「共感経営」と自律

VUCA(ブーカ)の時代と云われる。
VUCAとは、以下のワードの頭文字を取った単語です。

  • Volatility(変動性)
  • Uncertainty(不確実性)
  • Complexity(複雑性)
  • Ambiguity(曖昧性)

100年に一度の危機と呼ばれるコロナ禍で、これまでの延長線上の考えでは戦略もマネジメントもマーケティングも通用しない。前例がない状況だからこそ、これまでのやり方や成功体験に依ることはリスクでしかない。であれば、何が必要なのか。そんな思いをもって「共感経営」を読みました。本書が提唱している3点「分析的戦略の限界」「物語り戦略」「自己組織化」について、自身の考察を交えて紹介したいと思います。

  • 分析的戦略の限界
    「共感経営」は、マイケル・ポーターが説いた市場分析的なサイエンスとしての分析的戦略の限界を本書では訴えています。分析的戦略は、導かれる解の論理的な正しさが問われてきました。過去及び現在の所与の条件から論理的に推論し、解の根拠を構築するフォアキャスト(予測)の戦略です。また、分析的戦略は「競争に勝つ」ことが前提になっています。すでに市場があったり、市場が成長していく中で、どのようなポジショニングを取るのか、シェアを取っているのかを模索していくのですが、VUCAワールドと呼ばれる現代の市場環境に分析的戦略では対応できないと著者は語っています。それは市場に明確な解がないからです。

    分析的戦略の決定的な問題は、経営の主体である「人」が不在であること。絶えず動く現実の中ではベストな解は誰にも分からないし、辿り着けない。そのため、分析的戦略を繰り返しても、そこからイノベーションが生まれることはない。


  • 物語り戦略(→自律創造戦略)

人間は自らの生き方を実践すると、そこに物語が生まれます。一人ひとりが他のメンバーたちと相互に作用しながら、自己の物語りを通じて、組織の歴史を生み出していくという自覚をもつとき、自己の思いや生き方の価値観と企業の存在意義、すなわち、共通善が重なり合い、それぞれの思いや価値観が組織のなかで正当化されます。そして、その思いや価値観が仕事のなかで実現し、成果に結びついたとき、自己の生き方の高次な意味が生まれるのです。誰もがよりよく生きる未来に向け、企業として目指す共通善を実現するため、(中略)知を共創していく。それがヒューマンセントリックな物語り戦略の在り方です。(*引用:「共感経営」)

本書が提唱する「物語り戦略」は、人の思いを起点にしています。自分は何者なのか、自分の使命は何か。自己を向き合い、そこから見出された思い(ビジョン)を発信することで、応援者や共感者が現れて、個と個が出会い、自然発生的に集団となり、思いをひとつにした集団は組織となり、さらに強いパワーを持ち、社会を変えていく。
現時点から何を変えていくかという分析的戦略ではなく、現時点の課題から成し遂げたい世界(ビジョン)を明確にして、どうすれば現実を変えられるかという未来から現実をみるバックキャストの戦略によって成り立っています。

本を読んで思ったのが、「物語り戦略」という言葉より「自律創造戦略」というネーミングの方が私にはしっくりきました。分析を繰り返しても、創造知は生まれない。いくら現状を分析しても、イノベーションは生まれない。自分は何者なのか、何を為すために生まれてきたのか、この社会に正すべき課題は何なのか、という強い思いがあると同時に、企業が掲げる理念や存在価値とシンクロした結果、自らの意志で貢献をしたいと思える、その力こそがイノベーションの源泉になるのではないか。

本書には、様々な企業の事例が紹介されています。日本環境設計株式会社の岩元社長は「石油を一滴も使わない社会を目指す」と宣言。その思いは、地球資源を奪い合う戦争をなくすため。彼の揺るぎない思いに、良品計画(無印良品)の井政会長が共感し、プロジェクトに賛同。井政氏が動くと官庁までが動き出した。そして、ポロエステル線維を分解して樹脂にし、もう一度ポリエステルの糸を作り出す技術を開発。その後、「あなたの服を地球の福へ」というキャンペーンを展開。このようなことは、市場を分析したり、アパレル会社を訪問して課題をヒアリングして見つかることではありません。ニーズとして見えるものではなく、自身の心の中にある思いが起点になっています。

  • 自己組織化
    「自己組織化」とは、複雑系科学の概念。自然界のある動きが、自らの組織立て、自律的に秩序を生み出す現象。例えば、雪の結晶はとても美しい六角形をしています。これは人工的なものではなく、水の分子が集まって自然にできます。本書では、人間の組織にも当てはめることができると書かれています。

管理ー非管理”の関係を超え、自分の役割と価値を理解し、自らを動機付けながら、自律的に動いて主体的にコミットメントし、新たな知を生み出していく。その相互作用により、全体で高度な知が創発される。個の主体的なコミットメントを引き出すのは、組織そのものではない。メンバー一人ひとりが自律的に動き、実践知を発揮すること。(中略)第一線に立つ一人ひとりが自分で考え、行動する自律分散的なネットワーク型組織であり、メンバー同士が共感で結ばれているほど、強い戦力となる(引用:「共感経営」)

旧態依然としたヒエラルキーを遵守した組織では、個の発言は抹消される。抹消される以前に、個の思いを持つことすら無意味に現場は感じてしまう。そうなると、会社や上司の指示を待ち、指示を遂行することだけが目的とする組織になる。上司の期待を満たすだけの仕事は自分自身を消耗し、このままでいいのかという迷いを生む。会社は迷いを排除するために、さらに管理を強化する。信頼関係を失った組織は、自走することはなく、イノベーションとは乖離した会社文化になる。

  • まとめ
    VUCA時代、コロナ禍。今思うのは、本質が問われているように思う。会社や学校などという組織に属することで、自分のアイデンティティをギリギリ保っていた個人が、先送りにしていた「自分は何者なのか」「どう生きるのか」という本質的な問い。その問いに対して、日常の些末なことに忙殺されることが救いであったのかもしれない。日常を送ることで生活はできるけれど、どこか満たされない心は次第に消耗されていく。しかし、コロナ禍で状況は一変。仕事は労働時間の対価ではなく成果にシフトし、「働く」ということそのものがどうあるべきかを社会が問い直している。会社や学校などの所属で自らの存在を認めさせようとしても、それは会社や学校の存在であり、無である個人は、どこまでいっても無となり、個人の存在を主張するができないことに気づく。無はゼロだ。自分以外に存在意義を求めても、無である個と掛け合わせてできるのは無しかない。迫られた状況からくる焦りを感じる必要はなく、むしろ好機と私は捉えている。「共感経営」を読んで、その思いを一層強くすることができた。

    自律創造社会を作るためには、ビジョンを発信し、共感・共鳴できる場所があればよい。それがPando(パンドゥ)だ。Pandoがビジョンプラットフォームとしての役割を担う。しかし、システムは主役ではない。そこに魂を吹き込むのは、個々人のビジョンだ。ビジョンを共有した個人と個人が出会い、同志となり、集団となり、組織となり、やがて社会になるそうすれば、自分たちの手で時代を変えられるのではないかと私は未来を創造する。
Qwintet life
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