皆さんこんにちは。
前回は無難な()自己紹介をしましたが、今回は徒然なるままにアニメについて語ろうと思います。
アニメのおすすめとかは一切しません。アニメという存在について語ります。
本当に、文字通り、口から(手から?)出任せに語ります。
余りにも口(手)に任せすぎて、今キーボードを叩いている私自身どんな内容になるのか分からない程です。
この時点で嫌な予感がした方にはブラウザバックを推奨します。
......本当に良いのですか? ここから先は地獄だぞ......
......遂に、ここまで来てしまいましたか......
......この私の、独断と偏見に塗れたアニメ観に立ち向かう覚悟ができてしまったというのですか......?
......よろしい。では、前振りはこの辺までにして...話をしよう。
§1. アニメとは
先ず、アニメを定義することから始めましょう。定義なんて必要ねぇ! 面白ければそれで良いんだよ!!!という方 (おそらく大多数) は次の章に進んでください。
アニメの定義はWikipedia(以降、wiki)を引用するのが最速だと考えます。最早テンプレですね(主体性の喪失)。
というか、私自身この記事を書くまでわざわざwikiで「アニメ」という項目を調べたことがありませんでした。地味にどう説明されているのか気になります...気になりませんか...?
そういうわけで(論理飛躍)、以下、wikiからの引用です。
「アニメ」は本来は「アニメーション」の略語であり、「アニメーション」とはコマ撮りによる錯覚を利用した映像技法・映像表現全般を指し、実写作品の特殊効果や抽象映像などの実験的映像も含まれる
しかし「アニメ」と省略した場合、通俗的には一般に商業作品として普及しているテレビアニメ、劇場アニメ、OVAなどを連想する人も多い。これらの特徴は、基本は商業作品であり、多くは絵で描かれたキャラクター作品であり、ある程度のストーリー作品である。更には、これら商業作品の強い影響を受けた自主制作作品も含まれる。また制作技法では分業のためにセルアニメが主流であったが、一部では人形アニメ等も使用され、近年コンピュータ・グラフィックによるアニメーション(CGアニメ)も普及している。
(中略)
「文化芸術基本法」ではメディア芸術、関連法の「コンテンツの創造、保護及び活用の促進に関する法律」によるとコンテンツの一つと定義されており、いずれにおいても「アニメ」と略されてはおらず、「アニメーション」と正式表記されている。別定義として、多角的芸術分類観点において、美術(映像を含まない)、映像、音楽、文学、芸能の総合芸術とされるときもある。
ちなみに、現在の「アニメ」という単語の用法は、1960年代以来のものだそうです。また、英語で「アニメ」と言いたい時は、 animated cartoon と表現するのが正しいようです。尤も、最近では海外でも日本のアニメが普及してきており、 anime でも通じる場合があるようですが...。
閑話休題、思っていた以上に詳しい説明がなされていました。正直なところ、筆者は
「アニメ」とは、その中で、デフォルメされた絵で描かれたキャラクターが、何らかのストーリーに沿って行動する映像作品である。
という程度の説明だと思っていたのですが...。どうやら、筆者の思う「アニメ」とは、「狭義のアニメ」だったようです。
ぶっちゃけ「狭義のアニメ」で全く問題ないので、今後文中でアニメという単語が出てきたら、「狭義のアニメ」の方の意味を採ってください。わざわざwikiを引用する意味なかったのでは?
さて、ようやくアニメの形式的な定義を確認できました。この定義によると、アニメの構成要素は大きく分けて3つあります。
ズバリ、絵で描かれたキャラクターとストーリーと演出でしょう(異論は認める)。
ⅰ) 絵で描かれたキャラクターとは
俗に言う、2次元キャラというやつです。作風によって程度があるものの、デフォルメ
(仏: déformer)によって描かれます。
デフォルメとは、大雑把に言うと対象の特徴を意図して強調する絵画の表現技法のことですが、特に2次元キャラを描く際には、強調したい特徴以外の要素を違和感のない範囲で削ぎ落とす、いわば簡略化の技法がよく使われます。他の要素を削ぎ落とすことによって、自然と強調したい特徴だけに目がいくようになるというわけです。また、デフォルメによって作画のコストが減るという利点もあります。
デフォルメという表現技法によって、2次元キャラはプラスの外見的特徴(例えば可愛さ、カッコよさなど)を強調されて描かれる傾向にあります。(だってその方が観る側も描く側も楽しいだろうし、)そりゃそうですね。このことは、2次元キャラが我々に魅力を感じさせる理由の一つだと思います(異論は認める)。
もちろん、キャラクターに魅力を感じる理由としては、キャラクター愛に勝るものはないのですが。
ⅱ) ストーリーとは
アニメに限らず、創作物の面白さの大半は、そのストーリーによって決まると言って過言ではないでしょう。ただ、小説などとは違い、アニメの面白さの全てがストーリーによって決まるとは、一概には言えないかもしれません。
そう、キャラクターのデザイン(キャラデザ)とキャラクターの声(CV)、そしてBGMなどの演出です。人間の認識は感覚器官に大きく依存しているため、これらの要素が作品の面白さを決定付ける大きな要因となりうるのです。
また、得てしてストーリの面白さよりも、これらの要素の良し悪しの方が視聴者に早く伝わるものです。そのため、話題性があるアニメだからと言ってそのストーリーも物凄く面白いとは限らないし、逆もまた然りなのです。(作画崩壊がアニメの中盤あたりで起こりがちなのも、おそらくこれが理由。)
ⅲ) 演出とは
小説とアニメの違いは、これに尽きると思います。ⅱ)で述べたように、演出がしっかりしているアニメは人気が出やすいと思います。そしておそらくそれだけ予算がかけられています。また、キャラクターは絵で描かれるため、非現実的な現象を低コストで表現できます。これは実写の映像作品との大きな違いです。
アニメの定義についてパッと思いついたのはこのぐらいです。ここまででも、既におそろしいグダグダっぷりを発揮していますね。
...だが...グダグダは加速する......
§2. 人はなぜアニメを観るのか
この題目については、人によって大きく捉え方が変わるものだと思います。筆者の意見は、あくまで筆者にとってはそのような考えが今のところ最も妥当だと考えられているだけに過ぎません。「...ふーん、こんなこと考える物好きもいるんだなぁ...」とでも思いながら流し読みにしてやってください。
- 問いの本質
結局のところ、人はなぜアニメを観るのかという問いの本質は、虚構の存在意義についての問いに帰結されると思います。人は虚構に何を見出すのでしょうか?
多分、今まさに自分が生きている人生とは別の生を見出そうとしているのです(キャラクターが人であるとは限らないので、人生という表現は敢えて用いませんでした)。
...はい、一気に胡散臭くなりましたね。ですが、没入の程度に差こそあれ、皆さんも経験があるはずです。
- 『ドラえもん』を読んで、万能だけどどこか愛嬌のあるロボットと過ごす、賑やかな日常を見出そうとしたり
- 『ハリー・ポッター』シリーズを読んで、魔法と共にある、どこか幻想的で不可思議な学園生活を想像したり
- 『ドラゴンボール』を読んで、宇宙規模の壮絶な冒険やバトルに想いを馳せたり
- 『機動戦士ガンダム』シリーズを観て、巨大ロボットが宇宙で活動するようになる時代を夢想したり
このように、虚構の世界の中で生きる自分を想像したことがあるはずです...ありますよね...?
このような想像が芽生える理由を考えてみると、その作品の中で今とは違う第二の生を生きてみたいという願望を持っているからではないか、という考えに至るわけです。
自分の人生はたった一つの足跡しか残しません。そのうえ、人生には寿命という時間的制約があります。この、理不尽なまでに正しい現象への抵抗として、虚構の世界の中で生きる自分「たち」を想像することで、自分の可能性を補完し、時間的制約からも解放されようとしているのではないでしょうか。
......なんだか複雑な言い回しになってしまいましたね......
......ややこしすぎる、解説が必要だ......
......というか、筆者自身、考えを整理しないとよくわからない......(盛大な自爆)
というわけで、ここから暫くは太字部分の解説パートです。
〜解説パート〜
「画面の中央にプレイヤーが操作するキャラクター(Player Character; PC)が表示されるゲーム」になぞらえてみます。
- 虚構の世界の中で生きる自分「たち」を想像する
対応関係は以下のようになります。
虚構の世界→ゲーム内世界
虚構の世界の中で生きる自分→PC(パソコンじゃないよ)
自分「たち」→プレイヤーが持っているソフトの数が反映されている
想像する→プレイヤーがキャラクターを映像として認識する
プレイヤーが持っているソフトの数だけ異なるPCが存在するのと同じように、虚構の数だけ「虚構の世界の中で生きる自分」を想定することができます。そういう意味で、自分「たち」と複数形になっているわけです。
- 自分の可能性を補完
PCの経験値がプレイヤーに反映される状態をイメージしてください。
すなわち、「虚構の中で生きる自分」が経験したことが、現実に生きる自分に還元される状態です。
...「実際にそうだったらいいな」と思いましたか?
その気持ちこそが、我々を虚構に引き付けているのではないか、という考察です。まあ、実際は「そのような気になれる」という程度のものですが。仮定法過去です。
- 時間的制約からも解放されようとしている
引き続きPCの経験値がプレイヤーに反映されている状態をイメージしてください。この状態は、プレイ時間がそのままプレイヤーの寿命に加算されているようなものです。
つまり、「虚構の中で生きる自分」が生きた時間が、現実に生きる自分の寿命に加算される状態です。
...これもまた「実際にそうだったらいいな」と思ったかもしれません。先程と同じからくりです。そして、またしても仮定法過去です。
〜了〜
有名な漫画、アニメを利用した身も蓋もない喩えとしては、『NARUTO』の多重影分身がわりと的確かも知れません。
また、筆者の言う「虚構の世界」の捉え方は、SFでお馴染みのパラレルワールドの考え方(立体交差並行世界論というらしい)に類似するところがあるかも知れないです。『STEINS;GATE』に登場する意味での世界線の概念でもいいです。(他に、『デート・ア・ライブ』の時崎狂三と言えば通じる方もいらっしゃるかな...?)
閑話休題、筆者の厨二病が猛威を振るった抽象的な話はこれくらいにしておきます。じゃないと収集がつかなさそうなので...。既に手遅れなのでは?
次に実践的?な側面を見てみましょう。
- 実践?編
実際に虚構の世界を楽しもうとする時に、欠かせないものがあります。
そう、想像力です。
非現実的な世界観であればあるだけ、読者にはより高い想像力が求められます。例えば
ガンダムの世界を、予備知識が一切ない状態で、挿絵が一切ない小説で楽しむのは、多分難しいですよね?
そんな中、アニメは視聴者が世界観を理解する際に要求される想像力のレベルを大幅に引き下げてくれます(作品の詳しい考察をするとなると話は別かもしれませんが)。視覚と聴覚の両方を経由して情報を伝えられるから当然ですね。また、§1. でも述べましたが、絵で描かれるという特性上、実写の映像作品とは違って非現実的な状態をいくらでも表現できる点も強いです。
つまり、アニメは他の媒体よりも没入感を得やすいというわけです。
また、逆にアニメを観ることで視聴者の想像力が鍛えられるという利点もあります。
アニメ→ライトノベル(ラノベ)
の順序でサブカルチャー(サブカル)に入門すると、どっぷりと浸ることができます。やっぱサブカルは最高だぜ!
......ここまで長かった......
......今回の記事はここでようやく終わりだ......
......この記事が...筆者の黒歴史に...ならざらんことを......(黒歴史不可避)
(極少数だと思うが)ここまで筆者による名状し難い考察のようなモノに付き合ってくれた方、ご精読ありがとうございました!