今年度で、宇宙就活実行委員会に所属して3年目を迎える。
今回このような記事を書く機会をいただいたので、勝手ながらこれまでの2年間を振り返ってみることにする。
・入った経緯について
大学1年生も春の長期休業を過ごすだけとなった春、大学の天文サークルで他大学の天文サークルと親睦を深める集まりがあった。そこでたまたま話した方が、宇宙就活実行委員会に所属しており、お誘いを受けた。生き生きと「宇宙就活」について話す様子は今でも忘れられない。この時はじめてメンバーが全国各地にいる学生団体の存在を知り、さらに大学で将来について考えた初めての瞬間だった気がする。
このお誘いをきっかけに、あと3年間このままでいいのかと思うようになった。他ではできない良い経験ができそうだったので、宇宙業界に憧れていたこともあり、後日改めて連絡をいただいたときに宇宙就活実行委員会に入ることにした。
・1年目(宇宙就活2020)
宇宙業界について右も左もわからないまま、約1年後の「宇宙就活2020」に向けてのミーティングが始まった。就いた役職は「会場」。役職としての主な役割は、会場施設の手配、備品管理、そして本番当日の実行委員のガイドブック作成であった。このガイドブックの作成が印象的だった。
その前にもう一つ、個人的に印象に残っていることがある。
宇宙就活実行委員会では夏頃にメンバーのみで合宿をする。この幹事を任された。選んだ地は「長野」、避暑にはちょうど良かった。ここで初めて、私は他のメンバーと「会う」ことができた。というのも、普段のミーティングはオンライン通話で行っており、月に1度だけ都内に集まってミーティングをしていたものの、私はとんでもなく地方在住のため不参加のままであった。(声だけで)普段から親しく話しているのにお顔を見たことがない人たちとの顔合わせは、何とも不思議な感覚だった。
4~5か月も声を拝聴し続けていると、声からかを想像してしまうもので、当時の代表(男子)は身長低めの金髪、副代表(女子)は高身長でポニーテールという勝手なイメージだった。(ちなみにお二人とも真逆でした。) こんなことから始まった合宿だったが、練りに練った計画のおかげもあり、かなり親睦が深まったように思う。まずここで、合宿幹事という良い経験をさせてもらった。
さて、ガイドブックの作成が印象的だったということに話を戻す。実はガイドブックとは、この記事のために用いた言葉であって、実行委員内では「当日の流れ」と呼ばれているもので、「いつだれがどこで何をするかをできるだけわかりやすくまとめたもの」になる。この作成を、本番当日のおよそ2か月前に名目上「任された」。参加者としても「宇宙就活」に参加したことがなく、ましてや1年目のぺーぺーが、当日円滑にイベントが進むようにガイドラインを作れといわれても、ぶっ飛んだ話である。今思い返してみても、よく引き受けたなと思う。
最初は過去の資料を参考に、あとは経験者に質問を重ね、想像想定しながら作った。使用するパイプ椅子や長机などをひとつずつ図に起こし、プログラムごとに配置図を作成した。しかしながら、作り進めていく上で、参加者の移動のしてもらい方や会場の使い方など、決めなければならないことや問題が数多く出てきた。解決のために、個人や役職内だけではとどまらず、次第に全員で意見を出しながら、最善の策を考えることが多くなってきた。この話し合いで、自分自身が最善の策だと思っていたことが簡単にひっくり返されることが何度もあった。実行委員の経験があるないに関わらず、物事を考える力に長けているメンバーが何人もいて、脱帽に脱帽を重ねた。具体的などうこうは、私の乏しい文章力で書き表すことは間違いなく不可能なので、大まかにいうと、「一つのことを主観的、客観的、狭義的、広義的に見て考え、それぞれを他のことに結びつける力」である。うまく伝わっている気はしないが、とにかく自分の考え方を改めさせられたきっかけになったことは間違いない。固定観念を根底から覆されたこともあった。この1年を通して、様々な人の様々な考え方を知ることができたが、中でもこのガイドブック作成では顕著に感じたため、最も印象的だったことにする。
本来なら、企業の方と直接やり取りができる部分にやりがいを感じがちである。私も企業の方とやり取りをさせていただき、学生では滅多に体験できないようなことを経験することができた。これから社会に出ていく上で糧になったと自信を持って言えるだろう。しかし、これ以上に、この年のメンバーとともに活動できたことを、何よりも誇りに思う。
・2年目(宇宙就活2021)
驚いたことに代表を務めることになった。いきなりの大出世である。この年は、宇宙就活に捧げた1年となった。この年の印象的なことといえば、真っ先に「宇宙就活2021が開催できなかったこと」だろう。2020年2月末、日本がコロナ禍を受け始めた時期に、本来なら開催されるはずだった。
2019年4月、「宇宙就活2021」を開催すべく、宇宙就活実行委員会は始動した。代表としてどうあるべきか、何をすべきかもろくに定まらないまま、いろんなことをやってみようとメンバーを振り回してしまった。毎週のミーティングでさえも、思うように進めることができず、何度も頭を悩ませていた。宇宙就活2020の代表副代表のお2人は難なくこなせていた(おそらく裏で膨大な労力をかけてくれていた)ように思えたので、ことあるごとに尊敬の念が堪えなかった。己の未熟さを痛感しながらも、それでもやってこれたのには、副代表の方の大きな支えがあったからだ。支えというよりも、ほとんど代表が2人いるような状態だったので、共に団体を先導していただいたことに感謝しかない。
代表として不安を抱えながらも、本番を目前にした最中、新型コロナウィルスの感染が拡大を始めた。本番の約2週間前に対策を強いられる形となり、日が経つにつれて開催が危ぶまれるようになってきた。そして約1週間前、実行委員全員で話し合った末、中止の判断を下した。わずか1週間で、1年間の準備が日の目を見ることはなくなった。「仕方ない」だけでは済まされない無念さが残るまま、この年の宇宙就活実行委員会は解散となった。
ただ、やってきたことは無駄になったかもしれないが、1年のあいだ宇宙就活実行委員として活動してきたことは経験として間違いなく残る。しかも、望んではいなかったが、前例がない貴重な経験も積むことができた。今はもうこのように前向きに考えるしかない。しかし、当時の代表として中止にしてよかったのだろうかと思ってしまうことがある。今更どうにもならないことくらいわかりきっているのに、1年目に感じた、「一つのイベントを成功させる」という感動をメンバー全員で経験できなかったことを心から悔やむ。
・3年目になって
今年度は、1年目と同じ会場を担当することになった。数少ない本番を経験した実行委員として貢献できればと思っている。この年も開催できるのか先が見えない状況が続くが、できると信じて万全の準備を整えていくまでである。どのようなイベントになるか楽しみだ。
・最後に
宇宙就活実行委員会に入った当初は、宇宙業界に憧れを持っていたが、今となってはイベントを円滑に動かすことを考えている。役職上仕方ないことではあるが、宇宙とは別の魅力をこの実行委員会に感じているのだろう。
グダグダと書いたにも関わらず、最後まで読んでいただきありがとうございます。
それではまたどこかで。