こんにちは。Michiii 10期、YUIです。今日は、ボランティア活動をする理由と意義を考えたので、それについて書いていきたいと思います。
まず初めに、私がボランティア活動をする理由についてです。
私は、看護大学に通い、3つのボランティア団体に所属していますが、看護とボランティアから想像する言葉は、思いやりと奉仕の心です。
思いやり:他人の身の上や立場になって親身に考えること。また、その気持ち。
奉仕:社会や他人のために、利害を離れて尽くすこと。
先日、他のボランティアのオンラインミーティングで、「自分を構成する言葉を2つあげて、それについて説明する」というワークをしました。私は、2つのうち1つに、「思いやり」をあげました。
なぜなら、思いやりの心を持って、行動することが、私の生きる指針だからです。これは、私の名前の由来が影響しています。父は、私に「YUI(裕衣)」という名をくれました。豊かな心で、他者を包み込む人になってほしいという意味があります。
したがって、私がボランティア活動をするのは、生きる指針に思いやりの心があるからです。誰かの役に立ちたいという想いがあるからです。なので、ボランティア活動をすること、また、看護の道を選ぶことに迷いはありませんでした。
しかし、近頃、次のような葛藤を抱いていました。
「私は、誰かのために活動することが好きだ。さらに、人の役に立っていると感じられる時は、私に生きる価値が与えれたようにも思う。」
「でも、思いやりの心もボランティアも、結局は自分のためでしかないのでは?自己満足なのか?」
この葛藤をどうにか整理したくて、誰かのために活動する意義を考えました。
私だけでは答えを出すことができなかったので、オンライン英会話の先生に聞いてみました。
私:「ボランティア活動をすることは好きであるし、生きがいも感じるけれど、結局、自分のためでしかないのかもしれないという葛藤がある。先生は、奉仕活動についてどう思う?」
先生:「私は、毎年、クリスマス前に犬の保護団体に寄付をしているよ。お金持ちではないから、たくさんのお金は用意できないけどね。」
「私だけの力では、寄付先の現状全てを変えることはできない。でも、私一人が寄付を辞めたら?」
「支援が減る。助かる命が助からないかもしれない。苦しい状況がもっと苦しくなるかもしれない。」
「確かに、誰かの役に立つことができた時、嬉しさや充実感を抱くのは事実だね。でもね、誰がどう言おうと、あなたの少しの勇気と行動には、価値がある。少しの支援が、少しずつ、状況を変えていくはずだから。」
こうして、今、私はボランティア活動をする意義について、一つ学び得ることができました。
『すぐに、状況を改善させることはできないし、一人では、全てを変えることができない。しかし、少しずつでも、より良く変化していくために、ボランティアを活動を続ける意義がある。』ということです。
拙い文章ではありますが、ボランティア活動をする理由と意義について、書いてみました。読んでいただき、ありがとうございます。