Citius, Altius, Fortius
でも時々は休んでまわりを見ることは必要だよ
これは私が高校時代、陸上部に顧問であり、高校3年生の時の副担任でもあった恩師が卒業するときにくれた言葉である。
Citius, Altius, Fortiusは、「より早くより高くより強く」という意味だ。
私は小学校から陸上を続けていたが、中学校まではまともに練習していなかった。
しかし、高校で800mを専門と決め、しっかり組まれたメニューのもと練習することで記録が伸びた。そのことに快感を覚え、全力で取り組むようになっていった。
そんな私のプレースタイルは
「最後はどうせばてるのだから、それなら最初から飛ばして、飛ばせる距離を伸ばしていこう」
というものだった。つまり、最初から全力投球。ばてても最後は意地で戦う。
このプレースタイルは私にとても合っていて、試合に出るたび最高記録を更新していった。
しかし、私は新型コロナウイルスの影響で最後の試合に出ることなく陸上生活を終えた。
この無念を受験で晴らそう!と考えた私は、休校期間、毎日家に閉じこもって平均10時間みっちり勉強した。計画もしっかり立てて取り組んだ。この頃は、自分はできると自信に満ち溢れていた。
しかし、休校期間が明けて初めての模試で絶望した。今考えれば絶望するほどでもない成績だったけど、その当時の私はあれほどやったのにそんなに上がってない、私の3か月の勉強はなんだったんだ、あれだけやってもあがらないのに間に合うわけがないと思った。普通に考えてまだ始めたばかりの6月の時点で成績が上がらないのは当たり前であるが、これまで陸上でうまく行き続けていた私は焦り始めた。
そこからが地獄の日々だった。間に合わないと焦る私は絶対1日じゃ終わらないような量をノルマにして計画を立て、消化できずに自己嫌悪に陥り、いろんな勉強法をネットで調まくって、試してはすぐに変えることを繰り返した。そうしていくうちに集中力が続かなくなり、だんだん勉強しても何も頭に入ってこなくなった。その時点で休むべきだったのだが、受験とはこうゆうものだと思い込んでいた私は授業中も塾でも、家でも涙が止まらず、涙で文字が見えないのに教科書を開いて同じところを何回も読んで覚えられなくてまた泣いてを繰り返していた。どうしようもなくて受験をやめることを考えたけど、いい大学に行かないと人生終わりのように考えていたため、死んだ方がましとまで考えていた。
ここまで思い詰めていた私を救ってくれたのは友達、母、恩師だった。
ある友達は、私が毎日毎日泣いているにも関わらず毎朝おはようと話しかけてくれ、私が何度同じ話をしても毎回しっかり聞いてくれた。そのおかげであれだけ病んでいたのに不登校になるのを踏みとどまり、なんと皆勤賞をとった。
ある友達は、夜中に受験失敗するくらいなら死にたいと話すとすぐに電話をくれて、大学にいかなくても「しまむら」で働けるんだよ、生きていけるよと安心させてくれた。
母は毎日泣いている私にたくさんの言葉と手紙をくれてそして母も泣きながら毎日向き合って話を聞いてくれた。そしていろんなところから情報を集めて改善する方法を探してくれた。
部活の時から私を見ていた恩師は、かたっぱしから手を出そうとする私に模試の結果から分析させたり、私がどんな勉強をしたいのか、推薦はどうか冷静に判断してくれるとともに、あなたならできると背中を押し続けてくれた。
こんな恵まれた周囲の人に助けられて私は約4か月の闇から覚めることができた。
第一希望の大学に行くことはできなかったけど、今こうして自分のやりたいことを実現できている。
私がこれまでの人生で学び、これからの人生で守っていきたいことは、
Citius, Altius, Fortius
すべてのことに全力を尽くして常に高い目標を持ち続けること。
でも時々休んでまわりにはたくさん助けてくれる人がいることを確認し、頼っていいということ。
これからどんなことがあってもこのことを思いだして頑張りたい。
でも時々は休んでまわりを見ることは必要だよ
これは私が高校時代、陸上部に顧問であり、高校3年生の時の副担任でもあった恩師が卒業するときにくれた言葉である。
Citius, Altius, Fortiusは、「より早くより高くより強く」という意味だ。
私は小学校から陸上を続けていたが、中学校まではまともに練習していなかった。
しかし、高校で800mを専門と決め、しっかり組まれたメニューのもと練習することで記録が伸びた。そのことに快感を覚え、全力で取り組むようになっていった。
そんな私のプレースタイルは
「最後はどうせばてるのだから、それなら最初から飛ばして、飛ばせる距離を伸ばしていこう」
というものだった。つまり、最初から全力投球。ばてても最後は意地で戦う。
このプレースタイルは私にとても合っていて、試合に出るたび最高記録を更新していった。
しかし、私は新型コロナウイルスの影響で最後の試合に出ることなく陸上生活を終えた。
この無念を受験で晴らそう!と考えた私は、休校期間、毎日家に閉じこもって平均10時間みっちり勉強した。計画もしっかり立てて取り組んだ。この頃は、自分はできると自信に満ち溢れていた。
しかし、休校期間が明けて初めての模試で絶望した。今考えれば絶望するほどでもない成績だったけど、その当時の私はあれほどやったのにそんなに上がってない、私の3か月の勉強はなんだったんだ、あれだけやってもあがらないのに間に合うわけがないと思った。普通に考えてまだ始めたばかりの6月の時点で成績が上がらないのは当たり前であるが、これまで陸上でうまく行き続けていた私は焦り始めた。
そこからが地獄の日々だった。間に合わないと焦る私は絶対1日じゃ終わらないような量をノルマにして計画を立て、消化できずに自己嫌悪に陥り、いろんな勉強法をネットで調まくって、試してはすぐに変えることを繰り返した。そうしていくうちに集中力が続かなくなり、だんだん勉強しても何も頭に入ってこなくなった。その時点で休むべきだったのだが、受験とはこうゆうものだと思い込んでいた私は授業中も塾でも、家でも涙が止まらず、涙で文字が見えないのに教科書を開いて同じところを何回も読んで覚えられなくてまた泣いてを繰り返していた。どうしようもなくて受験をやめることを考えたけど、いい大学に行かないと人生終わりのように考えていたため、死んだ方がましとまで考えていた。
ここまで思い詰めていた私を救ってくれたのは友達、母、恩師だった。
ある友達は、私が毎日毎日泣いているにも関わらず毎朝おはようと話しかけてくれ、私が何度同じ話をしても毎回しっかり聞いてくれた。そのおかげであれだけ病んでいたのに不登校になるのを踏みとどまり、なんと皆勤賞をとった。
ある友達は、夜中に受験失敗するくらいなら死にたいと話すとすぐに電話をくれて、大学にいかなくても「しまむら」で働けるんだよ、生きていけるよと安心させてくれた。
母は毎日泣いている私にたくさんの言葉と手紙をくれてそして母も泣きながら毎日向き合って話を聞いてくれた。そしていろんなところから情報を集めて改善する方法を探してくれた。
部活の時から私を見ていた恩師は、かたっぱしから手を出そうとする私に模試の結果から分析させたり、私がどんな勉強をしたいのか、推薦はどうか冷静に判断してくれるとともに、あなたならできると背中を押し続けてくれた。
こんな恵まれた周囲の人に助けられて私は約4か月の闇から覚めることができた。
第一希望の大学に行くことはできなかったけど、今こうして自分のやりたいことを実現できている。
私がこれまでの人生で学び、これからの人生で守っていきたいことは、
Citius, Altius, Fortius
すべてのことに全力を尽くして常に高い目標を持ち続けること。
でも時々休んでまわりにはたくさん助けてくれる人がいることを確認し、頼っていいということ。
これからどんなことがあってもこのことを思いだして頑張りたい。