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まず最初に重要な注意事項です. 今回の作品は精神的に強いストレスがかかるホラーゲームです. 子供にはふさわしくない内容, もしくは刺激の強い表現があります. 不安や鬱病に苦しんでいる, もしくはその可能性がある方はこの記事を読まずゲームも遊ばない方が良いです. この注意の詳細に関してはこちらをご覧ください. またもし記事を読んでゲームを遊ぶ場合は十分体調と精神状態に注意してください.
最初に紹介させていただく作品は “Doki Doki Literature Club!” (略 DDLC)です.
タイトル画面 (初期状態). 左より Sayori, Yuri, Natsuki, Monika.
タイトルを和訳すると「ドキドキ文芸部!」となります. この作品はアメリカのゲーム開発団体 Team Salvato(団体 / Team という名だが実際は Dan Salvato 一人)と絵担当の Satchely と Velinquent ら[注1]によって制作されたフリーの(無料の) VN です. 2017年9月に公開されたのち, まず英語圏インターネットで, そこから日本語圏インターネットへと爆発的に広がり非常に大きな反響がありました. この作品に関しては実況動画等でご存知の方も多いかと思いますが, それもそのはず. これは OELVN 史上とある作品に次いで日本と世界で2番目に最も話題になったと言える作品なのです.
またこの作品にはファン作成の非公式の日本語訳パッチがあるので日本語でもゲームをプレイできます.
さて, あらすじや感想に移る前に言いたいことがあります. それは, このゲームはあらすじを全て知った上でやってみる価値がある, ということです. 通常この手のゲームはネタバレの存在自体がネタバレ, とも言えますが, このゲームはそのことを逆に活用していて, さらにその上ネタバレとその存在が広まることさえ作品の一部である, と僕は考えたからです. もしどうしてもネタバレなしでやってみたい場合はブラウザバック推奨です.
まずはこの作品のあらすじを紹介しましょう.
~あらすじ~
まずこの作品はゲームというメディアの特徴としてのリスタートを使った「ループもの」と言えます. 1周目から4周目までの4周分(これらはそれぞれ物語の1章から4章に該当する)が存在します.
~1周目~
日本風の高校の文芸部に入ることになった主人公. 文芸部員の幼馴染 Sayori (サヨリ), ツンデレ Natsuki (ナツキ), 物静かな文学少女 Yuri (ユリ), そして才色兼備な部長 Monika (モニカ) ら4人の美少女たちとともに, 作中ミニゲームとして描写される詩を書いたり, その詩を批評しあったり, 部室の飾り付けやお菓子を作ったりなどして文化祭に向け学園生活を謳歌する. 途中には Natsuki か Yuri のどちらかと一緒に過ごす時間もある(いわゆるルート選択). しかし Sayori の調子がだんだんと悪くなり始め, 文化祭前日には鬱病を発症したことを主人公に対し告げる. そこで主人公は幼馴染であり親友でもある Sayori を支え始めるがその時, 彼女に前から主人公のことが好きだったことを告白される. そして文化祭当日, 告白に対する主人公の答えにかかわらず, 突如彼女は首を吊って自殺する. これと同時にゲーム自体がバグり始めタイトル画面に戻る.
~2周目~
しかし物語は再度始まって Sayori がいないままもう一度文化祭に向け学園生活を過ごすことになる. だがすぐに Sayori がいないことにより物語とゲーム自体に様々な綻びが生じ始め, 絵や音楽がおかしくなるなどホラーなバグ表現が出てくる. 加えて, Yuri は主人公に対して告白しながら自殺し, 残されたプレイヤーはランダムな文字列で表された土日の長い時間を Yuri の死体とともに過ごすことになる. 月曜日になり Natsuki と Monika が登校してくると, Monika はゲームのデバッグ用画面を出し, Yuri と Natsuki のキャラクターデータとゲームの世界すべてを消去し, もう一度タイトルに戻りかける.
~3周目~
しかしタイトル画面が表示される寸前, 禍々しい世界が表示され, 主人公は Monika と2人きりになる. Monika はこの世界はただのゲームで, キャラクターはただプログラムに沿って動くものだと気づいたとプレイヤーに語る. 平べったいこの世界に疑問を感じた彼女は主人公ではなくゲームを遊んでいる, 現実の「プレイヤー」のことが好きだと告白する. プレイヤーはこのままだと Monika と2人しかいない世界で永遠に話し合うことになる. 物語を進めるには, プレイヤーがゲーム内部の Monika のキャラクターデータを消去することで彼女を象徴的, 実質的に殺害して拒絶する必要がある. 拒絶された Monika はやってしまったことへの後悔と, 本当は文芸部員のデータは消しておらず, 自分だけ去って文芸部を直すことをプレイヤーに告げてゲームから去る.
~4周目~
そして Monika 以外の主人公含めた4人だけで物語は再度始まる. ここでノーマルエンドに入った場合, Sayori はプレイヤーに対し文芸部の部長になったことでこの世界のことを全て知ったこと, Monika を消してくれたことに感謝し3周目の Monika と同じようなこと, つまりこの世界はゲームだと気づいていてプレイヤーのことが好きだということ, を言い始める. Monika はプレイヤーを守るためゲームに戻り Sayori のデータを消し, エンディングテーマを流しながらすべてを消す. 最後には Monika からのメッセージが表示され, ゲームがクラッシュする.
トゥルーエンドに入った場合, Sayori は主人公(プレイヤー)に対し部長になってこの世界のことを全部知ってしまったこと, 時間をかけて文芸部の全員と一緒に過ごしてみんなを幸せにしてくれたことに感謝してること, 文芸部はみんなプレイヤーを愛してることを告げ, エンディングテーマを流しながらすべてを消す. 最後にはゲームの開発者 Dan Salvato からのメッセージが表示され, ゲームがクラッシュする.
~考察/感想~
この作品は一般的には「ホラーなバグ表現」と「第4の壁を壊す表現」の2つの「ネタバレ」がその斬新さから話題となりがちですが, それらは DDLC の考察で有名な山本ニュー氏の言葉を借りるならば, 「ギャルゲーに興味のない人々をこのゲームの真のテーマ(複数ある)に導くための撒き餌に過ぎない」[注2]. そして同氏によると「真のテーマ」の一つは「他人に共感すること, 理解できなくても否定しないこと」[注2]とのことです. それについて少し考えてみましょう.
この作品の1周目と2周目では文芸部の活動として詩を作って互いに批評し合うということをします. ここで Natsuki が1周目の2回目に作る詩 “Amy Likes Spiders” (エイミーはクモが好き) を参照してみましょう. (和訳のみ載せます.)
エイミーのこと聞いた?
エイミーはクモが好き.
べとべと, もぞもぞ, もじゃもじゃでキモイあのクモが!
だからわたしは友達にならないの.エイミーの歌声はかわいい.
わたしのお気に入りのラブソングを歌ってたな.
サビを歌うといつも, 歌詞のリズムにあわせて心がどきどきした.
でもあの子はクモが好き.
だからわたしは友達にならないの.いちど, 足を大ケガしたこともあったな.
エイミーが保健室に行くのを手伝ってくれた.
わたしはあの子にさわらないようにした.
あの子はクモが好きで, 手もキモそうだったし.
だからわたしは友達にならないの.エイミーには友達がたくさん.
いつもだれかしらと話してる.
たぶんクモについて話してるんじゃないかな.
もしあの子の友達もクモが好きになっちゃったら?
だからわたしは友達にならないの.他に好きなものがあったって知るもんか.
ひみつにしてたって知るもんか.
傷つく人がいなくたって知るもんか.キモイんだ.
あの子はキモイんだ.
世界にクモ好きの人なんていない方がいいんだ.だからみんなに話しちゃお.
(非公式日本語訳パッチより引用)
さてここにおいて「クモが好き」ということはなにを暗喩してるのでしょうか. この詩に関する批評では Natsuki は「複雑な状況を説明するのにも単純なアナロジーで十分なこともあるのよ……人がどれだけバカなことをしているか気づかせてあげられるし」と語ってます. ストーリー中, Natsuki は可愛いものや漫画が好きで, そのことでよくからかわれるということが語られます. 率直に読むなら「クモ」は可愛いものや漫画のことを指す, と考えられますが, 別の見方もしてみましょう.
上記の Natsuki が語った「複雑な状況」に着目して詩を読んで僕が思い浮かんだのは,「クモが好き」ということは例えば同性愛の暗喩とも取れる, ということです. この暗喩の可能性を知った上で詩を読み返してみると, 「『エイミー』は同性愛者であり, だから『わたし』は彼女のことが嫌いだ. 触られたくもない. (つまり『わたし』はホモフォビア[注3]と見れる)『だからみんなに話しちゃお』(つまりアウティング[注4]しちゃお)」と読めることがわかります.
この同性愛者に対するアウティングという「複雑な状況」はまさに山本ニュー氏の言う「他人に共感すること, 理解できなくても否定しないこと」というテーマに合致するでしょう. (ちなみにここでクィア(性的少数派)の方達を例に挙げたのは, 後々紹介する作品の2つにおいてクィアに関することが中心的なテーマとなるためです.)
Yuri も同じように, 1周目の2回目のときに他人に理解されない考え, 趣味があっても否定して欲しくないということに関する詩を作っています. Monika も3周目の最後で文芸部員のことを「平べったい」がため否定してしまったが, それでも文芸部員のことを否定しない, むしろみんなのためにできることをするというところに至ります. このように,「他人に共感すること, 理解できなくても否定しないこと」というテーマが確かに作品内にあることがわかります.
さて, 僕がこの作品の「真のテーマ」の中で最も重要だと考えてるのは「奇抜な設定を使いつつも『他者との共感, 人を否定しないこと』という普遍的なテーマを描く」ということです. このテーマは山本ニュー氏の「他人に共感すること, 理解できなくても否定しないこと」というテーマに「ホラーなバグ表現」と「第4の壁を壊す表現」(=「撒き餌」)をあえて合わせて考えてみたもので, この方が深くこの作品の中心的考えがわかるのではないか, と考えました.
「普通の設定」で「『他者との共感, 人を否定しないこと』という普遍的なテーマを描く」のはそれは当然しっかりとした感動する作品になるわけです. そこをあえて「奇抜な設定」を使うことによりそのテーマの普遍性, つまり奇抜な設定であってもそのテーマは存在すること, をはっきりさせ, さらに「奇抜な設定」自体を「ネタバレ」としてあえて広めることにより通常は届かない層にも届けることができるのです. (そして驚くべきことに実際に成功したのです.) これが一番最初に「ネタバレとその存在が広まることさえ作品の一部である」と記した理由です.
しかしこれだけでは「真のテーマ」に「奇抜な設定」を足し合わせる理由とはなりません. 実はあともう少しだけ理由があるのですが, これ以上はかなり深い考察と関わっているので, 詳細は僕が書く予定の別ブログに続きを載せようと思います.
このように, この作品は美少女ゲームの皮を被った演出力の強いサイコホラーゲームですが, 「真のテーマ」はそれではなくその裏に隠された「他者との共感, 人を否定しないこと」という暖かい人間性を主題にしたものです. そしてこの作品の一番中心のテーマは「奇抜な設定を使いつつも『他者との共感, 人を否定しないこと』という普遍的なテーマを描く」です.
というわけで, 少々唐突ですが以上で “Doki Doki Literature Club!” の紹介, 考察, および感想を終わらせたいと思います.
最後に, 一部の考察に関して参考にさせていただいた山本ニュー氏, またこのゲームを作ってくださった Team Salvato (Dan Salvato 氏) および Satchely 氏と Velinquent 氏に対して感謝の意を申し上げます.
ここまで読んでいただきありがとうございました.
[注1] 厳密には Satchely と Velinquent の2人はこのプロジェクトのみ関わるという契約で Team Salvato に所属していて, 2020年9月現在はフリーランスになったためこのような表記にしてあります.
[注2] 2019年4月のツイートより引用
[注3] 直訳としては「同性愛恐怖」. 一般的には「同性愛嫌悪」. 意味はそのまま同性愛, もしくは同性愛者のことを怖いと感じたり嫌いだと思ったりするなどそれらに対し偏見をもつこと. もしくはそのような人のこと.
[注4] 性的少数者に対して, 本人の承諾を得ずに, 公にしていない性的指向などを公にすること. 一部の自治体においては禁止行為となっている.
(2020/9/9) 一部表現修正.
(2020/9/15) 一部加筆.