ろしあごであそぼ その5 АБВから始めるロシア語

【メイン画像について】
黒レンガの壁に書かれたロシア語のアルファベット。この画像は、写真ACでダウンロードした黒レンガの壁の写真を背景に用いて作りました。

 

皆さん、こんにちは。東大ロシア語愛好家ブロガーのSullivanです。

今回は連続投稿企画「ろしあごであそぼ」の第5段(最終回)として、ロシア語のアルファベット33文字それぞれについて、その文字から始まるロシア語の格言や名言を紹介していきます。
とっつきにくく思われがちなロシア語のアルファベットに対して、親近感を抱けるようになるような記事を目指していくので、どうぞ気楽に読み進めていって下さい。

これを読んで「ロシア語、なんだか面白そうじゃん」と思う方が少しでも出てきて頂けると、筆者としてこれ以上嬉しい事はありません。

それでは、早速始めていきましょう。

 

<<謝辞>>

この記事を書くに当たって、実はとあるTLP生の仲間と東大のロシア語の先生にアイデアを募集しました。このお二方から頂いたアイデアを元に、自分で情報を調べ直し、記事を書いたので、この記事の正確性の全責任は私にあるのですが、お二方のご協力がなければ、このような記事を完成させる事が出来なかったのもまた事実です。
お忙しい中貴重な情報を授けて下さったお二人に、この場を借りてお礼申し上げます。

  

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А アー

Артель атаманом крепка.
アルテェーリ・アタマーナム・クリェープカ

大勢は首領によって固くなる。

良いリーダーはチームを上手くまとめ上げる」という意味の格言です。
артель = 協同組合、大勢。ここでは仕事や作業のチームの事です。
атаман = 首領、コサックの隊長。ここではリーダーの事です。

 

Б べー

Бумага все терпит.
ブマーガ・フスィェー・テェルピート

紙は何にでも耐えられる。

紙にはどんな事だって書けるのだから、活字になっているからといってその内容を鵜呑みにしてはならない」という意味の格言です。情報の信憑性を吟味する事の重要性を説くこの格言の切実さは、真偽が定かではない情報が氾濫する現代社会において、一層強烈なものになっています。今だからこそ噛みしめておきたい格言です。

 

В ヴェー

Водка белая, но красит нос и чернит репутацию.
ヴォッカ・ビェーラヤ・ノ・クルァースィト・ノース・イ・チルニート・ルィプターツィユ

ウォッカは白いが、鼻を赤らめ、評判を黒くする。

医師としても活動していたロシアの劇作家、アントン・パーヴロヴィチ・チェーホフ(Антон Павлович Чехов)による、酒による失敗を戒める名言です。お酒により理性を失い、失敗し、自分の評判を悪くしてしまう人達は昔から沢山います。私達も気をつけておきたいものですね。(当然の事ですが、お酒は20歳になってからですよ ! 

 

Г ゲー

Горе не море, выпьешь до дна.
ゴーリェ・ニ・モーリェ・ ヴィピイェシ・ダ・ドゥナー

悲しみは海ではないから、すっかり飲み干してしまえる。

悲しみはいつかは癒えるものだ」という意味の格言です。悲しみをコップの水のようなものに重ね合わせた詩的な比喩を用いていたり、ゴーリェ(悲しみ)とモーリェ(海)で韻を踏んでいたりと、黙読しても、朗読しても美しい、とても魅力的な格言になっています。

 

Д デー

Дальше с глаз - ближе к сердцу.
ダーリシェ・ズ・グラース・ブリージェ・ク・スィェールツゥ

目から遠くなると、心に近くなる。

別れてしまった相手はいっそう慕わしく感じる」という意味の格言です。「去る者日々に疎し」とは正反対の事を言っていますね。遠距離恋愛などにどうぞ。

 

Е イェー

Если у тебя кривое лицо, не сердись на зеркало.
イェースリ・ウ・ティビャー・クルィヴォーエ・リツォー・
ニ・スィルディーシ・ナ・グラース・ズィェールカラ

自分の顔が歪んでいるなら鏡に腹を立てるな。

本当の事を指摘された時、指摘した相手に腹を立てるのは見当違いだ。事実がそうなのだから仕方ない」という意味の格言です。とは言え、自分が手厳しい指摘をして不機嫌になった相手に対してこの格言を言ってしまうのは、あまりにもデリカシーが無いというものでしょう。白雪姫の魔法の鏡レベルのお世辞を言えとまでは言いませんが、せめて最低限の配慮は必要ですね。

 

Ё ヨー

ёから始まるロシア語の単語は ёж(ハリネズミ)、ёлка(トウヒの木、クリスマスツリー)
など、ごくわずかしか存在しないため、ёから始まる格言・名言はほとんど見つかりません。なので、代わりにёにまつわるエピソードを紹介させて頂きます。

私の口から説明するより、実際にこのサイトの説明を読んで頂いた方が何倍も分かりやすいと思うので、URLだけ貼りますね。(決して手抜きではないですよ ! 

https://jp.rbth.com/education/80635

 

Ж ジェー

Жену выбирай не глазами, а ушами.
ジヌー・ヴィビルァーイ・ニ・グラザーミ・ア・ウシャーミ

妻は目ではなく、耳で選べ。

人生のパートナーは見た目(容姿)ではなく、言葉遣い(性格)で選ぶべきだ」という意味の格言です。「美形は3日で飽きる、ブスは3日で慣れる」という何とも酷い響きの言葉がありますが、実はこれも言っている事は同じで、「長期的な人間関係においては容姿よりも内面の方が遥かに重要である」という事なのですよね。まあ、これを文字通りに実行するのは思いの外大変なのですが。

 

З ゼー

За спрос не бьют в нос.
ザ・スプルォース・ニ・ビユート・ヴ・ノース

尋ねた位で鼻はぶたれない。

困ったら人に頼れ。分からないことは聞け」という意味の格言です。同じような意味の日本の格言に「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」がありますね。スプルォース(問いかけ)とノース(鼻)で韻が踏まれています。

 

И イー

Искусство писать — это искусство сокращать.
イスクーストヴァ・ピサーチ・エータ・イスクーストヴァ・サクルァシシャーチ

書くという技術 ―― これは、削ぎ落とすという技術である。

Вの所でも登場したロシアの劇作家、チェーホフ(Чехов)の名言です。イギリスの小説家、ジョージ・オーウェル(George Orwell)も同じような事を言っていますね。

https://entreplanner.jp/knowledge-curator/george-orwell-6-questions-6-rules

 

Й イクラートカヤ

йога(ヨガ)、йогурт(ヨーグルト)、йод(ヨード・ヨウ素)、Йемен(イエメン)など、Йから始まるロシア語の単語は大半が外来語なので、Йから始まる格言・名言はほとんど見つかりません。なので、代わりにЙにまつわるエピソードを紹介させて頂きます。 

ИЙの違い

Йは「イクラートカヤ」という何とも大仰な名称を持っていますが、この文字は単語の中で実際に「イクラートカヤ」と発音される訳ではありません。この文字は、単語の中では「イ」の発音に対応します。例えば、Сергейは「セルゲイ」と読みます。最後尾のйが、ちょうど最後の「イ」の発音に対応しているのです。
ロシア語のアルファベットには、実はもう一つ、「イ」の発音に対応する文字が存在します。Иです。正確には、ИとЙでは対応する発音がそれぞれ微妙に異なります。なぜなら、Иは英語のアルファベットで言うとiの母音に、Йは英語のアルファベットで言うとyの子音に対応するからです。
と言っても、両者の発音は非常によく似ています。実際、ロシア語に対して発音だけを覚えていると、その綴りを書く時、「あれ? ここに書くのってИとЙのどっちだっけ?」と混乱してしまう事があります。

 

К カー

К сожалению, день рождения только раз в году.
ク・サジャレーニユ・デェーニ・ルァジデェーニヤ・トーリカ・ルァス・ヴ・ガドゥ

残念だけど、誕生日は年に一度だけ。

旧ソ連の人形アニメーション『チェブラーシカ(Чебурашка)』の冒頭には、ワニのゲーナおじさんが上のセリフを歌う場面があります。ロシアではこの歌はとても有名で、誕生日で歌われる事も非常に多いです。

それにしても、誕生日が1年に1度だけである事が残念な事なのだとしたら、誕生日が2/29の人達は一体どうなるのでしょうか。4年に1度しか誕生日が来ないのだから、4倍悲しいという事になるのでしょうか。それとも、実際はそこまで悲しい訳ではないのでしょうか。2/29生まれの方、もしいらっしゃいましたら、どうか教えて下さいませ。

 

Л エル

Любовь не картошка, не выбросишь в окошко.
リュボーフィ・ニ・カルトーシカ・ニ・ヴィーブルァスィシ・ヴァコーシカ

愛はジャガイモではないから窓から投げ捨てる事はできない。

失恋の悲しみを癒すのはなかなか難しい事である」という意味の格言です。愛とジャガイモを繋げて考えているのは、何だかコミカルさがあって良いですね。失恋の悲痛さ、深刻さを上手い具合に緩和して、癒してくれている、非常に巧みな比喩です。「ジャガイモでも窓から投げ捨てるのは駄目だろう」とは思いますが。

余談ですが、失恋後のやけ食いなどにより食べ過ぎが続いて太ってしまうことを、ドイツ語では kummerspeck(発音「クンマーシュペック」、直訳「悲しいベーコン」)と言うそうです。ジャガイモにベーコンでジャーマンポテト。一気にドイツっぽくなりましたね。

 

М エム

Мало хотеть надо уметь.
マーラ・ハチェーチ・ナーダ・ウミェーチ

多くを欲しがらないためには、能力がいる。

物欲をコントロールする事は難しい」という意味の格言です。マーラ(少しだけ)とナーダ(〜しなければならない)で韻が踏まれています。

同じような意味の日本の格言に、「吾唯知足(ワレタダタルヲシル)」があります。これは、物欲をコントロールして満足感を感じる事の重要性を説く、禅の言葉です。この言葉は、京都の龍安寺のつくばい(茶室のそばの庭園に設置される、手を清めるための水を湛えた石製の桶のようなもの)に独特の配置で彫られている事でも有名です。この配置はとても面白いので、興味のある方はぜひ見てみて下さい。

https://www.pinterest.jp/pin/277886239487116638/

 

Н エヌ

Ни пуха, ни пера.
ニ・プーハ・ニ・ピルァー

羽毛も羽根も無く。

「頑張ってね」という意味で使われる、ロシアの慣用句です。

元々この表現は、猟に出る人にかける言葉でした。成果が挙がるのは嬉しいのですが、成果を挙げようと無理をすると、崖から落ちたり、怪我をしたりと、ロクなことになりません。そこで、「羽毛も羽根も無くて良いから、どうか無事に帰ってきてね」という言葉が生まれたのです。つまりこの言葉は、「頑張ってね。でも、無理はしないでね。」という、労わりのニュアンスを強く打ち出した励ましの言葉なのです。成果主義一辺倒の会社に聞かせてやりたい言葉ですね。

 

О オー

Одна ласточка весны не делает.
アドゥナー・ラースタチカ・ヴィスヌィー・ニ・デェーラエト

一羽のツバメは春を創らず。

わずかな兆候だけで結論を急ぐな」という意味の格言です。ロシア人は昔からツバメの事を「ラースタチカ」と呼び、春の訪れを人々に告げて回る鳥として親しんできました。その親しみの深さは、「ラースタチカ」が愛しい女性の別名として使われる事もあるほどです。

しかし、ツバメ一羽を目にしたからと言って「もうすっかり春になった」と喜んでしまうのは早計です。ツバメが告げるのはあくまで春の訪れであって、ロシアの本格的な春はまだ先の事だからです。まさに、「一羽のツバメは春を創らず」という訳です。

古今和歌集に収録されている藤原敏行の名歌「秋きぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれぬる」に代表されるような、季節の移り変わりを先へ先へと感受していく日本人の季節観からすると、そのようなはやる気持ちを抑えようとするこの格言の精神は少し異質なものに見受けられるかもしれません。しかし、自然環境の微細な変化に目を向けて慈しもうとする姿勢は、どちらにも通底しているものだと言えるでしょう。

 

П ペー

Планета есть колыбель разума, 
но нельзя вечно жить в колыбели.
プラニェータ・イェースチ・カリビェーリ・ルァーズマ・
ナ・ニリズィャー・ヴィェーチナ・ジィーチ・フ・カリビェーリィ

地球は人類の揺り籠だ。しかし、いつまでも揺り籠に留まっていてはならないだろう。

幼少期に病気で聴力を失うも独学で世界初の「宇宙ロケット」の理論を打ち立て、「宇宙飛行の父」と呼ばれるに至ったロシアの天才科学者、コンスタンチン・エドゥアルドヴィチ・ツィオルコフスキー(Константин Эдуардович Циолковский)の名言です。地球を一つの揺り籠に重ね合わせるという壮大な比喩を用いながら、人類の進歩の可能性としての宇宙進出の必要性を力説しています。

ここでツィオルコフスキーの独創性、先駆性がうかがえるエピソードを1つ紹介します。

ツィオルコフスキーがロケットの噴射と速度の公式「ツィオルコフスキーの公式」を発表したのは1897年、世界初の有人飛行機が開発されたのは1903年です。つまり、人類がまだ空を飛べていなかった時代、ツィオルコフスキーは既に、人類が宇宙に飛び立つ事を構想していたのです。まさに想像を絶するような先見の明です……! 旧ソ連では世界の中でも先駆けて宇宙工学が発達していたのですが、彼のような天才を擁していたのであれば、それも頷けますね。

 

Р エル(巻き舌)

Рыба гниёт с головы.
ルィーバ・グニヨート・ス・ガラヴィー

魚は頭から腐る。

組織は上層部から駄目になっていく」という意味の格言です。
今回ご紹介する中では極めて汎用性の高い格言と言えるでしょう。嘆かわしい事ですが。

 

С エス

Собака лает ― ветер носит, а караван идёт.
サバーカ・ラーエト・ヴィェーチル・ノースィト・ア・カルァヴァーン・イデョート

犬が吠える、風が伝えて回る、だがキャラバンは進む。

他人の中傷や噂など無視して我が道を進め」という意味の格言です。「キャラバン」は目標に向かって歩み続ける孤高の求道者を、「犬」は求道者を中傷する周囲の人々を、「風」は求道者についての根も葉も無い噂を吹聴して回る周囲の人々を表しています。

この格言は内容そのものも非常に私達を励ましてくれるものなのですが、実は文体そのものにも巧みな工夫が凝らされています。

第一に、この格言はラーエト(吠える)とノースィト(あちこち伝えて回る)とイデョート(目的地に向かって真っ直ぐ進む)で韻を踏んでおり、「サバーカ・ラーエト」「ヴィェーチル・ノースィト」「ア」「カルァヴァーン・イデョート」と、非常にリズム良く朗読出来るようになっています。

第二に、動詞の選択、特に носит と идёт の選択も非常に秀逸です。ロシア語の移動動詞には定動詞(一方向に向かって進行中の動作を表す動詞)と不定動詞(往復や反復、あるいは方向性を持たない移動を表す動詞)の2種類が存在しているのですが、この格言では両者が非常に巧く使い分けられているのです。まず、「風」に使われている不定動詞 носит は、目標を持つ事も無く、それに向かって努力する事も無く、ただ色々な所で求道者についての流言飛語を伝達して回るだけの人々の様子を表現しています。そして、「キャラバン」に使われている定動詞 идёт は、「犬」や「風」による批判を物ともせず、目標に向かって真っ直ぐに努力し続ける求道者の様子を表現しています。つまりこの格言は、定動詞と不定動詞を巧みに使い分ける事で、「他者を批判する事しか出来ず自分からは何も行動しない人々と、彼らの批判を歯牙にもかけず目標に向かって行動しそれを成し遂げる人々」という社会の構図を痛切に暴き出し、しかもそれを極めて簡潔に言い切っているのです。

内容、文体共に恐ろしい程よく練られたこの格言の妙味を、どうぞ皆さん、黙読して、朗読して、暗誦して、存分に味わって下さい。

 

Т テー

Тише едешь, дальше будешь.
ティーシェ・イェーデェシ・ダーリシェ・ブーデェシ

より静かに進めば、より遠くまで行ける。

急ぐ必要がある時こそ落ち着いて行動しろ」という意味の格言です。同じような意味の日本の格言に「急がば回れ」がありますが、私は日本の格言よりもこのロシアの格言の方がより格好良いと思います。ティーシェ(より静かに)とダーリシェ(より遠くまで)、イェーデェシ(進む)とブーデェシ(行く)で韻を踏んでいたり、目標に向かって進む私達を川の流れのようなものになぞらえる美しい比喩を用いていたりと、この格言の方が、表現がより洗練されているように感じられるので。

 

У ウー

У природы нет плохой погоды.
ウ・プリローディ・ニェット・プラホーイ・パゴーディ

自然には悪い天気なんて無い。

1977年に公開された旧ソ連の恋愛映画 <<Служебный роман>> の名台詞です。この映画のタイトルの発音は「スルジェーブヌィ・ルァマーン」、和訳は「オフィス・ロマンス」です。(「職場恋愛」だと流石に古風かと思い、敢えて外来語を使わせて頂きました。)

この映画でロマンスを繰り広げるのは、不器用なシングル・ファーザーのノヴォセリツェフ(Новосельцев)と、有能な一方で周囲に冷たい印象を与えるノヴォセリツェフの上司、カルーギナ(Калугина)です。二人は正反対のタイプでありながらも、様々な誤解やすれ違いを通して少しずつお互いの事を理解し、恋に落ちていきます。

ここで紹介している名台詞は、<<Служебный роман>> の挿入歌のタイトルです。映画の中ではカルーギナがこの歌を歌っています。

この名台詞の意味を私なりに噛み砕くとしたら、以下のようなものになります。

 「良い天気」「悪い天気」というカテゴライズは人間の都合によって定められたもの
   であり、自然にとってはどれも等しく一つの天気に過ぎない。

いかがでしょうか。なかなか含蓄に富んだ名台詞だと思います。

このような哲学的な文言が恋愛映画の台詞として登場するとは、なかなか不思議な事ですが、もしかすると、この不思議さもまた<<Служебный роман>> の魅力に繋がっているのかもしません。

 

Ф エフ

Федот, да не тот.
フェドート・ダ・ニ・トート

フェドートだけど本人ではない。

他の人と勘違いしている事をからかう言い回しです。フェドート(ロシア人の男性の名前)とトート(本人)で韻を踏んでいて、何とも心地の良い語感に仕上がっていますね。表現が一捻りされている分、「人違いですよ」と直接的に言うよりもユーモラスで、親しみ深いように感じられます。

 

Х ハー

Хлеб-соль ешь, а правду режь.
フリェーバソーリ・イェーシ・ア・プルァーヴドゥ・リェージ

パンと塩を食べても真実を言え。

人に世話になったとしても言うべきことは遠慮せずに言え」という意味の格言です。イェーシ(食べる)とリェージ(完全に切ってしまう)で韻が踏まれています。

ロシアには Хлеб-сольパンと塩)という、パンと塩を差し出して遠来の訪問客を歓迎する独特の習慣があります。伝統的な Хлеб-соль では、民族衣装を着た女性達が、タオルの上に大きな丸パンを、さらにその上に塩入れを載せて、訪問客を迎えます。訪問客は差し出された丸パンを丁寧にちぎり、塩を付けて食べます。この行為により、家主と訪問客との間で友情が築かれたという事が明らかになるのです。(Хлеб-соль についてもっと詳しく知りたい方へ→ https://jp.rbth.com/lifestyle/80356 

この名言は、自分を歓待してくれた相手に対しても、言うべき事ははっきりと言うべきである(例えば、相手が間違った事をしていたらそれに目をつぶらずにきちんと指摘するべきである)と、私達に伝えています。なかなか難しい事かもしれませんが、その恩が自身の信念や行動の妨げとなり、その人との人間関係に息苦しさを感じてしまうという事態を防ぐためには、恩人に対しても率直であり続ける事が必要なのです。

 

Ц ツェー

Цыплят по осени считают.
ツィプリャート・パ・オースィニ・シシィターユト

ヒヨコは秋に数えるものだ。

まだ手にしてもいない利益の事を考えるな」という意味の格言です。同じような意味の日本の格言に「捕らぬ狸の皮算用」があります。

格言そのものに関してはあまり言う事が無いので、ここでヒヨコについての豆知識「東京都内の駅構内や空港でよく販売されている饅頭『ひよ子』は元々福岡県の銘菓だった」をご紹介しておきます。「えっ、東京都の銘菓じゃないの?」と思った方は、こちらのサイトを見てみて下さい。意外な事実が待っていますよ。

https://news.mynavi.jp/article/20141013-hiyoko/

 

Ч チェー

Что написано пером, того не вырубишь топором.
シトー・ナピーサナ・ピルォーム・タヴォー・ニ・ヴィールビシ・タパルォーム

ペン先で書かれたものは斧を以てしても打ち砕けない。

一度でも世に発表してしまったことは取り消せない」という意味の格言です。ピルォーム(ペン先で)とタパルォーム(斧で)で韻が踏まれています。

情報を発信する時にはその正確性や倫理性などを十分に検討する慎重さを持たなくてはならない」と訴えるこの格言の説得力は、インターネットなどの情報網が浸透し、一度発信された情報を完全に取り消す事がほぼ不可能な現代社会において、一層強力なものになっています。まさに今だからこそ噛みしめておきたい格言です。

 

Ш シャー

Шила в мешке не утаишь.
シーラ・ヴ・ミシケー・ニ・ウタイーシ

錐(きり)は袋に隠せない。

隠し事はいつかは表沙汰になる」という意味の格言です。一見よく似ている日本語の格言「嚢中の錐(のうちゅうのきり)」とは意味が異なるので、注意して下さい。「嚢中の錐」は「天才は凡人の中でも自然にその真価を現す」というプラスの意味、<< Шила в мешке не утаишь. >> は「悪事はどんなに上手く隠されていてもいつかは明らかになる」というマイナスの意味です。

この他にも、一見よく似ているけれども言語によって意味の異なる表現は存在します。例えば、日本語の「足を引っ張る」は「他人を妨害する」という意味ですが、英語の "pull one’s leg" は「他人をからかう」という意味です。同じような喩えや表現を用いていても、言語によってその表現の意味するものが変化するとは、非常に興味深いですね。

 

Щ シシャー

Щи да каша ― пища наша.
シシィー・ダ・カーシャ・ピーシシャ・ナーシャ

シシィーとカーシャは我等の糧。

ロシアの食文化におけるシシィー(シチー)とカーシャの重要性を表した格言です。シシィーはキャベツなどを煮込んだスープで、シチューとは全くの別の料理です。カーシャはお粥です。どちらもロシアの標準的な家庭料理で、日本の「白飯と味噌汁」に相当します。

「ダ」「カーシャ」「ピーシシャ」「ナーシャ」と「ア」の音が連続しているのが何とも言えず心地良い響きですね。自国の食文化に対するロシアの人々の誇りが伝わってくるようです。

 

Ъ トゥヴョールディーズナーク

ロシア語のアルファベットには、英語のアルファベットには無い、少し変わった特徴があります。それは、それ自身は音を持たない文字が存在するという事です。

Ъ Ь は、今まで出てきた文字とは違い、それ自体には発音がありません。しかし、文字そのものには名前が付いており、それぞれ「トゥヴョールディーズナーク」「ミェーヒキーズナーク」と呼ばれています。

この2文字は、直前の文字の発音を変化させるという機能を持っています。日本語にも同様のものがあります。濁点(゛)や半濁点(゜)です。これらは、それ自身が音を持つ訳ではありませんが、「は→ば」「は→ぱ」のように、直前の文字を変化させます。ロシア語にも同じようなものがあると考えて下さい。

Ъは音を分ける記号です。例えば、объект(「対象」という意味。英語のobjectに対応)。

この単語は「アブイェークト」と発音するのですが、この単語にЪが無いと、бとеがくっついて「アビェークト」という発音になってしまいます。それでは困るので、Ъが子音字と母音字の間に割って入る事で、このような発音の間違いを防いでいます。Ъは子音字と母音字の間に割って入る事で子音字の軟化(「ビェ」「スェ」など、子音が「イ」っぽい響きを帯びるようになる事)を防いでいるので、硬音記号と呼ばれています。

このように、子音字と母音字の間に割って入るという性質を持っているため、Ъから始まるロシア語の単語は存在しません。それどころか、実はЪを含むロシア語の単語でさえも、非常にごくわずかなのです。先ほど例に挙げた объект を見て「例として取り上げる単語にしては妙に抽象的だなぁ」と感じた方もいらっしゃるかもしれませんが、その背景にはこのような事実が存在していたのです。

なぜЪを含むロシア語の単語はとても少ないのでしょうか。この奇妙な現象の背景には、実は1918年の文字改革(正式名称は「文部人民委員部による正書法新規則」)という歴史的事件が関わっています。ここではЪにまつわる興味深いエピソードとして、この文字改革について紹介させて頂きます。

私の口から説明するより、実際にこのサイトの説明を読んで頂いた方が何倍も分かりやすいと思うので、URLをいくつか貼りますね。

[簡単に纏まっているウェブサイト]

http://angiebxl.blog.fc2.com/blog-entry-100.html

[もっと詳しく知りたい人向けのウェブサイト]

http://www.chikyukotobamura.org/muse/wr_europa_14.html

https://www.rbth.com/education/332405

 

Ы ウィー(「イ」の口で「ウ」と言うイメージ)

Ыから始まるロシア語の単語は存在しないため、Ыから始まる格言・名言は存在しません。なので、代わりにЫにまつわるエピソードを紹介させて頂きます。

私の口から説明するより、実際にこのサイトの説明を読んで頂いた方が何倍も分かりやすいと思うので、URLだけ貼りますね。(決して手抜きではないですよ ! 

https://jp.rbth.com/education/84018

 

Ь ミェーヒキーズナーク

先ほど、それ自身は音を持たないロシア語の文字として、Ъ(トゥヴョールディーズナーク)の他にЬ(ミェーヒキーズナーク)を取り上げました。ここでは後者のЬについて見ていきましょう。

Ьは直前の子音字を軟化させる記号であり、軟音記号と呼ばれています。(「軟化って何だったっけ?」という方は、Ъの所をご参照下さい。要は子音が「イ」っぽい響きを帯びるようになる現象の事です。)

例えば、царь(「皇帝」という意味)は「ツァーリ」と発音するのですが、рь の部分ははっきり「リ」と発音する訳ではありません。それでは ри という別の発音になってしまうので。そうではなくて、「イ」の響きを軽く添えるイメージで発音するのです。

Ъの時と同様に、Ьもまた子音字と母音字の間に割って入るという性質を持っているため、Ьから始まるロシア語の単語は存在しません。しかし、Ъとは異なり、Ьを含むロシア語の単語は大量に存在します。その量の膨大さは、Ьの使い方や発音の仕方をマスターする事無くロシア語の初歩をマスターするのは不可能だと断言出来るほどです。

Ьはありふれている分、ёやЪのような目を引く華やかなエピソードはあまりありません。しかし、「Ьについてもう少し詳しく知りたい」という方向けに有用なウェブサイトを一つ見つけているので、そのURLを貼らせて頂きます。気になる方は見てみて下さい。

https://jp.rbth.com/education/83992

 

Э エー

Это вилами на воде написано.
エータ・ヴィーラミ・ナ・ヴァデェー・ナピーサナ

それは大熊手で水の上に書かれている。

それは確実ではない」という意味の慣用句です。水の上に何かを書いても、すぐに消えてしまうから、このような意味になりました。大熊手が登場する辺り、さすが農業大国ロシアという感じがしますね。

実はこの慣用句は、<<謝辞>>で言及したとあるTLP生の仲間に教えてもらった表現です。その方による例文付きの説明がとても分かりやすかったので、そっくりそのまま引用させて頂く事にしました。

================(ここから説明)================

例1:「全教科で100優上とるぞ!!」

  「あいつはああ言っているけど、そんなの---だよな。」

例2:「私はこのような政策を行います!」

  「あの政治家はああ言っているけど、どうせ---な政策だよな。」

---に入れて使うイメージ。

================(ここまで説明)================

この説明を通して、少しでもこの慣用句のニュアンスを感じ取って頂けると幸いです!

 

Ю ユー

Юность - время золотое; ест и пьёт, и спит в покое.ユーナスチ・ヴリェーミャ・ザラトーエ・
イェースト・イ・ピヨート・イ・スピート・フ・パコーエ

若さは黄金の時代である。若者は食べて、飲んで、安心して眠る。

若いという事の素晴らしさを訴えている格言です。若年期には心身の未熟さ、経験の不足などに起因する多くの苦しい事がありますが、老齢期に比べると心身の活力や健康状態がかなり高水準に保たれています。回復力も高く、無茶や失敗を積み重ねながら新しい事に挑戦するのにはうってつけの時期だと言えるでしょう。(勿論、現代の社会では若年者の失敗や遠回りに対する不寛容さが深刻化しており、「若いから多少の無茶や失敗は大丈夫」と安易に口にするのは無責任である、というのもまた事実なのですが。)

アメリカの詩人サミュエル・ウルマン(Samuel Ullman)は『青春の詩(YOUTH)』という詩の中で「青春とは人生の期間ではなく心の態度である(Youth is not a time of life; it is a state of mind)」と言っています。この考え方も非常に魅力的で大切なものですが、「若さという特権に対して自覚的であり続けろ」というこのロシアの格言の考え方もまた、人生の標となりうる重要な教えではないでしょうか。

 

Я ヤー

«Я» — последняя буква в алфавите.
ヤー・パスリェードニャヤ・ブークヴァ・ヴァルファヴィーテ

Яはアルファベットの最後の文字。

自分のことばかり話すのは駄目だ」という意味の格言です。

Яロシア語のアルファベットの最後の文字なのですが、実はこの一文字だけで「私は」という意味のロシア語にもなるのです。Яは最後の文字なのだから、Я(私は)、Я(私は)と出しゃばってくるのは良くないよ、という事をこの格言は言っているのです。

それにしても。このЯをじっと見つめていると、何だか人が左を向いて歩き出しているように見えてきませんか。ロシア語では「私」とは、真っ直ぐ前を見据えて歩き出していく存在なのでしょう。

英語にも、その一字だけで「私」を意味する語になる文字があります。Iです。でもこのIは Яとは対照的に、人が足を閉じてじっと立ち止まっているように見えないでしょうか。

歩き出す私と、立ち止まる私。言語が変わると「私」の様子もまた変わっていくのです。
外国語を学ぶということは、もしかしたら、新たな「私」に出会うという事でもあるのかもしれませんね。 

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以上が、「АБВから始めるロシア語」の全てとなります。

ここまで読んで下さった読者の皆さんも、本当に有難う御座いました!

これを読んで、少しでも「ロシア語、なんだか面白いじゃん」と思って頂けたら幸いです。

  

終わりに

今までの内容を1文でまとめると以下のようになります。

ロシア語は面白いよ!

この記事をきっかけに、少しでもロシア語に興味を持つ人が増えてくれると嬉しいです。

 

終わりの終わりに

長きに渡って続けてきた連続投稿企画「ろしあごであそぼ」も、今回でついに最終回です。

第0段から第5段まで合計約35000字程度の超長文を書き連ねてきたのもこれでようやく一区切りかと思うと、何だか感慨深いです。同時にここまで読んできた皆さんも、「これでやっと完結だ……」とため息をついているかもしれません。本当にお疲れ様でした。貴重な時間を割いて私の文章を最後まで読んで頂き、本当に有難う御座いました。

これまで、ロシアの事、ロシア語の事、東大の事、理ロシの事、TLPの事、そして、ロシア語の表現を通して見えてくる、ロシアの人々の歴史や感性の事。これらの魅力を、内部からのリアルな情報と一緒に発信してきました。それらの中から少しでも気付きや学びを掴み取って頂けると、筆者冥利に尽きます。


名残惜しいですが、伝えるべき事は全て伝えたので、今回はこの辺で !

またいずれどこかでお会いしましょう、さようなら !

 

    終
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