2020年ももう半分が過ぎ去ろうとしている。
3月末から全世界を震撼させたコロナウイルスのせいで、バタバタしていたせいか時の流れが速い気がする。
(まあたぶん毎年思ってるけど。今年は特に)
Katharsisは6月1日、2か月間休業していたBarを再開させた。久しぶりの対面での会話だったお客さんも多く、「なんか少し恥ずかしい」
という声が聞こえてきた。
パソコンを通しての会話と実際に会っての会話って何か感じが違う。
何だろう?って思ったので、今回は私たちの提供する「語り」について書こうと思う。
私は自他ともに認める「コミュ力お化け」だ。
元々、Katharsisにお客さんとして通っていた時は、カウンターで隣に座っていた人、テーブルで会話していた人、店内にいる人に片っ端から話しかけに行っていた。
(スタッフに「あの頃のお前はやばかった」って言われるレベルで)
なぜそんな行動をしたのか。
ここに集う人たちは、話しかけたら、返してくれるのだ。
当たり前のことかもしれない。けどカフェで、同じことをしたら絶対に嫌な顔をされるだろう。
でも、Katharsisにいた人たちは嫌な顔をするどころか、私の存在を面白がってくれた。
それぞれの専門領域や関心、時には恋愛まで幅広く色々な話をしてくれた。
Katharsisで毎夜なされる会話は本当に幅広い。
現代の社会情勢について話していたかと思えば、恋愛の話になったり、ジェンダーの話になったり、幸福の話になったり。
はたまた、ボードゲームを始めたり...
なぜこうなるのか考えたときに1つ思い当たることがあった。
私たちは「テーマ」を決めて話していないのだ。
自分がお客さんだった時も、特段、目的もなく行っていた。
いわゆる「雑談」から”何か”が生まれるのがKatharisisの特徴だ。
ふわっとした答えすぎるので、昨日面白いなと思った出来事を紹介したい。
久しぶりのオープンにあたり、店内を掃除したり、ドリンクを提供する準備をしてきたときのことだ。
ビールサーバーの洗浄をしようとしていると、他のスタッフがやってきたのでやり方を教えた。
でも、2回目やってみてって言うと忘れているのだ。
他のことは基本的に何でも器用にこなす彼に「珍しいね」っていうと、「俺は手続記憶が苦手なんだ」って返ってきた。
ここで一つ種が蒔かれている。
「手続記憶(てつづききおく)」
私の知らない単語だ。要するに、体で覚える系作業のことらしい。
前回の記事でも紹介したが、知らないことを知ること、それについて話せる人がいることが私の考えるKatharsisの価値だ。
私はラーメンの食べ方を知らない。
突発的にその機会はやってくる。
ビールサーバーの話をしていて、手続記憶という単語を知る。
そんなの日常にあふれていると思う人もいるだろう。
たしかに、普通に会話していてもどこにでも知らない単語が飛び交っている。
しかし、果たして何人の人がそれを気に留めるだろうか?
それを深堀りしようと思うだろうか?
「分からないことは恥ずかしい事じゃない。」
そう小学生の時から言われて育ってきた私たちは、他国と比較されると、「恥ずかしがり屋」「自分の意見を主張できない」というレッテルを貼られる。
Katharsisでは本当に「分からないことは恥ずかしい事じゃない」。
分からなければ教えを請えばいいと思わせてくれる。
一番最初の話に戻ろう。
対面での会話とパソコンを通した会話の違い。
目が合うかどうか、距離感もあると思うが、私が一番違いを感じるのは「空気感」だ。
相手の表情や動作、言葉から醸し出される空気感は対面じゃないとなかなか伝わってこない。
対面すると自分の空気が相手に伝わって、相手の空気が自分に伝わってきて「恥ずかしい」と感じることはあるが、私は結構それが楽しい。
様々なところでなされている会話が生み出すこの空気に包まれながら、どんどん蒔かれている種を拾い集めていきたいなと思ったお話でした。