転機

こんにちは。けいです。

自分は今、将来途上国の発展に関わりたい、という凄くぼんやりはしているが、固まった夢がある。

どうして、そういう道に進みたいのか。はじめのうちはただ人の役に立っている自分に満足しているだけだったのかもしれない。だけど今はそうじゃない。


記憶に残ってる中で一番最初に”人助け”をしたのはアメリカの小学校に通ってい時だった。小学校では各クラスに一人ずつ障害を持った子がいて、その補佐係、要するに手助けをする係を二年間つとめていた。その仕事をどうしてやろうとしたのかはもう覚えていない。


今考えると、単に昔からボランティアとかをするのが好きだったのかもしれないし、ただカッコつけたかっただけかもしれない。学校のゴミ拾いとかもなぜか参加していたし、中学に入ってからもずっと小学校のサッカーチームの指導をボランティアとして続けていた。


それに加えて、両親が海外で仕事をしていたり、海外の思考が強かった事もありなんとなく自分もなんとなくを海外でなにかしたいという気持ちになった。それがきっかけでカンボジアにボランティアしに行こうと決めた。


 カンボジアでボランティアしてる間、孤児院に三日間訪れていた。そこでは自分と同い年の子もいれば年下の子もいた。でも最初に彼らを見たときには全員自分より年下だと思った。それほど彼らは痩せていて、背も小さかった。そこまでは自分の想像通りだった。やせ細った子たちが、あまり元気もなく日々の生活を送っている、という自分の途上国の孤児院のイメージ。ただそこから先の自分の想像は1つも当たらなかった。孤児院について、軽く説明を受けてから自由時間になった。自由時間の入ると子供たちは自分が持ってきたボールを取って一気に散っていった。そこから子供達とはひたすら遊んでいた。遊んでいる最中子供たちは活気にあふれて、笑顔がはじけていた。普段遊び道具が少ないこともあったのか持ってきたボールにはすごく喜んでくれ、皆でひたすらサッカーしたのが凄く印象に残っている。皆と時間を過ごす内に年の近い男の子も女の子もいた事もありとても仲良くなれたし今でも連絡を取り合うほど仲良くしている子もいる。


 日本に帰ってきてからの自分の生活、途上国を訪れた人なら誰でも口にする言葉だと思うが、自分がどれだけ恵まれているのか思い知らされた。今自分はアメリカの学校できれいな寮のコモンスペースでこうしてパソコンを使って記事を書いている。今この瞬間に自分の友達はスカスカの屋根の下で何十人もの年下の子達の面倒を見ていて、あと一年もしないうちに孤児院から社会に出て仕事をしないといけない、という不安を抱えている。昔の自分にとってボランティアというのに自己満足の感情があったと正直に思う。ただ、そんな状況にいる友達の手助けをするのはもはやボランティアではなく、単に友達のために出来る事をする、ということだと思う。このボランティアのきっかけが自分のため、から、友達のため、という考え方が変わったのが今の自分の将来の夢、理想の社会、に繋がっているのだと思う。


 SDGsを広めたい、関わりたい、という人には結構会う。一体その人たちのその思いはどこから来たのか、何かしらきっかけがないといけないというわけではもちろん無い。ただ、自分は、どうしてそうなのか、と聞かれたときにハッキリと自分のストーリーが語れる人になりたかった。このカンボジアでの経験とその振り返りは自分の中のその、なぜ、を見つけさせてくれし、自分の日常に対する考え方を変えただけではなく、途上国の発展に関わりたいという考えに大きな影響を与えてくれたと思っている。




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