4年間を振り返って〜やりたいことができる、大学生活のマイホーム〜

あっという間に大学生活も残り半年。毎年自己紹介の学年が1つ上がるたびに驚き、焦っていたのが、もう4年生。
ということでここで私のSTUDY FOR TWOでの4年間を振り返ってみたい。長くなるがSFTでの私の経験を全て書き連ねてみたいと思う。

伝えたいことは、
SFTが本当に自分のやりたいと思ったことを実現できる場所であるということ、
そしてそれを受け入れてくれ、応援し、手伝ってくれるメンバーがたくさんいる、マイホームのようなところである
ということだ。

もうこれで結論は書いたので、あとは私の経験しか出てきません。お時間のない方は別の人の記事を読んでくださいね(笑)

1年生
4月末 SFTに加入。
もともと漠然と国際協力に興味があって大学や学科を選んでいた。大学のグローバル協力センターの説明会の中で、学生自主活動として紹介されていたのがSFTだった。win-winな支援の仕組みに強く共感。同時に、中高と部活に全力投球しすぎた私は、大学に入るときに「大学では必ず勉強を頑張ろう!」と意気込んでいたので、週に1回のミーティングと学期末・新学期の回収・販売活動だけで負担なく活動できるところに惹かれて加入を決定した(大きなフラグである)。

5月〜8月
根が真面目な私は、地区で開催されるイベントなどはなるべく全部行かなければならないと思っており、その通りにしていた。その結果、”いつも来てくれる真面目で良い後輩”みたいなポジションで先輩に可愛がってもらえるようになる。だから次も先輩に会いに行こうという気持ちになって、ますますちゃんと参加するようになる。
同時に、今までは精神論根性論で部活をやっていたのが、売上を上げるための論理的思考というものに触れて感銘を受ける。そもそも新しく人と出会って会話すること自体が視野が広がって楽しかったから、他大学の様々な人と触れ合うことからますます刺激を受ける。これでどんどん活動にのめり込んでいくことになる…。

9月 1人しか同期がいなかったのだが、その子が支部長になる。
自分は夏合宿には短期留学に行っていて参加できなかったが、その子は参加しており、全国に友達ができて、様々なことを学んで成長して帰ってきたのを見て、ちょっと焦る。1つ上の先輩が1人しかおらず、また別の部活で忙しい人だったので、その同期が支部長になる。この年度の後期はこの3人で支部活動をすることになる。

10月頃 全国合宿の合宿係になる
イベントの運営はもともと好きだったが、合宿に行ったことがなかった分、合宿係がどういうものかわかっていなかった。1年の後期はたくさん授業をとっていたこともあり、「興味はあるが負担が心配」という旨の連絡を先輩にしたことがあった。その時はそれで終わっていたのが、後日その先輩から「やってみない?」と声をかけられ、好奇心もあり、断れずにやることにしてしまう(その後合宿が終わるまで週3〜4回のミーティングをすることになり、あれあれ勉強を頑張るとは…?ということになる)。

2月まで 合宿係を頑張る
合宿が何かを知らない人間が合宿を作ろうとしているのだから、今思えば本当に大それたことをしたものだ。でもやりたいと言ったことはやらせてくれる団体なわけで、係の先輩が手取り足取り本当に丁寧に教えてくれたおかげで、最後までやり通すことができた。
コンテンツ作成を通しての学び、合宿・イベントの運営の学び、先輩のコミュニケーションの取り方からの学び、やったことのなかったSNS広報に関する学び、参加者の様子からの学び…、あげていけばきりがないくらいの学びをさせてもらった。

初めての全国合宿は、地区だけに留まらず全国の人と出会い、話ができるという、それだけでもう本当に楽しかった。また係をやっていることで、参加者の皆さんから知ってもらえているわけで、ますます出会いが広がった。
合宿後に参加者からの寄せ書きをいただいたのだが、自分の知らない人までもが私を見てくれていて、あたたかいコメントをくださっていてそれにも感動した。
2年生
4月〜5月 後輩がたくさん入る
3人だけで頑張って活動を続けてきた1年生後期。できる限りの活動はしていたが、3人では将来的にまずいわけで、勝負の新歓のときが来る。自分が去年参加を決めたグローバル協力センターでのプレゼンと、販売時に領収書とともに新歓のビラを渡すことと、サークルオリエンテーションの時期にビラを頑張って配るということを行った。結果として、6人の1年生が加入。また同期と私の共通友達も1名加入してくれて、合計で10人になる。めでたしめでたし、存続の危機は免れた。

7月 同期が長期留学に行くために支部長を引き継ぐ
8月 全国合宿に参加
ここで自分は、自分が思っている”支部長”と、全国の人から見る”支部長”には随分と乖離があることを感じる。合宿で「お茶大支部の支部長をやってるんだ〜!」と言ったときに「へーすごい!」などと言われる、その反応の強さと、自分が支部長を引き継いだ温度感が一致していなかった。

9月〜2月まで 目の前の支部活動をコツコツ頑張る
今振り返ってみれば、どんなに支部が大きかろうが小さかろうが支部長が背負っている責任や、支部長が伸ばせる支部・支部員の可能性を認識していなかった。支部長が、任期の間、そしてその後の支部のビジョンをきちんと持ち、それを掲げて、達成のために必要なことを実行していくことの重要性に気づいていなかった。そしてそれを教えてくれる人がいなかったし、自分でも知ろうとしていなかった。
さらに、良いことではあるのだが、目の前のことを一生懸命やっているだけでその年度は売上が右肩上がりだったのだ。メンバーも誰もやめなかったし、みんな自分のできる範囲で活動を頑張ってくれていた。だから、考え直そうとか、自分で向き合ってみようということにならなかった。
外面的には何の問題もなく任期は終わったが、支部長の在り方としては今思えば後悔の残るものとなった。そしてそのことに気づけたのは地区代表を経験させてもらえたからだ。

10月〜12月 関東地区合宿の合宿係をやる
閑話休題。支部長をしつつ地区合宿の運営に関わっていた。この合宿は、関東地区への帰属意識を醸成すること、競争心・向上心を楽しみつつ持ってもらうこと、リーダーの良き右腕になれるようになることを目指し、目一杯楽しさ要素を集めたものだった。コンセプトがしっかりしていたので準備から当日まで、係が1番楽しんでいたと自信を持って言えるくらい、本当に楽しいものだった。楽しさと共にコンセプトを伝えることもできるのだと学んだ。

2月末 全国合宿に参加、地区代表をやってみないかと言われる
当時関東地区の地区代表がピンチであることは認識していたし、次は3年生になる自分の代から誰かが出ることもわかっていた。でも自分にその話が来るとは全く思っていなくて、最初に言われたときには本当に驚いた。
自分に「関東地区をこんな地区にしたい!」とか、「こんな団体にしたい!」とか「こんな地区代表になりたい!」というものがなかったから、引き受けるかどうかは本当に悩んだ。でも、断る理由もなかったし、自分に話が来たことが嬉しかったし…ということで腹を括り、引き受けることにした。

3年生
4月〜5月 地区代表の活動を始める
正式な地区代表の任命は5月だったが、3月から徐々に準備を始め、4月からはほぼ地区代表としての活動を開始していた。
そして同時に、コロナによる活動制限が始まった。
担当支部は春販売ができず、新歓は全てオンライン。「自分の地区の売上の責任は地区代表にある」という状態になり、何かしなければとはなるもののどうしたら良いのかもわからなかった。
それでも所信表明をし、正式に地区代表になり、もう1人の関東地区代表とともに少しずつできることをと、オンラインでの地区イベントの開催や、郵送等での販路の確保を考える。

6月 お茶大支部の支部長を引き継ぐ
幸いなことにオンライン新歓に成功し、6人の後輩が入ってくれて、にわかに大所帯の支部に。安心して支部長を引き継ぐことができ、地区代表として支部を見守ることになる。
地区代表としては、団体内にSlackとG-Suiteを導入するということになり、9月頃まで地区メンバーへの説明や事務作業に追われる。

9月 郵送販売を考える、チャリボンに取り組む
お茶大支部の場合、春販売は入構制限で大学に入ることもできなかったが、少し緩和された隙を狙って大学から教科書を持ち帰り、家から学生のもとに発送することにする。関東の支部でも徐々にこれが広がっていく。
同時に、これでは回収ができないと思い、バリューブックス さんのチャリボンというサービスをSFTでも利用することにする。自分で思い立ち、自分で担当してやらせてもらったプロジェクトの1つである(リンクのサイトの文章も私が書きました)。

10月 半年間の地区代表業務を振り返る
この振り返りを通して、前述の自分が支部長だったときに足りていなかったことに気づけたし、地区代表として足りていなかったことにも気づけた。うまくいったことはなかったに等しいが、考えた時間の分だけ気づきが増えたことを感じたのがこのときだった。
特に感じたのは、施策として何をどれだけ行うのかということの重要性である。「支部のサポートを頑張る」の一言で終わりにしてはいけないわけで、サポートするための情報収集をどうするのか、得た情報に対して自分が何をするのか、それでどのように売上につながるのかを考えなければならない。その責任が自分にあることを改めて感じたし、それだけではダメで実際に行動して結果を出さなければならないことを実感した。

11月〜2月
10月に考えたことをもとに活動を進める。各支部のみんなは非常に頑張ってくれていたが一方で、地区代表主催で開くオンラインイベントの参加者数がどんどん下がっていく。支部長が企画する交流イベントなどの参加者は多いことから、より当事者意識が持てるような、主催者や参加者との距離が近くて規模が小さめのイベントの方が今は求められているのだと実感。よって取る方策も、自分から地区全体に働きかけるのではなく支部長への働きかけへと切り替える。

2月末 全国合宿
夏合宿は無くなってしまったが、春はオンラインで開催。私は合宿自体には参加できなかったが、Zoom開催であるおかげで夜の座談会だけは毎日フル参加。たくさんの人との会話を通して改めて団体が好きだという気持ちを感じる。

3月 オンラインで支援先を見るイベント「おうちdeラオス」を企画(秋頃から)・開催する
阪神地区・京滋奈金地区の地区代表、団体内の支援先調査プロジェクトのメンバーとともに、支援先であるラオス在住の日本人の活動家の方にお願いし、ラオスから中継してもらうツアーを開催。コロナ下のラオスの状況を知ることができたし、何より実際に海外をリアルタイムで観ているという感覚だけでもとても楽しく、初心を思い出す。60名ほどの参加者からも好評をいただく。

4年生
4月 「おうちdeラオス 新歓編」を開催
新入生対象に、現地の先生や子どもへのインタビュー、ゲストの方のキャリア形成について、そしてSFTメンバーの経験の話などをプログラムにして開催。

5月 地区代表を引き継ぐ
なんだかんだあっという間だった。
数値的な結果を残せたわけではないので、自分で郵送販売のマニュアルを作る、チャリボンを導入する、おうちdeラオスを開催するなど、コロナの中でできることを頑張ったとしか言えない。地区代表としてこれはあるべき姿ではないと思うし、仕方ないとも言いたくない。
各支部のメンバーが一生懸命に今できる活動を頑張ってくれている姿に励まされ、自分にできることは何かと常に考えさせられる時間だった。
このような経験をさせてもらえたことに心から感謝している。
1回くらい対面でイベント開きたかったなあ。

6月〜8月 とりあえずのんびりする
なんの肩書きもなくなり、いったん休憩してみようと思い、本当に休憩。毎日団体の誰かと話していたのに、急に誰とも話さなくなる。簡単に団体との関わりは切れてしまうのだと感じる。

8月 支部設立チームに加入
メンバー的に支部設立チームがピンチだったこと、自分の経験が活かせそうだと思ったこと、4年生の最後まで何らかの形で団体に関わっていたいと思ったことが理由で加入。

8月末 全国合宿に参加
自分が本当に4年生となったこと、あと半年しか時間が残されていないことを実感。合宿を通して、今後やりたいことも具体的になったし、やっぱりこの大好きな団体に最後まで貢献したいという気持ちになる。
「おうちdeラオスに参加しました」という1年生と3人も出会い、純粋に感動する。

9月 次の全国合宿係をやることに決定
卒論をちゃんと書きたい、適度に遊んでのんびりしたいなどなどの思いと、ここまでの経験からくる思いがせめぎ合い本当に悩んだが、誰にでもやらせてもらえることではない、自分だけで何かをしようとするよりも合宿を準備・開催した方が、自分が影響を与えられるメンバーの範囲が広いという思いから、やらせていただくことにした。不思議なことで1年生の春のところに戻ってきたように感じている。ただ団体は当時とは全然違うし、自分自身も全然違う。あと半年、自分がどう時間を使うのか、自分を律してどれだけ頑張れるのか。
半年後に何か良い記事が書けるような頑張りをしたいと思う。

ここまで読んでくれた人はいるのでしょうか。もしいたら、本当にありがとうございます。もはや、連絡をいただきたいくらいです。直接お礼を申し上げます(笑)。

書き始めたら想像以上に長くなってしまいまして、本当に申し訳ございませんでした。
でもやりたいと望んだらこれだけの経験が1つの団体でできる、そのチャンスが与えてもらえることを実感していただけたのではないでしょうか。

大学生活の中心にSFTがあったと思うし、書いてみてもやっぱりそうだったなと思います。それだけのめりこめたのは、自分の場合はここに集う人が好きだったからということだと思うのです。大好きな団体のために何かしたいと思ったから、これだけの時間を使い、過ごし、これだけの人と関わった。そのSFTが、私にとっての大学生活のマイホームなのです。

全ての人に心から感謝しています。
ありがとうございました!

といっても、まだあと半年あるので、頑張ります!!

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