STUDY FOR TWO と「内輪感」

こんにちは、どいまんです。
最近、「人を巻き込むこと」について考える機会があったので記事にしてみます。

早速ですが、みなさんは「内輪感」という言葉を聞いてどう思いますか?

いろんな意見があると思いますが、あえて尖った表現をするなら、僕は「必要悪」だと感じています。

人を巻き込むことは内輪感を演出することだと思っています。自分がなにかしら達成したいビジョンを描き、それに共感してくれる人を増やし、ともに行動していく。その過程で「自分たちにしかできないこと」に注目する。それがいわいる内輪感ってやつに繋がるんだと思います。

一般に内輪感という言葉はマイナスなイメージで使われることが多いですが、いわいる「学生の活動」には、それが必要な場面が多々あります。

金銭の発生する仕事であれば、明確な成果物を得ることができます。しかし、学生の活動ではそうではありません。居場所、仲間などの交友関係が成果物としてあげられ、それを得続けていくために、内輪感が必要です。

団体に所属している人のために頑張る。団体内での評価を得るために頑張る。それは活動目的ではなく、活動を円滑に進めるための手段だと僕は思います。

僕たちの活動には手段としての「内輪感」が必要不可欠です。ただし、その内輪感とは、少人数にしか分からない笑いで盛り上がることではありません。

必要なのは内輪感を行動につなげることです。どんなことでもいいと思うし、内輪感から生まれるものがあってもいい思います。逆に、結果的に内輪感が生まれることも歓迎すべきことだと思います。

しかし、疎外感を生み出すような「内輪ノリ」や「内輪ネタ」は見てても聞いてても寒いだけです。その場を楽しむことだけを考えた行動では人を巻き込むことはできないと思っています。

周囲を巻き込むための「内輪感」と、周囲に疎外感を与える「内輪ノリ」は紙一重です。なんならほぼ一緒かもしれません。ただ、決定的に違うのは「その先に目的があるか」ということだと思っています。

内輪感を手段にして、その先にある目的達成に向かう。それにより内輪感を団体全体に広げていき、多くの人を巻き込んでいく。「内輪感」は先を見据えながら利用する手段です。

ただ、やりたくもないことを「本当はやりたいことかもしれない」と思わせるのも内輪感です。自らの理想を達成するために人を巻き込むのではなく、相手の現状に寄り添いながら、各人の「本当にやりたいこと」と向き合う。それが、人を巻き込みたいと思っている自分に必要な要素だと感じています。

いろいろいってますが、僕はSTUDY FOR TWOに所属する限り、人を巻き込む姿勢をとり続けるつもりです。その中で、人一倍「内輪感」と「内輪ノリ」の差には敏感でありたいと思っています。

と同時に、団体に所属するひとりひとりの想いや理想を繋ぎ、ささやかな内輪感を作ることで、それを実現できるような可能性を作っていきたいです。団体内外問わず、その実現の場を増やしていきたいです。そして、僕自身も理想の実現に向けて行動できるような人であり続けたいです。

とか固いこと言っちゃって、みんなと仲良くなるためにやってることももたくさんあるんですけどね。学生なのでそりゃあ仲良しな友達も欲しいです。しかも、僕がSTUDY FOR TWOを続ける理由がのひとつが「仲間がいるから」だったりします。

まぁその辺の話は次の記事で書こうと思います(..)

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