初めてPandoを書いてから一年が経って、振り返ってみると、私は自分の中に一貫したものがあるような気がします。
一年前のPandoでは、支援先の「誰か一人だけでも、一瞬だけでも、勇気を与えられるような存在になりたい」ということを書きました。これが私の目指すところだったからです。そしてこれがずっと自分の中に大きく存在し続けていたのだと感じました。
ちょっと長々とお話します。読んでもらえると嬉しいです。
これまでとこれから
私は小学生の頃、授業でアフリカの貧困に苦しむ子どもたちの写真を見て、現地の子どもたちがこれほどまでに私と違った生活をしていることに衝撃を受け、なぜ私はこうやって日々困らずに生活することができているのだろうと疑問に思いました。ですが、当時小学生の私にはこれを解決するためには募金という方法しかないと自分の無力さを感じていました。
そして中学生になり、授業でマララ・ユスフザイさんの国連でのスピーチが取り上げられました。先生はこのスピーチの一部分を切り取り、「トイレに貼って毎日見るんだぞ!(深い意味はなかったと思うのですが…笑)」と言って、変なところで真面目な私はちゃんとトイレに貼ったわけです。それから毎日見ていると、貧困問題は教育の力があれば解決の方向に向かうのだと感じました。例えば植林の方法を教えたところで植林しか学ぶことができませんが、教育を受ければ多様な分野への応用能力が幅広く身につくのです。教育は時間がかかることかもしれませんが、それを踏まえても効力があるものだと考え、教育の可能性を強く感じました。
そして高校生になり、何かに取り組んだわけではありませんが、貧困は教育で解決に向かうという私の考えは常に変わりませんでした。ですが、日本にも貧困問題は存在します。電車通学をするだけで色々な人を見かけ、それを感じることができました。私は高校に通うことができ、塾にも通うことができ、なんとも恵まれている環境で生活していました。そこで私はなぜ途上国支援なのか、なぜ日本ではないのかという疑問にぶつかりました。ですが、私はこれに対して一つの自分なりの考え方を持つことができました。日本は隣の戸を叩くと誰かが助けてくれます。サポートしてくれる人はたくさんいます。その体制は整っています。ですが、途上国は隣の戸を叩いても、隣の家も貧困に苦しんでいます。貧困へのサポート体制が整っていません。整っているとしたら国家のサポートですが、その支援がどこまで行き渡るかというとマクロな視点になってしまうはずです。ミクロにある個人までアプローチすることは難しいのです。なので、私は途上国の問題に取り組み続けるのです。
そして大学生になり、風の会という団体に所属し、カンボジアやラオスの子どもたちのことを想った支援を行っています。また、私は地元のフードバンクで生活困窮者のための食糧支援のボランティアもしています。日本の貧困より途上国の貧困に対して活動すると言いましたが、やはり日本にも想像以上に貧困で苦しむ人たちがいることを知りました。
小学生からこれまでの活動を通して言えることは、私は苦しんでいる人を見かけたら放っておけず、「一人でも多くの人の、少しでも大きな力に」なりたいと思っているということです。困っている人を見捨てられないのです。自分だったら辛いんだろうなあと思うと、何かしたいと思うのです。
それを考えるとこれは自分自身のスタンスであることに気づきました。
これまでの人生においても誰かが苦しんでいるからサポートをしていました。もし自分だったら辛いから助けたいと。私はこれを苦しんで引き受けているわけではなく、むしろ私の原動力になっていたりもするのです。
こんな感じで自己分析していますけど、要は私自身、途上国支援という文脈以上に人生において「一人でも多くの人の、少しでも大きな力に」なりたいという気持ちで動き続けられているのだと思います。
明田花奈、1年前のPandoからパワーアップして原点に戻りました。
風の会での活動はあと1年。
事業局長という新たな立ち位置でもう一度スタートします。
来年にはさらにパワーアップしていたいなあ
読んでいただきありがとうございました。
一年前のPandoでは、支援先の「誰か一人だけでも、一瞬だけでも、勇気を与えられるような存在になりたい」ということを書きました。これが私の目指すところだったからです。そしてこれがずっと自分の中に大きく存在し続けていたのだと感じました。
ちょっと長々とお話します。読んでもらえると嬉しいです。
これまでとこれから
私は小学生の頃、授業でアフリカの貧困に苦しむ子どもたちの写真を見て、現地の子どもたちがこれほどまでに私と違った生活をしていることに衝撃を受け、なぜ私はこうやって日々困らずに生活することができているのだろうと疑問に思いました。ですが、当時小学生の私にはこれを解決するためには募金という方法しかないと自分の無力さを感じていました。
そして中学生になり、授業でマララ・ユスフザイさんの国連でのスピーチが取り上げられました。先生はこのスピーチの一部分を切り取り、「トイレに貼って毎日見るんだぞ!(深い意味はなかったと思うのですが…笑)」と言って、変なところで真面目な私はちゃんとトイレに貼ったわけです。それから毎日見ていると、貧困問題は教育の力があれば解決の方向に向かうのだと感じました。例えば植林の方法を教えたところで植林しか学ぶことができませんが、教育を受ければ多様な分野への応用能力が幅広く身につくのです。教育は時間がかかることかもしれませんが、それを踏まえても効力があるものだと考え、教育の可能性を強く感じました。
そして高校生になり、何かに取り組んだわけではありませんが、貧困は教育で解決に向かうという私の考えは常に変わりませんでした。ですが、日本にも貧困問題は存在します。電車通学をするだけで色々な人を見かけ、それを感じることができました。私は高校に通うことができ、塾にも通うことができ、なんとも恵まれている環境で生活していました。そこで私はなぜ途上国支援なのか、なぜ日本ではないのかという疑問にぶつかりました。ですが、私はこれに対して一つの自分なりの考え方を持つことができました。日本は隣の戸を叩くと誰かが助けてくれます。サポートしてくれる人はたくさんいます。その体制は整っています。ですが、途上国は隣の戸を叩いても、隣の家も貧困に苦しんでいます。貧困へのサポート体制が整っていません。整っているとしたら国家のサポートですが、その支援がどこまで行き渡るかというとマクロな視点になってしまうはずです。ミクロにある個人までアプローチすることは難しいのです。なので、私は途上国の問題に取り組み続けるのです。
そして大学生になり、風の会という団体に所属し、カンボジアやラオスの子どもたちのことを想った支援を行っています。また、私は地元のフードバンクで生活困窮者のための食糧支援のボランティアもしています。日本の貧困より途上国の貧困に対して活動すると言いましたが、やはり日本にも想像以上に貧困で苦しむ人たちがいることを知りました。
小学生からこれまでの活動を通して言えることは、私は苦しんでいる人を見かけたら放っておけず、「一人でも多くの人の、少しでも大きな力に」なりたいと思っているということです。困っている人を見捨てられないのです。自分だったら辛いんだろうなあと思うと、何かしたいと思うのです。
それを考えるとこれは自分自身のスタンスであることに気づきました。
これまでの人生においても誰かが苦しんでいるからサポートをしていました。もし自分だったら辛いから助けたいと。私はこれを苦しんで引き受けているわけではなく、むしろ私の原動力になっていたりもするのです。
こんな感じで自己分析していますけど、要は私自身、途上国支援という文脈以上に人生において「一人でも多くの人の、少しでも大きな力に」なりたいという気持ちで動き続けられているのだと思います。
明田花奈、1年前のPandoからパワーアップして原点に戻りました。
風の会での活動はあと1年。
事業局長という新たな立ち位置でもう一度スタートします。
来年にはさらにパワーアップしていたいなあ
読んでいただきありがとうございました。