こんにちは!久しぶりの投稿になりました。
9月6日(日)にTFT-UAオンラインスタディーツアーなるものがあり、参加してきました!そこでは、現地の方々からの今の状況をビデオメッセージを参加者全員で見ました。
そこでは、
「フィリピンはそういう(給付金などコロナの対策が手厚くない)国だからしょうがない」
「一番大変なのは子ども。未成年は国で出歩くのを禁止されていて、オンライン授業が始まってもパソコンを買う余裕がなくて・・・」
「失業してしまって・・・」
「食べ物は自分たちで作るしかない・・・」
まだまだありますが、動画でかなりショッキングな内容を話されていました。
ちなみにここからもチェックできます。
現地の方からのビデオメッセージ①(TFT-UA Twitter)
これを見て、メディアではわからなかった実際のフィリピンの様子がわかって、こんなにフィリピンでコロナの被害を受けているんだ・・・と知って、なんとか自分たちでできることを見つけて頑張って行きたいなと思いました。
しかし、私が伝えたいのは「フィリピンってかわいそうだよね」ということではありません。
私が一番に思ったのは、現地の方々はこの状況の中でも力強く生きているということです。(このビデオだけでなく、スタツアではたくさんの方のメッセージを頂いてすごく感じたことです!)
私たちは特に勝手に支援先のことを「弱い存在」「何もできない」というイメージでいて、尚且つ「助けて上げなきゃ」という意識でいると思います。口に出さないだけで、というか、意識する以前にそう思う人も多いはずです。
でも、私は違うと思います。技術や物資を現地の方々に利用させることは支援ではないです。(ここから超主観です・・・笑)
本当の自由は技術や物を自由に使うことではないと思っています。
私たちが良かれと思って提供した技術・物資で統一されると、文化や伝統を壊している可能性が常にあります。
技術や物を1つの手段として提供することで、多様な選択肢の中から発展途上国の方々が自分で考えて自分で選択できることが本当の自由かなと思うようになりました。
そして、「かわいそうだから」って潜在的に思ってしまう原因として、
支援する側される側として自分と相手を区切っているからだと感じます。
支援っていうと支援する側される側で捉えてしまいがちですが、本当の支援は私たちも「交流していく中でそんな考えもあるんだ!」など助け合いつつ、自分も一緒に成長することだと思います。
「かわいそうだから」って思って支援しても、その支援は一過性のものにすぎないと思います。
例えば、よく広告である「このお金があればこの子の将来に明かりがともります」、とか、「親を亡くした▲▲に起こったこととは・・??」みたいなので感情を煽って寄付することは私は好きではないです。
(寄付金を集める上でそういう戦略を出すのは仕方ないのかな、と思いますが、ずるいなぁと思ったりします笑)
だって、「かわいそう」「助けてあげたい」と、自分と開発途上国を切り離しているような気がするから。私関係ないみたいな・・・
もちろん、自分を含めた世界のいろんなこと、を考えるきっかけになっていくのならめちゃめちゃいいと思います!
自分も含めてあらゆる世界の人々の一員だから、自分がもっとどうやっていいか考えることも寄付と同じくらい、もしくは寄付以上に大事なことです。
直接開発途上国と関わる機会はなくても、自分も成長していける!ということに気づかなければ、ずっと相手に向き合うことは難しいと思うんですが、どうでしょう???
「かわいそうだから」から「自分もその人たちと成長したいから」へ
国際協力と自分の成長を切り離すのではなく、国際協力も自己実現も一緒に実現しよう
になるように、これからも活動します。
自分で選択していけることが自由である。とても共感します!!!思わずコメントしてしまいました...私たちもカンボジアでの活動をメインとしていますが、初めて現地行った1年生の頃は先入観で相手を判断していました。幸せな価値観って人それぞれ違いますよね。
返信ありがとうございます!ご連絡遅くなりました・・・・
勝手に何か物資を押し付けるのではなく、途上国の人々が選ぶ選択肢を増やすと言う風に、私たちの支援に対する捉え方が変わっていけば、より開発途上国の人々が自立して生活できる世の中になっていくのかな、と思います!
そうですね、幸せな価値観って人によって違うからこそ特に支援は難しいですよね・・・!