こんにちは!!12代目関東コアの田中翔子です🐥
これまでのTFTの紹介を含めた意気込みについてを主に投稿してきましたが、今回のテーマは、TFTも含めて、国際協力サークル、学生団体、ボランティアやNPOとして活動するってどういうことなんだろうか、ということについて深く考えていこうと思います。
ここからは決してTFTを代表して述べているわけではないですし、この議論に関しては正しい答えはないと思いますので、私の素直な意見として受け取ってもらえれば幸いです。
私もこの記事を投稿してはいますが、自分に納得のいく答えを出せているわけではありませんので、内容に矛盾があるかもしれませんが、ご了承ください。
いきなりですが、タイトルにもある通り…
ボランティア=偽善団体、意識高い系の集まり、自己満足、企業ウケ良さそう、結局は自分のため、自分に酔っている…などなど
ボランティア活動をしている人にとって一度は考えたことがある内容かもしれませんが、ボランティアってなんとなく響きが良さそうだけど、このような意味も孕んでいる言葉なのかな、と思ったことがあるんですね。
人によって価値観は様々ですが、ボランティアと聞いていいイメージを持つ人もいれば、あまりよく思わない方もいると思います。
TABLE FOR TWOのみならず、ボランティアって偽善なんでしょと思う方がいても全然不思議ではありませんし、私だってフードロスに興味があるとか言いつつも、心のどこかでは「こういう学生団体に入っている自分、意識やばー」とか普通に思ってる部分もぶっちゃけあります。
でも、そんな風に心のどこかで思いつつも、フードロスに興味があって、TFTを見つけて、よりTFTで主体的に活動できる関東コアになって、こうやって活動してる自分は、ただボランティアって意識高い奴の集まりで怖いわ、とか思って何もせずにいた時の自分より、いいのかもと思ったりします。
ここからはどこかの記事で書いたことと被ってしまうかもしれないのですが、
私はTFTに入ってもうすぐ1年、関東コアになって約3ヶ月くらいになるのですが、関東コアに入る前まではTFTの活動はほとんどしていませんでした。
国際協力系のTFTUAには一応入ってはいたことになるので、その時点でもう意識高い系という分類に括られるのかもしれませんが、今の私のようにそこまでTFTの活動を活発的に行ってはいませんでした。
何かと理由をつけて、「忙しいから…」「なんかUAのイベントに参加する人たちって意識ヤバそうで自分ついてけんのかな」みたいにUAのイベント系は全く参加しませんでした。
関東コアとしてようやくTFTにたくさん関わるようになって思ったことがあります!
関東コアとしてTFTに参加しなければ、私はこのまま興味のあったフードロス問題を、ただ興味あるとか語っているだけで、何もしなかったかと思うとなんだかすごく恐ろしいというか、すごくつまらなかったかも、と思います。
関東コアになってまだ3ヶ月しか経ってないけれど、
行動力のある素敵な11代目コアのくりりんさん、ひかさん、きのこさん、はっせさん、らいらいさん
自分を関東コアとして温かく迎えてくださったTFTの皆さん
ずっと支えてくださっている事務局の方々
協力してくださっている企業様
応援してくださっているOB・OGの皆さん
そして、今12代目コアとして一緒に活動している、あおばあ、ゆーか、あかりん
たくさんの方に出会い、関東コアとしてTFTに関われて本当に幸せだなって思います。
本当にたくさんの人がTFTに関わっているんだなと思うと、前まではただフードロスに興味があるだけだったけれど、自分にもできることがあるってわかって微々たる力でも元々興味があったことにしがみつけている今はとても楽しいです。
これも一種の自己満足かもしれないけれど、この自己満足って自分が関東コアとして一歩踏み出さなければ味わうことのなかった感覚だと思います!
自分のプロフィールに常に挑戦し続ける!とあるように、人によっては偽善とか自己満足で終わってしまうようなことでも、やり遂げられた人にしか見えてない景色だって絶対あると思うし、挑戦し続けることによって見える自分があると思っています。
ただ、これだけで済む話ではないのかな、ということも同時に思っていて、
ボランティアが自己満足であるという理由の一つに、ボランティアが良かれと思ってやっていた寄付が実は現地の人たちが自力で生きるための力を奪っているということもあると思います。
例えば、主食のイモ類をただ寄付したところで、現地の人が主食を作る力を奪ってしまって、自分たちでは逆に生きにくくなってしまう、というケースもあると思います。
なんでこの話が出てきたのかというと、『ポバティー・インク〜あなたの寄付の不都合な真実〜』という映画を見た友達が、ボランティアって難しいよね、と言っていたことがきっかけなんです。私は映画を見たわけではないのですが、実際にハイチでお米を寄付したことによって現地の人のほとんどが農業をやめてしまったという話などを聞いて、自分が先ほどいった挑戦し続けるということだって多くのことが実は犠牲になっているのかもしれないと思うとこの話を出さずに綺麗に終わってしまうのは違う気がして…
これは本当に難しい問題だと思っていて、まだこれに関する答えは全くと言って見つけられていないのですが、確かに自分が良かれと思ってやることが逆に現地の人を苦しめているっていうのはあるのかもなと思います。
ただ、TFTの支援として、給食費・自活できる設備を整えるための資金を寄付するというものなので、ハイチ米のような現地の人の職業を奪ってしまうっていうのは考えにくいのかなって思ったりしますが、実際にどういう風になっているかってこうやって記事を書いたり頭で考えたってわからないです。現地に行かなくては語ってはいけないような気がするんです。
早くスタツアで現地の人たちに会って話が聞きたい。動画だけではなく、自分の目で見たい。確かめたい。
いつもの記事と違って全然言葉にできなかったけど、自分の考えてること薄っぺらいなー、きっと一生答えが出せない問題ではあるんだろうけど、ボランティアや学生団体にのめり込んだその人だけの答えって、きっとあるんだろうなーとか思ったりします。
私は今まで全然ちゃんと考えてこなかったから、今はこんなことしか言えないです。情けない。
まだ始まったばかり。
TFTでたくさんの人と出会い、現状維持に満足せずいっぱい足掻いていきたいです。
そして自分たちがしていることってなんなんだろうっていう自分なりの答えを見つけていきたいです。
非常に読みにくい文章で、しかも本当に意味不明なことばっかり言っていて混乱させてしまったら申し訳ないのですが、皆様もボランティアってなんなのか?についてもう一度考えるきっかけになれば幸いです。
皆さんはボランティアや学生団体って偽善なのか??という問いを投げかけられたらどんなことを思うんでしょう。
ぜひ皆さんの意見も聞いてみたいなと思いました。いつかUAミーティングで皆で話し合いたいです。
2020年3月30日
TABLE FOR TWO University Association
12代目関東コア 副代表・渉外担当 田中翔子