ありふれた日常

オンライン授業、レジに垂れ下がるビニールシート、街ゆく人のカラフルなマスク。

そんな非日常だった光景も、いつしか当たり前の日常になった。

自粛と言われるようになってから、下宿で1人で過ごす時間が圧倒的に増えた。


特に、4.5月は予定されていた看護の実習が無くなり、週に2時間ほどのゼミ以外は授業が何もなかった。


毎日、9時くらいに起きて朝ごはんを食べ、午前中は国試の勉強。午後はアマゾンプライムビデオで映画を見たり、鴨川で本を読んだり散歩をしたり。実家から野菜を山ほど送ってもらったので、料理もちょっと頑張った。


毎日そんな感じで変わりばえのない生活をしてたのだけれど、私はそんな生活をとても幸せに感じていた。


時間を自由に使って自分のしたいことができる。無理に人に会わなくてもいい。アマプラに依存する引きこもりダメ人間になってもコロナのせいだと思えばまあ仕方ないよねってなる。


それで心に余裕ができると、初夏の風が気持ちよかったり、水色の空がきれいだったり、新緑がキラキラしていたり、そんなちょっとしたことを嬉しく感じて、それがまた幸せだった。

私は、「一度きりの人生」とか「悔いなく生きる」とかいう言葉が少し苦手だ。そんなに気張らなくてもいいじゃんと思ってしまう。


向上心もあんまりないし、社会課題を解決したいみたいな大きな目標もない。


それがいいことか悪いことかはまだ分からないけれど、その分、こういうありふれた日常や、ちょっとしたことに幸せを感じられることを大切にしていきたいなと強く思う。

ある本に、「病む」ことの反対は日常性だと書いてあった。

日課にしていること、食べるもの、家族との団欒・・・。日常生活には、"その人らしさ"が詰まっている。

病気になると日常が壊れてしまうけれど、その人らしい日常を取り戻せれば(または新しく作っていければ)、また前へと進んでいける。

患者さんのその過程を支え見届けるのが看護師の仕事だ。


私は、無事にいろいろな試験を突破できたら来年から看護師として働くつもりだ。

自分の日常も大事にしながら、誰かのありふれた日常も支えられるような人になりたいなと思っている。

全然Pumpitは関係ないけど、私のビジョンの話でした。

最後まで読んでくれた人ありがとう🌷

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