくが、昔から良かったことはすぐ忘れ、嫌なことや怖かったこと、失敗したことをずっと覚えている。原因の一つはこれだと思う。


小学校の下校中。後ろから大声で呼ばれて振り返ると、同学年のやんちゃな男の子2人が見えて、その瞬間、頭の中に「ガッ、」と響く音がして、眉間に痛みが走ったこと。初めて人から石を投げられたあの日。数センチずれてたら失明だった。ある意味運は良かったと思う。

それから中学のときに、捨てアドレスから、「調子のってんじゃねーよ」「キモいんだよ」と罵詈雑言のメールが届いたこと。

放課後の部活前、部室棟でみんなで練習の準備をしていたときに、校舎の向こうから歩いてきたやんちゃな女子(敵対派閥) 2人に、「調子のってんじゃねーよ」「ブス」とか何とかみんなの前でいきなり大声で罵倒されたこと。

あとは学校行事の運営委員として、準備のために学年集会で質疑応答会を開いたとき。
生徒の質問にうまく回答ができていなかったらしく、行事担当の先生に「石田はダメだ」と諦めの感情で言われたこと。あの時の「使えない」というような、笑うような目は忘れない。


他にも色々あるけれど、思い返すとこんなことばかり出てくる。

捨てアドからのメールには、届かないだろうとは思いながら反論メールを返信した。部室棟へ押しかけてきた2人には正論を言い返して追い返した。帰るくらいなら最初から来るなよと思いながら・・・。平気ではなかった。声は震えるし膝はがくがくしていた。笑 精一杯の自己防衛だった。


こう書くと暗い学生時代だったのかとも思うが、でもちゃんと仲の良い友達もいたし、部活も打ち込みながら学校行事の委員などもよくやっていた。
はっちゃけるほどではないけれど、明るく「ちゃんとした」生徒だった。

なんなら模範的な生徒に分類されていた。

本当に嫌だったことについてはその後もしばらく覚えていて、日常生活を送ることが怖くなったこともあった。
怖かったけど寝て起きたら忘れるから大丈夫と、友達に冗談で言いながらどこか本気で自分に言い聞かせて安心しようとしていた時期もあった。


■ラベルを貼られたし、貼られることで安心していた


「ちゃんとしている」「優等生」のラベルは、その後の中学でも高校でも貼られた。小学校の頃から正義感も強かったのもあって、正直貼られることにまんざらでもなかった。

その上で、それに応えないといけない。応えることが自分の存在価値につながると、ずっとどこかで思っていた。

子供の頃は、弟と2人姉弟で育てられる中で、どこか自分は長男のつもりで過ごしてきた所があった。石田家の一番上としてしっかりするんだ。両親から、長男のようにあれ、と直接言われたことはないけれど、お互いにその認識は確かに存在していた。「ゆかは長男らしいところがあるよね。」

どうして自分は長女なんだろう、長男なら良かったのに。弟よりも愛想がよくて、大人の人ともしっかり会話ができる自分の方が、「良い」よね? と思っていた。

今でこそ何も思わないけれど、小学生の頃は弟をライバルのように見ていた感覚があり、弟よりも優れていたいと思っていた。同時に、弟を守らないといけないという意識もあった。周りの子より、考え方や価値観、在り方に「女の子らしく」という概念が少なかった気がする。両親はそれを「悪い」とは言わなかった。何なら堂々としている私を見て喜んでくれた。そういうのもあって、いつしか「そうあらねばならない」という思い込みが強くなっていったと思う。


中学の頃、図書室の掃除当番だったときに、うっかり机の上にあった花瓶を落として割ってしまったことがあった。

図書室担当の先生に謝りにいくと、今日中に新しいものを用意しなさいと言われた。大急ぎで家に帰って母親に事情を説明すると、すぐに出かける準備をして、一緒に花瓶を買いに行ってくれた。そのまま学校に戻り、先生に謝ってくれた。

申し訳ないことをした。
私のせいで頭を下げる母親を見て、もっとちゃんとしなきゃ、と思った。

そんな感じで気付いたら、何か失敗するたびに自分に理由を求めるようになっていた。
「自分がしっかりしていないから」。
だから、いい子でちゃんとする。そうすれば喜んでもらえる。
「調子にのっている」なんて言われない。トラブルにも巻き込まれない。
目立たないようにする。ちゃんとする。

いい子ちゃんでいればいるほど先生や周りから評価される。認められることで安心し、自分の価値を確かめていた。

でも一方で、それを見てイライラしていた人がいたのだということは、当時はまだ分からなかった。

いい子でいる
→誰かの鼻についてトラブルに巻き込まれる
→目立たないように大人しく、もっといい子でいる…

今でこそ、大半は妬みや嫉妬、からかいの類でされていたのだと分かる。でも完全にいじめの構図だった件もあるし、いい子ちゃんな私が文字通り「ウザくて」、隙あらばいじめるつもりだったんだろう。一歩間違えたら本格的にいじめられていたと思う。頑張って追い返して良かった。


■ラベルと乖離がある自分


できる限り強がっていても、いわゆる多感な時期に散々調子にのっていると言われたこと。トラブルに巻き込まれたことは、私の性格に大きな影響を与えたと思う。 

真面目であること=我慢することの反動か、自分を自由に表現できるものや表現されたものが大好きだった。今でも好き。幼少期に田舎でのびのび育ったことも理由かもしれない。教科でいうと、図工、美術、音楽。夏休みの自由工作やダンスも好きだった。つくった作品はよく展覧会に出してもらえ、金賞を取ったこともあった。美術展とか理科展とか出してもらえてとても嬉しかった。
大学では演劇部で役者を選んだことも。昔から小説や、美術の資料なども大好きだった。自分で創りだすことの楽しさ。そして人が生み出した世界観にどっぷりつかるのは心地が良かった。

「自分の感情や考えを自由に表現できるのが楽しかった」

そう思うということは、やはり私にとっての「真面目」は苦しかったんだと思う。

真面目でちゃんとしている、ということに意味を感じていた自分には、ミスやできない自分を知ることはとてもきつかった。価値がなくなると思っていた。

「「調子にのっている」。だからミスしたんだ。」


いつの間にか悪いことや上手くいかないことの理由を、必要以上に自分に求めるようになっていた。

アルバイトを始めて、店の動きをなかなか覚えられなかったことや、新入社員として入社した1年目、教育担当や上司の求めるレベルに足りなくて、同期と隣の課同士、毎日叱られたこと。(本気で叱り続けてもらえたことにはとても感謝している。あの1年間指導してもらえていなかったらと思うと怖い。)

それから人事に異動してすぐ、営業からの異動にまだ心の整理がつかなくて前向きに仕事に向かえなかったことも。

人事として「こうあるべき」に達しない。周りはそうは思っていなかったのかもしれないけれど、当時は必死に、ただ自分に原因を求めていた。

できない自分が悔しくて、会社で、駅のホームで、電車の中で毎日泣いていた。できないのは全て自分のせい。自分は本当はポンコツ。できないのは悪。高校くらいから、自分にできないこと、どうしようもないことが増えてきて辛かった。


■できないから、認められたいから頑張る

よく向上心があるね、と言われる。
嬉しい反面、私の向上心が強くなったのは、単純に自分がやりたいから、興味があるからというだけでなく、認められたいからという理由もかなりあると思う。知識を吸収しなきゃ、役に立たなきゃ意味がない。あとは負けず嫌いなこと。前職、社会人1年目で不動産の国家資格に2つ同時に合格したのも、一番は課の先輩や上司に認められたかったから。


ネガティブな感じになってしまっている(?)けれど、この性格のおかげで得られたものもたくさんある。だから過去は否定しない。

傷ついたりへこんだり、反対に傷つけたりした分、ちゃんと辛さや悲しさ、人の痛みを分かってあげられる、分かってあげようとする人間になりたいという意識も強くなった。そのおかげで感謝されることもたくさんあるし、悪かったことを覚えているから反省もできて次に活かせるし、この性格も悪いことばかりじゃなかったなと思える。

たくさん経験して、色んな人に会って、外の世界を少しずつ知って、価値観をアップデートして。

社会人になってからは自由に生きている友達が周りに増えてきて、そんなに頑張らなくてもいいのかなと思うようになれた。

用意されたレールからも、少し降りてみても良いと思えるようになれた。

関わってくれる全ての人たちのおかげで今がある。



■ぜんぶ生まれた瞬間からの積み重ね

真面目であることは、私の今のビジョンに強く結び付いている。

これまでこの真面目な性格を起点に自分のビジョンを考えていたけれど、突き詰めていくと、子供の頃からの様々な積み重ね全てが今の自分に繋がっているということ。

考えてみれば当たり前のことだけど、改めて思い返して向き合うことで、自分が何者なのか、はじまりはどこか。それを紐解けて、また一つ地に足がついたというか、どこか安心感が大きくなった気がする。


■自分のルーツを知ることは、就活の土台になる

先日、ある大学3年生の方と、就活やその先に描く目指したい姿などについてお話しした。

インターンや業界研究も大事だけれど、それ以上にまず自己分析→ビジョンが肝だと思う。

自分は何なのか。
何を目指したいのか。
どうありたいのか。


それが確固としてなければ、納得感を持って仕事を選べない。実際にそうやって選びきれずに「失敗した」と嘆く学生は前職でも山ほどいた。

納得できないから、「来月まで。。秋まで。。冬もあるし。。」とだらだらと就活を続ける。
いつの間にか企業の採用が終了していき焦る。
友達の内定先が知っている企業名で焦る…。


大手企業の仕事が、必ずしもやりがいのある仕事じゃないのに。
大手だから仕事が楽しいわけではないのに。
福利厚生が手厚いことは、仕事の楽しさには直結しない。

「良い会社」の定義は人によって違う。

自分のルーツを知る。そこから、何を大事にしたいのか。どこを目指したいのかを明確にすること。まだ就活なんて先、と思っている人もあっという間なのが就活。私も一瞬だった。でも濃かった。

社会人の第一歩を力強く踏み出すために、時々振り返って自問自答して。あの学生さんには頑張ってほしいと思う。

Qwintet life
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