【茂木健一郎先生ご登壇】人と心の未来:技術革新で人間理解はどう変わる?

 東京大学では2012年から、統合的な視野と独創的な発想を備え、産学官の各方面でグローバルに活躍するリーダーを育成することを目的としたGCLプロジェクト(ソーシャルICTグローバル・クリエイティブリーダー育成プログラム)を開始した。プロジェクトの一環として行われている講義「グローバル・クリエイティブリーダー講義Ⅱ:Introduction to Management(担当:東京大学大学院情報理工学系研究科客員研究員・岩尾俊兵)」では、普段相互に交流する機会があまりない文系と理系の大学院生、さらには業界の最前線を走るトップランナーとが社会イノベーションに関して様々なテーマで議論し、日本と世界のイノベーションを担う人材を育成することを主目的としている。

 今回はゲストとして脳科学者茂木健一郎先生をお迎えし、「人と心の未来:技術革新で人間理解はどう変わる?」というテーマで学生と議論した。

※発言者敬称略

ゲスト:茂木健一郎先生(脳科学者)

司会 :岩尾俊兵(明治学院大学 経済学部 国際経営学科 専任講師)

書記 :加藤木綿美(二松学舎大学 国際政治経済学部 国際経営学科 専任講師)

 

●茂木健一郎先生発表内容

破壊的イノベーションは「クレイジー」から

私は脳科学をやっていてイノベーションのマインドセットに興味がある。イノベーションは東大にとっても非常に大きなチャレンジだと思う。この講義は文理融合だということだが、私は実は理学部だけでなく法学部にも2年間在籍していた。今日この授業に参加している人を見ても、地方からの学生が来ないということと、ジェンダーバランスが悪いということは東大の大きな問題だと思う。東大は母校だがダメと思うことがたくさんあって、東大に来るたびに「もっとクレイジーな感じにならないかな」と思う。まだジャズじゃない。ちゃんとしたイノベーティブな環境になってほしいというのがOBとしての願いだ。

たとえばGoogle XのAstro Tellerは自分で自分のことをCaptain of Moonshotsと呼んでいるが、小説などを書いている無茶苦茶な人で、東大教授にはあまりいないタイプだ。Google XはGoogle Glassなどの様々なプロジェクトを行っているわけだが、彼がTEDで話した際に、「“このプロジェクトは見込みがない”と言って中止すると給料が上がる」といっていた。今やMany Moonshotsになっていて、「ダメだ」ということがわかるのが大事だ。

Hyperloopは元々Elon Muskがネット上ではじめて構想を公開して、今やイギリスもインドもドバイもやっているが日本には入ってこない。Hyperloopがなぜ日本に入ってこないのかわからない。

たとえばBoston Dynamicsは論文を書かないことで有名だ。彼らの唯一の研究発表はYouTubeに動画をあげること。こういう文化を東大はどう考えるのだろうか。東大では未だに昇進するには査読付きの論文が何本で教授に昇進という基準になっているはずだ。しかし、それではなかなか世界で戦えないところもあると思う。

日本ではAIというとすぐに「経産省のお金を使ってどうのこうの」となるが、Elon MuskのOpenAIがつくった文章生成AIであるGPT2はOpenAIのブログで発表された。工学系では「難しい査読論文、難しいカンファレンスに通しました」という話がよくあるが、それはもはやイノベーションの最先端ではない。勝手にOpenAIのブログにGPT2を発表してしまっているというようなことがイノベーションの最先端でおこっている。

GPT2は自然言語の数センテンスをリード文として出すと、その後に続く文章を生成してくれるというもので、危険すぎて最初は公開するのをやめようという話にもなっていたが、すでに公開された。例えばクオリアについての英文のセンテンスを5行くらい入れると、あとは勝手に文章をつくってくれるし、夏目漱石の「I am a cat.」とかを入れると、その後のテキストを書いてくれる。これがなかなかよく書けている。

このGPT2を支えているのがTerry Winogradが考えたWinograd Schema Challengeで、これはTuring testよりも自然言語のベンチマークとしては良いといわれている。なぜかというと、例えば「The trophy doesn’t fit in the brown suitcase because it’s too big. What is too big?」という文章があった時に、人間だったらすぐにトロフィーだとわかる。しかし、AIはこれを「スーツケース」と答えたりする。現在の自然言語処理は意味論に直接いかずにインターネット上の膨大なテキストを解析して統計学習をしてやっている。そうすると、このローカルな文章の中では「トロフィーが大きすぎるからスーツケースに入らない」ということになるが、インターネット上の文章を読んでも「トロフィーが大きすぎる」という属性は統計学習によっては導くことができない。そのため、Turing testよりもWinograd Schema Challengeの方が良いと言われている。

人工知能が発達してくると人間のアイデンティティ自体が揺らいでいく。Lyrebirdは1分くらい自分の声を登録すると、登録した声で任意のセンテンスを話せるという音声合成AIで、この前のAI美空ひばりみたいなことを最初にやったのがこのモントリオールのベンチャー企業だ。また、Facebookの顔認識技術DeepFaceはもちろんのこと、DeepFakeも出てきていて、それによってビデオのドキュメンテーションが事実かどうかわからなくなってくる。そうすると我々の存在意義は揺らいでくる。

一方で、Nick Bostromの『Superintelligence』という本の中で人工知能の危険性が注目されていて、Elon Muskは「核兵器より危険だ」と言っているが、こういう感覚が東大のキャンパスにどれくらいあるのだろうか。今や権威や国家は全く関係なく、AIやイノベーションは無名のところで勝手に進んでいる。

 

「愚か」になろう

AGI(Artificial General Intelligence)は元々脳の機能を解析してできたが、元々Charles Spearmanが「Intelligence とは何か」ということでg factorを解析した。これは普通に因子解析である。色々な能力があるが、それに共通項があるのかどうかということを調べて、それが「g factor」といって、イメージングの研究では前頭葉の脳活動とg factorがco-relationalだということがわかった。東大は今まで頭がいいということでブランディングしてきたわけだが、頭がいいというブランディングはg factorでだいたい説明できてしまう。

最近の発見では、実は頭のいい人はタスクが色々あった時に脳の回路を使いまわししていることがわかっている。タスクによって新たな回路の構成をつくるのではなく、どんなタスクでも共通の回路でそれを処理できる人がインテリジェンスが高い人だということが脳活動の因子解析でわかっている。タスク処理が苦手な人は、タスクを見た時にいつも新たにde novoで回路の構成を立ち上げようとすることがわかっている。

Elon Muskの有名なThe Clever-Foolish 2×2では、「よく考えると賢いけど、他人から見るとバカに見えるもの」が成功する。Space Xがやっているブースターの再回収も最初はバカじゃないかといわれていたが、成功したら劇的に宇宙開発のコストが下がった。みんなが賢いって考えるならばそこはレッドオーシャンだ。Fod fightからどうやったら逃れられるのか。SpaceX ではElon Muskが「おい、2020年までに火星行くぞ」と無茶苦茶を言うのがElon Timeと呼ばれているそうで、SpaceXのマネジメントの役割はElon Muskが無茶を言ったのを普通の時間にトランスレイトすることだそうだ。

Stupidity、つまり愚かさは大事だ。Richard FeynmanというFeynman diagramをつくった天才物理学者はIQ125しかなかったという話がある。IQはたいしたことではないというか、脳の研究をしているとむしろバカの方が価値がある。

夏目漱石も賢いところでは偉大な文学者になってない。バカなところで偉大な文学者になっている。文学を書く人はバカじゃないといけなくて、村上春樹の書く小説は主人公が理由なくモテる。そんな設定はありえないわけだが、Franz Kafkaも『城』とか『審判』とかみんな主人公が理由なくモテる。そういうバカなところを持っている小説家がなぜか天才といわれている。

John Nunnは市場最も才能があったチェスプレイヤーだといわれているが、世界チャンピオンにはならなかった。なぜかというと、賢すぎたからだという説がある。今やAlphaZeroはたった5~6時間の学習でプロよりも高いレーティングになるという時代に、将棋に一生をかけるというのはよっぽどの変態だ。John Nunnはあまりにも賢かったからOxfordで数学の博士号を取って、チェス以外にも色々なことをやっていたから世界チャンピオンになれなかった。特定の問題領域に集中できないような賢さを持っている人もいる。人間の脳の複雑で面白いところだ。

以上のように、一般知能の高さは特定の問題領域におけるパフォーマンスと必ずしも一致しない。東大はなぜブルーオーシャンにいけないのかというと、愚かさが足りないからだ。今日の参加者にも女性は少ないし、参加している女性の中でもコンピューターサイエンスや物理を専攻している人は一人もいなかった。

 

女性が挑戦しにくい分野:社会学的構造

 

「College majors: Average IQ of students by gender ratio」というアメリカの有名なデータで、縦軸はそれぞれの分野の平均IQ、横軸がその分野に何%女性がいるかということを示しているが、分布を見ると、平均IQが高い分野ほど女性の学生が少ないという結果が出ている。これはおかしくて、元々女性と男性のIQ分布は同じなのだから、なぜこの問題が起きているかというと社会的な問題だということだ。同様の問題で、女性と男性が話す時に男の方が説明したがるという傾向をmanとexplainingをかけた言葉で「mansplaining」という。社会学的な構造によって女性がコンピューターサイエンスや数学に挑戦しにくくなっているという構造がある。

しかし、歴史を振り返ると、Charles Babbageというイギリスで最初の機械式コンピュータを作った人がいて、彼が階差機関をつくったわけだが、階差機関の上で人類で初めてコンピュータプログラムをした人は実は女性で、Ada Lovelaceという人だ。人類最初のコンピュータプログラマは女性だったのである。最近イギリスでAlan Turingが紙幣の肖像画になることが決まったが、一時期Ada Lovelaceになるという説もあった。

ちなみにAda LovelaceはLord Byronという天才詩人の娘だが、Lord Byronはとんでもない男で、彼を称した言葉が「Bad, Mad, Dangerous to know(悪いやつ、きちがい、知り合うととても危険)」で、色々な女性と浮名を流した人である。彼は生まれつき片足に障害があったそうで、心理学の研究によると、障害がある人は自分の欲望を我慢しなくて良いと思う傾向があるという理論があるそうだ。

Adaがすごいのは、当時男性たちはコンピュータで戦争に使うために大砲の砲弾の軌道計算などをしていた中で、Adaはコンピュータで絵や音楽をつくるという、今でいうCGやコンピュータミュージックの構想をすでに持っていたということだ。Adaは色々な意味でコンピューティングのパイオニアである。

Ada Lovelaceが人類初のコンピュータプログラマだったということはぜひ知ってもらいたい。そもそもなぜ東大には女性がこんなに少ないのか?なぜ5:5ではないのか?Harvardは5:5になっている。そこら辺が変わらなかったら東大は良くならないと思う。私は男女の能力は絶対に差がないと思う。そもそも、個人差の方がジェンダーの差よりも大きい。なぜ工学に女性が少ないのか。これは本当に大きな問題だと思う

Satoshi Nakamotoがビットコインの論文書いた。ビットコインだって業績としてはノーベル経済学賞をもらってもおかしくない業績だが、2008年に突然この論文がネット上に出て、ジャーナル論文でさえない。Satoshi Nakamotoはジェンダーどころかエスニシティーもわからないわけだから、ネット上ではSatoshi Nakamotoは実は女性だという説もあって「Satoshi is female」というTシャツもある。

 

イノベーションのマインドセット

 

Grimesというミュージシャンがいる。GarageBandで楽曲をつくっている人で、Grimesはグラミー賞をとっているアルバムを一人で3週間くらいでつくってしまう。私も時々GarageBand で楽曲を作っていて、5曲くらいYouTubeにアップしているが、今は音楽をやろうと思ったらバンドをつくる必要はない。GarageBandで全部音の要素も録って、コーラスも自分の声をエフェクターかければできるから、一人で一つのアルバムができてしまう時代だ。

このGrimesがElon Muskと今交際している。この感じが日本であったらいいなと思う。2人がつきあったきっかけが、Elon Muskの「Rococo basilisk」というツイートで、Elon Muskがそれをツイートした時にGrimesが正しい反応をしてつきあったそうだ。

LessWrongというAIについての匿名ブログで、Rokoというハンドルネームの人が「Roko’s basilisk」という思考実験をして、「人工知能は危険な可能性がある。人工知能の研究を制限する必要がある」と考える人がいたとして、Elon Muskはその一人だが、Roko’s basiliskは、将来万能の人工知能ができた時に、人間の活動の履歴を辿って、自分の感情に反対した人は全部抹殺するというものだ。basiliskは伝説の蛇で、睨まれただけで死んでしまうが、Roko’s basiliskとはつまり、人工知能(AGI)が将来誕生した時に、それによって人間が選別されて殺されるという思考実験だ。

これを文字って「Rococo basilisk」というジョークをElon Muskがツイートして、Grimesはそれを瞬時に理解して2人は恋に落ちたそうだ。こういうレベルの文化が日本にもほしい。日本だとアイドルグループは単に若い女性が若さを売りにしているだけだ。Grimesみたいなアーティストが出ることと、イノベーションのマインドセットは関連していると思う。

世界大学ランキングのトップ10を気にする人は多いが、それよりもトップ800の地図の方がよほど重要だと思う。トップ10はイギリス・アメリカの大学にかなり偏っているが、トップ800を見ると地理的に非常に分散していることがわかる。トップ800の方が、これからの世界の未来図を表していると思う。イノベーションは分散しているということだ。

Less Wrongというブログの名前の付け方もセンスがある。「自分たちも間違うかもしれないが、より間違いが少ないブログだ」ということだ。AIについての様々な議論が行われているブログだが、Less WrongをつくったのはEliezer Yudkowskyで、彼は中卒だが、MIRI(Machine Intelligence Research Institute)をカリフォルニアのバークレーにつくって、Friendly AIなどの重要な概念を提唱している。

他にも、Yudkowskyが2004年に提唱した概念であるCoherent Extrapolated VolitionもAIコミュニティーでは非常に影響力のある考え方で、例えば今回トランプ大統領がイランの司令官を殺害したことは果たして良かったのか悪かったのかについて、色々な考え方があるが、一人の人間ではそういう時の価値判断や倫理判断はできない。一人の人間の判断には限界がある。そのため、Coherent Extrapolated Volitionは将来AIが社会の価値判断や経営判断、政治的な判断をする時に、どうやって人間の知識や経験・価値観を統合して一つのチョイスをつくるのかという概念である。

これからの時代に研究成果はどのように発表され、シェアされていくのだろうか?ピアレビューは唯一の基準であり続けるのだろうか?ピアレビューでインパクトファクターなんて意味があるのだろうか?今や物理や数学の分野では研究成果はairXivにどんどんあげている。airXivは今のところピアレビューする前の段階ということになっているが、airXivのような存在の役割はどうなっていくのだろうか?

Grigori Perelmanは、フィールズ賞を断ってサンクトペテルブルグの森の中にキノコを採りに行って消息を絶った。彼はポアンカレ予想を解いてフィールズ賞をオファーされたが、彼のロジックによると、「自分よりも賢くない数学者が選んだ数学の賞はもらいたくない」ということだ。フィールズ賞の選考委員は当然自分より賢くない。だからもらわなかったということらしい。フィールズ賞の対象になった論文はリッチフローというのを使ってポアンカレ予想を解いたが、これはairXivにしか載っていない。プレプリントサーバというか、ピアレビューを受けたわけではなく、airXivに載ったのがフィールズ賞の対象になっている。

私が知っている東大のマインドセットに一番足りないのは、こういう現実を見ることだ。「やる」のがいい。学会は関係ない。国のお金も関係ない(どこかからお金を引っ張ってくる必要はあるが)。そうではなく、実質だけを考えて「やる」ということに集中することが今の時代精神だと思う。

 

AIと文明

 

今ものすごく大きな問題になっているのが「AI and civilization=AIと文明」だ。私は現在57歳だが、ちなみに57は特別な数字で、グロタンディーク素数という。Alexander Grothendieckという天才数学者がいて、20世紀最大の1人と言われているが、グロタンディークがいつもあまりにも抽象的な理論ばかりつくるから、講義を受けている学生が「わからないから例を挙げてください」と言うと、グロタンディークが「今日は素数の話をしてきたんだけどね。素数って色々なのがある。例えばこの57という素数」と言って、大数学者グロタンディークが「57が素数」と言ってしまったから、それ以降数学会では57は素数ということになっている。

かつて冷戦があり、キューバ危機があったのが私が生まれた年である。この時にソ連がキューバにミサイル基地を置くというので、全面核戦争の一歩手前までいった。私ももしかしたらその時に死んでいたかもしれない。ソ連が崩壊してベルリンの壁が崩壊し、フランシス・フクヤマが『歴史の終わり』で「冷戦は終わったんだ。これからは資本主義だ。自由主義社会が勝ったんだ」と書いたのが1992年である。

しかし今、冷戦Ⅱがあると言われている。これが米中の対立だ。米中の対立はDigital Leninismと言われており、これからのイノベーションを考える上で大問題である。レーニンはロシア革命を起こしたわけだが、レーニンは元々「議会制民主主義はいらない」という立場だった。民主独裁制と呼ぶべきか、社会の変革を効率良く進めるためには、民衆の意を受けた政党が独占して集中的な権利を持ってやっていくのが効率が良いというのがLeninismである。

Digital Leninismというのは、「議会制民主主義じゃなくていい」という考え方だ。フランシス・フクヤマが書いたように、共産主義・社会主義と資本主義・自由主義経済との戦いは、冷戦が終わった時に資本主義・自由主義経済が勝ったことになったわけである。では今何が起こっているかと言うと、AIでレーティングシステムがあり、私のように社会的問題についてよく発言していると、「お前はレーティングが低いから歩いていけ」と電車や新幹線に乗れないかもしれないということだ。

Digital Leninismというアプローチは非常に効率が良く、同じことはパブリックヘルス(公衆衛生)でもそうで、パブリックヘルスというのは実はものすごく大変な分野だ。例えば非常に高価な抗がん剤であるオプジーボを使ってがんを克服して生きている人がいるが、そのためには月に5千万円くらいがかかる。がん患者にオプジーボを使うことは全体の効用関数(ユーティリティファンクション)から見てどうなのかという議論をパブリックヘルスの分野では本当はしないといけない。実はパブリックヘルスは恐ろしい分野だ。よく考えたら全体最適と個人の自由や幸福は必ずしも一致しない。今まではそれを曖昧にしてきたが、AIやネットワーク技術が進むとそれが効率良くできるようになって、それを今やっているのが中国だ。

今何が問題になっているかというと、中国のそういうやり方と、アメリカ的な自由にやるというのと、どちらが今後歴史的に勝つかはわからないということだ。日本はおそらくその中間にいるわけだが。今の米中間の対決は根がすごく深くて、皆さんだったらどちらにするか?生活が快適で不満がなかったらDigital Leninismで自分が個人情報を取られてレーティングされる社会でもいいか?それとも自由がいいか?アメリカと中国が違う体制で発展していったら皆さんはどっち側につくかということがこれから大きな問題になってくると思う。

 

●ディスカッション

 

なぜ「脳科学者」なのか?

 

学生:茂木先生はなぜ「脳科学者」と名乗り始めたのか?

 

茂木:名乗ったというよりは、メディアが勝手につけてそう呼ばれるようになった。私は元々脳科学のメインストリームに異議を申し立てる役割だった。しかし、メディア出演が増えるようになり、一般の人に向かって話している時に、「脳科学はこういうところがダメだ」とか言うと、みんなが変な顔をしていた。一般の人は私のことを脳科学の人だと思って聞きに来ているから、脳科学を分かりやすく解説できる存在が一般の人には求められているということに気づいて軌道修正していって、結果そうなった気がする。

大前提として、私が理研に入った1992年頃、脳は全くブームでもなんでもなかった。「脳科学、あるいは神経科学なんて、そんな分野に行ってもしょうがないんじゃないの」という時代だった。私は理研で何をやったらいいかがわからなくて、通常の脳科学をリスペクトしていないので、脳科学者というよりはクオリア学者に近かった。

芸人がうけるためには条件があって、聴衆が既に持っているイメージとその人がやっていることが一致していないと人間は笑わない。イメージに合った話をすると理解のスピードが速いからうける。

 

愚かになるには?

 

学生:もっと愚かになるためにはどうしたら良いか?

 

茂木:ユーティリティファクション(効用関数)の視点で、何をやるとどのくらい得するかという、それを無視することから愚かさは始まる。得点を無視するとそれがブルーオーシャンになる。ただしそこで、ブックキーピングというか、人生が破綻しないように生きることが重要だ。賢さとは単にペーパーテストの点数が高いことではなくて、塀の上を歩いていて落ちないということが、結局は賢い人なのかなと思う。うまく塀の上を歩いて行ったらいい。

 

日本はこれからどうすればいいか?

 

学生:アメリカ式と中国式どっちがいいかという視点では、結局は変化を嫌って安定する方にいきがちだから、「自由が好きだ」と思うのは刷り込まれたものなのか、それとも人間は本質的に自由が好きなのか?私は日本はその中間をいくのが良いと思う。

 

茂木:フランシス・フクヤマの時は計画経済は結局伸び悩んだと理解されているが、一方で、例えば再生医療やバイオインフォマティクス(生命情報科学)などの分野だと、日本の研究者は倫理規定があってできないことが多いが、中国は自由に研究し放題である。倫理を無視してやっていけるとなると、そういった分野は中国が勝ってしまうと懸念している人が多い。ナチスが無茶な医学実験をやった結果医学が進んだのと同じ話だ。そういう意味でフランシス・フクヤマの論が終わった気がする。その次にくるのは何なのか。

 

岩尾:経営学の戦略論的にいえば、スタック・イン・ザ・ミドルといってだいたい真ん中をとると失敗することになる。とはいえ日本のトヨタ生産方式はスタック・イン・ザ・ミドルを打破したということで評価されているわけではあるけれども。

また、今の自由は自由だと洗脳されているかもしれないという側面はあるにしても、自由主義経済の中で統制経済を選ぶことはできるが、統制経済のもとで自由主義経済は選べないので、選択肢の広さとしては自由主義経済の方が強いのかもしれない。

 

中国のレイティングシステムについて

 

茂木:中国の方々自身は中国のレイティングシステムについてどう感じているのか?レイティングシステムが普及している社会は便利だと思うが。

 

中国からの留学生:個人的には、まだそこまで生活のあらゆる場面でレイティングが影響しているわけではないと思う。例えばレンタカーのような、何かをレンタルするときに本来はデポジットを払うが、信用が高いとデポジットがいらないという程度のものだ。

 

茂木:艾未未や劉暁波みたいなことをすると自由に動けなくなったりはするのではないか。私はWeChatを入れた時に「中国政府が全部見ているから気を付けて」と言われた。中国の人は天安門事件については話したりしないのか?

 

中国からの留学生:天安門事件についてWeChat で議論することはできるが、Weiboではできない。クローズドなコミュニティーで話すことはできるが発信はできない形だ。ただし、みんな実質的にはすでに知っている。

 

仮想現実が人格形成に与える影響

 

学生:VRで自分の見た目を自由に好きなようにつくることができるとなると、逆に現実の自分を受け入れられなくなってしまうのではないか。整形中毒の人のように、鼻が良くなったから次は目を、というようにどんどん変えていくというのを仮想空間上でどんどんやるようになるのではないか。それでヘッドセットを外した時に自分の顔を見られないようになったりすることがあるのではないか。VR中毒のような人が出てきて死ぬまでVRに接続して自殺者が増えるかもしれない。ただ、自殺志願者がVRで自殺体験をすることで自殺を思いとどまらせる、臨死体験をすることで「死ぬって本当に怖い」となって落ち込んでいたのがアップするということもあるらしい。

 

茂木:それなら逆にカフカの『変身』のようにものすごく醜くなって、「うわー、自分はこんなに醜い!」と思って戻ってきたらほっとしたみたいなこともあり得るのではないか。

 

学生: 例えば身長が低いとかでバカにされたり、コンプレックスというのが人には色々あると思うが、コンプレックスをバネにして努力しようという人も多いはずだ。東大の人は何かがあって「見返してやろう」と勉強に打ち込んだ人もいるはずだ。仮に自分たちが小さい頃から自分の見た目が仮想現実に行けば当たり前のように変えられるという世の中になったとすると、コンプレックスが生まれないような世の中で人格形成がどうやって行われるのか。がんばらなくてもかっこいい姿になれるし、頭良くなくても計算もコンピュータがやってくれる。

 

茂木:それはAIでベーシックインカムが普及するみたいな議論とパラレルに関わるかもしれない。

 

学生:美しい・醜いというのは相対的な話でもあり、社会の価値基準などからできていると思うが、仮に自分がなりたい姿になれる、コントロールできるということになれば、みんな同じものになっていくのではないか。同じ基準で「こういうものが美しい」というものを目指して同質性に留まっていくのか、あるいは逆にそこに違和感を感じて何か違いを求めて自然に反発していくのか、どっちなのかというのは疑問だ。しかし、結局ダイナミクスの中で変わることは絶対にあるはずで、自分で目指してなった中でも、その中で他の人と対峙することで生じる相対化があるはずだ。結局「人と比べて自分はどうなのか」という本質は変わらないのではないか。

 

学生:人間の本質的な性格は見た目によって成り立っているのではなく、コンプレックスを感じやすい人はいつまでもコンプレックスを感じるから、反骨精神に基づいた性格がすでに成り立っていて、コンプレックスを感じない人は醜く生まれようが生まれまいが、そもそも感じなかったみたいな考え方ができる。

 

岩尾:仮に人間の経済活動が普遍的に続いていた場合、仮想現実で生まれた時から自分の姿を選べるとしても、おそらく経済格差がある以上、色々なブランドアイテムでよりかっこよくする人と、ベーシックコースではそれは使えませんよという人がいて、容姿でのコンプレックスはないかもしれないが、容姿までを含めすべてが経済格差のコンプレックスになるかもしれない。

 

茂木:逆にいうと人間は差異を求めるものかもしれない。差異がなくなった社会はそんなに居心地が良いのかは疑問だ。

 

岩尾:本当に差異がないとそもそも誰と話しているかもわからなくなる。

 

茂木:アニメの絵を見ていてもキャラクターにダイバージェンスがない。実際の人間は色々な顔をしている。アニメの絵は全ての人が似たような顔をしているし、全員美男美女だ。そうなると美がコモディティー化して逆に稀少価値になるかもしれない。