東京大学では2012年から、統合的な視野と独創的な発想を備え、産学官の各方面でグローバルに活躍するリーダーを育成することを目的としたGCLプロジェクト(ソーシャルICTグローバル・クリエイティブリーダー育成プログラム)を開始した。プロジェクトの一環として行われている講義「グローバル・クリエイティブリーダー講義Ⅱ:Introduction to Management(担当:東京大学大学院情報理工学系研究科客員研究員・岩尾俊兵)」では、普段相互に交流する機会があまりない文系と理系の大学院生、さらには業界の最前線を走るトップランナーとが社会イノベーションに関して様々なテーマで議論し、日本と世界のイノベーションを担う人材を育成することを主目的としている。
今回はゲストとしてKADOKAWA2021年室エグゼクティブプロデューサー担当部長で元ウォーカー総編集長の玉置泰紀先生をお迎えし、「メタ観光:コンテンツツーリズムの先にある従来型観光との融合の可能性」というテーマで学生と議論した。
※発言者敬称略
ゲスト:玉置泰紀氏(KADOKAWA2021年室エグゼクティブプロデューサー担当部長)
司会 :岩尾俊兵(明治学院大学 経済学部 国際経営学科 専任講師)
書記 :加藤木綿美(二松学舎大学 国際政治経済学部 国際経営学科 専任講師)
●玉置氏発表内容
自己紹介
私は同志社大学を卒業し、産経新聞で神戸支局・大阪本社社会部で6年間記者を経験した。その後、福武書店に行き、KADOKAWAに移った。KADOKAWAではウォーカーに代表される都市情報誌を展開し、九州ウォーカーの立ち上げ、東海ウォーカーなど4誌の編集長を経て、ウォーカー全体の総編集長を経験した。現職の2021年室は新しくできた部署で、オリンピック・パラリンピックや統合型リゾート(IR)関連の部署である。
25年間都市情報に携わってきており、結果的に都市について考えるのが仕事になっている。また、その関連で、京都市の埋蔵文化財研究所の理事や、愛・地球博食のパビリオン専門委員会、長崎市観光推進専門委員会など観光行政に関わる仕事も多い。現在は東京文化資源会議の上野スクエア構想会議委員や国際文化都市整備機構のアドバイザーなども行っている。それをまとめたのが書籍『ポスト2020の都市づくり』である。
「メタ観光」の発端:観光についての観光
「メタ観光」という言葉は、私が「多層レイヤーの観光を位置情報で串刺しにする」ということを思いついて、それをトリップアドバイザーの牧野友衛氏に話してみたら、彼が「それって“メタ観光”と言えばいいんじゃないか」と言って命名してくれた。タイムアウト東京代表の伏谷博之氏も面白いと賛同してくれて、私、牧野氏、伏谷氏の3人と、Nianticの村井説人氏や観光庁と一緒にシンポジウムを行った時に「メタ観光」という言葉を最初に公にした。
その後も何度かセミナーやシンポジウムを行ったが、学問的にきちんとやる形にはなっておらず、この3人と、東京大学で都市工学を研究している真鍋陸太郎氏やグローバル・コミュニケーション・センターの菊地映輝氏と5人で学会をつくろう、そのためには社団法人をつくろうとここ2週間くらいでやり直し始めたのがメタ観光である。
菊地氏はコンテンツツーリズム学会の理事も兼任しているが、コンテンツツーリズムは従来型の観光に対して面白いアプローチをしているとは思うが、結局それは昔ながらの歴史散策やアグリツーリズム(農業観光)などの新しいジャンルが一つ増えただけにすぎず、それを統合するものが必要なのではないかと考えており、「従来型観光との融合」という考え方である。
なお、メタ観光のメタとはmetaphysics:形而上学、あるいはmetafictionのことで、自己言及的なものということだ。「観光についての観光」ということで牧野氏が命名した時に私はすごくしっくりきた。
これまで、コンテンツツーリズムは従来型の名所旧跡観光に加えて、映画やドラマ、小説のようなコンテンツとして創造された情報を観光に引き込んだ、フィルムロケーションなどのもの、あるいはアニメの聖地巡りやそういうものをいう。ただし、それが従来の観光と別なのかといえば、実際には同じ場所の上に多層的に重なって存在している。わかりやすいのはGoogleマップで、Googleマップを開けばそこに色々な項目があって、コンビニやATMなどが場所の上に出てくるわけだが、それは歴史も名産品もコンテンツも全て同じ位置的情報、同じ皿にのっかっている。ここにゲームが加われば「Ingress」や「Pokémon GO」になる。テレビでいえば一番わかりやすいのが地形や地学、鉱物学まで取り込んだ最先端観光である「ブラタモリ」だ。タモリさんがやっているのは位置情報にあらゆる情報をのせていくというものであり、これが我々が考えているメタ観光である。
放送作家の高橋秀樹氏によれば、「“ブラタモリ”は地学、岩石学、地形学、文化人類学、歴史学、伝承・民俗学など、あまり日の当たらない学問分野を軸に据えて、日本各地を回る稀有な番組である。言ってみれば、分かる人にはより深く、分からない人にもより興味が持続するように、構成の妙が必要とされる番組だ。あまり構成臭くなく、つまり、製作者の作為が感じられないように見せるのが演出の腕になる。」ということである。「わかりやすく」ではないのがブラタモリであるというのが高橋氏の主張であり、私が考えているメタ観光もそういうものである。
メタ観光:意味のレイヤーを束ねてコンテンツを可視化する
このとき、KADOKAWAで「テレビの周りに未来がある」という考えのもと、1982年に創刊した雑誌が『ザテレビジョン』だった。その後、「ぴあ+テレビジョン+Hanako=カルチャー+テレビ番組表+食・街=東京ウォーカー」ということで(ある意味メタ観光だが、)これらを一つにまとめたら便利だよねということで1990年に創刊したのが『東京ウォーカー』である。『東京ウォーカー』は一時期週刊で60万部売れた。今のようにインターネットが行動や生活の基準になる前は東京ウォーカーが基盤的な情報になっていたのである。
その時に作ったのが季節もの=花火や桜、紅葉の特集が、それまでは存在していなかった。そんなものをまとめようとは誰も思わなかったのが、まとめたら便利だったということだ。これが実は現在スマホで行われていることの前哨戦になっていた。ネットと相性が良く、ウォーカーがやっていることはネットでやりやすいということで、ネットという最大のライバルが現れてしまった。そんな中で何か違うことをしようとしたときに、地方展開を進めていった。
広域から狭域へということで、すごく狭いところをやるGPSへの志向性を持ち始めた。狭域ウォーカーとして、例えば『足立区ウォーカー』や、さらに狭く、ひと駅ウォーカーというのもやり、『赤羽ウォーカー』のように、ある駅の半径0.5kmだけをのせるウォーカーを作った。作るのは非常に面倒だが、そこに住んでいる人がほぼ全員買うのでかなり売れた。赤羽周辺だけを徹底的に取材するなんてことはネットはやらない。
我々の仕事は常に場所との関わりでできてきた。しかし、これだと焼畑農業になってしまう。赤羽の本は一度作ったらそんなに変わらないため、何冊も出せるものではないからだ。そこで今度は「場所から意味へ」と転換し、トピカルなものをつくろうということになった。そこで出てきたのが特異点的なもので、私が作ったものだと『太陽の塔ウォーカー』だ。万博の後に太陽の塔に影響を受けてできたものを200個くらい集めたものを作った。意味を集めるというものの最先端が現在の「Ingress」や「Pokémon GO」であり、ある意味オリンピックやIRや万博もそれに近いものである。
以上のように、webとリアル、意味のレイヤーを束ねる。コンテンツを可視化することがメタ観光である。Web、アプリ、SNS、アーカイブなどのデジタルデバイス+パンフレット、フリーペーパー、書籍、雑誌などアナログのデバイス+シンポジウム、祭、フェス、イベントなどのリアルイベント+ゲームや地学、歴史、アニメ、ドラマ、映画などの情報をGPSベースで立て串に作ってしまえば、マルチにコンテンツとレイヤーを統合し、束ねてバンドルし、継続していくためにコミュニティを形成していくというのがメタ観光だ。
現実の世界に、例えば過去の地形、歴史、芸術作品の中での意味付け(タグ付)、ゲームやファンタジーの世界を重ね合わせる(メタ化)ことが面白いのではないかと私は考えている。聖地巡礼やスタンプラリーもそうだし、日本の美術の「見立て」もそれにあたる。日本の庭園は後ろに見えている比叡山や富士山を借景で計算に入れてつくる。比叡山は自分のものではないが、自分の庭の向こうにそれが見えていればそれも庭の一部として考えるという、まさに位置に重なる多層的な情報を一つのものにバンドルしただけである。
Pokémon GOはそのもの自体がメタ観光であり、実際にそこでゲームをするわけだが、その場所は全部リアルな場所と連動していて地図上の情報と重なっている。
メタ観光は今後どうしていくのか、その可能性については大きく2つのポイントがある。一つは考え方としてのメタである。すでに行われている色々な観光産業を一つの皿にのっけていく勇気とアイディアとセンスがあれば、新しい革新的な技術がなくても今すぐにアナログでもできるのがメタ観光である。もう一つは本気で技術的投資を行い、デジタルに統合していくようなアプリやサービスをつくっていくというものであり、両方があるだろう。
KADOKAWAの変遷
KADOKAWAの仕事はかなりメタ観光的な側面がある。今年度の売上予想が約2千億円で、一般に4大出版社と言われるのが小学館、講談社、集英社、KADOKAWAである。長らく講談社が群を抜いて業績を上げていたが、ここ10年で(ドワンゴと合併したことも大きいが、)KADOKAWAが一番大きい会社になった。ただし、「出版社か?」というくらい色々なことをやっている会社でもある。
KADOKAWAは終戦の焼け跡の中で角川源義が「日本がひどいことになったのは文化がなかったからだ」という理念を持ってつくった会社である。KADOKAWAの分水嶺になったのは当時社長だった角川春樹氏が1976年にKADOKAWA映画を始めたことである。横溝正史の小説『犬神家の一族』を映画化したのだが、それまでは大映、東宝、東映、日活、松竹が5社協定を結んで独占的に映画をつくっていたのだが、テレビが出てきて不況になった頃に角川春樹氏が「横溝正史の文庫本を宣伝するために映画を作る」と言い出して、5社と協力して東宝や東映と一緒に配給もやり、映画を始めたのが1976年だ。
何が画期的だったかというと、映画会社はテレビ局を蛇蝎のごとく嫌っていたのでテレビ宣伝を一切やっていなかった。
「KADOKAWAは文庫の宣伝のために映画を作るわけだから、当然テレビ宣伝してもいいですよね」という理屈で、初めて莫大な宣伝費を投じてテレビをジャックするくらい一日中角川映画のCMが流れる状況をつくった。その効果が絶大で、当時日本の映画界がどん底だったのが続々とKADOKAWA映画がヒットした。『人間の証明』や『セーラー服と機関銃』などここから10年くらいは角川映画の天下だった。テレビを圧倒的に活用したメディアミックス、活字と映画とテレビが全部重なっている多層レイヤーができている。当時、角川映画のキャッチフレーズは「読んでから見るか 見てから読むか」だった。元々KADOKAWAでは私が今言ってるメタ観光的なものをすでに始めていたということだ。
その後、1990年3月にウォーカーを創刊した。創刊号は『ウォーカージパング』で、角川歴彦氏が海外を周った時に、ニューヨーカーにはニューヨークの、ロンドンにはロンドンの都市ごとに雑誌がある。東京には東京の雑誌がいるだろうということで始めた。欧米の雑誌を見て作ったので横開きにしたらウケが悪くて売れず、週刊だったが毎号あたり2~3千万円の赤字が出て、7ヶ月で累積赤字が20億円になった。7ヶ月後に反省して現在のような縦組み開きになった。最盛期は週刊で実売50~60万部の大ヒットを記録したが、それでも20億円の赤字を返すのに3年かかったほどである。
私が入ったのは1992年で、『シュシュ』という東京ウォーカーの女性版の雑誌を出版する創刊準備で福武書店からKADOKAWAに移ったが、KADOKAWAに入って半年後に角川春樹氏が逮捕されて角川歴彦氏にかわった。角川春樹氏は大の映画好きで『天と地と』などは自分で監督まで務めたが、大赤字だったので、私は「もう映画はやらないのかな」と思っていたが、映画事業は継続され、『リング』『失楽園』などのヒットを生み、最近では『天気の子』『君の名は。』などのアニメ系がヒットしている。
今年はウォーカー創刊29年になる。『東京ウォーカー』の後で横浜、東海、関西、福岡のウォーカーをつくり、その他にもラーメンウォーカー、街角・ひと駅ウォーカー、季節ウォーカーというのもつくった。あとは売らずにお金をもらってつくるタイプのものも行っており、PA・SAに置く『ハイウェイウォーカー』は月100万部くらいつくっている。『わんにゃんウォーカー』や京都市のイベント神戸ルミナリエの公式ガイドも作っている。
ウォーカーはアジア展開も行っており、『台北ウォーカー』は創刊約25年になる。『香港ウォーカー』も約15年になる。『香港ウォーカー』は、中身は日本の情報をのせているもので、元々は香港の美味しいお店の情報などをのせてつくっていたが、香港の人は日本のことが好きだということがわかり、日本のことだけを本にしたら売れるようになった。『台北ウォーカー』は今も台北の美味しいお店の情報をのせているが、付録で『ジャパンウォーカー』をつくったらすごく売れたので、『ジャパンウォーカー』が独立してメディアになっている。
オンラインでは、「ウォーカープラス」というサイトをつくって約25年になる。ウォーカープラスという会社は色々な方から出資してもらい、当初の資本金は30億円あったが、それを3年間で使い切ってしまった。KADOKAWAはウォーカープラスにこれまで50億円ほどかけているが、その結果、月間1億PVを超えていて、特に花火は独占的なメディアになっている。「花火+エリアの名前」を検索すると上位に必ずウォーカープラスが出てくるので、皆知らず知らずのうちにウォーカープラスを見ているということだ。8月には2億PVを超えるので、おでかけの最大のサイトになっていて、現在は9:1の比率でかなりデジタルの仕事を行っている。
現在のKADOKAWAは総合メディア、ワンカンパニー、グローバル事業ということで、M&Aで色々な会社を統合したこともあり、出版社というよりはマルチプロバイダーになっている。特に我々が目指しているのはプラットフォームであり、全てのものを乗っける皿をつくりたいという考え方である。
電子書籍とアニメ市場の拡大
近年、電子書籍の売上は急速に伸びていて、日本は「出版不況」だと思っている人が多いかもしれないが、実は電子書籍の利益率は非常に高い。4大出版社のうち、KADOKAWAと集英社は黒字だったが、小学館と講談社は長い間赤字だった。しかし、電子書籍の利益がどんどん上がっていて、「漫画村」が消滅して小学館の売上は急速に増加した。ずっと赤字だった講談社が一気に黒字になり、小学館もほぼ黒字である。集英社は元々『one-piece』があったこともあり黒字だったし、今は『鬼滅の刃』でさらに儲かっているということもあるが、鳥嶋和彦氏が尽力してゲームや色々なことにトライアルしたことでかなり利益をあげている。KADOKAWAも第3四半期を迎え、昨対160%の利益が出ている。出版社は実は今、不況ではない。ただし、電子書籍ができていない会社は厳しい状況かもしれない。
次に、アニメ関連の取り組みを見ていくと、一般社団法人アニメツーリズム協会をKADOKAWAの会長の音頭で設立した。アニメコミックの聖地とは、アニメや漫画のモデルとなった場所・地域のことをいうが、日本のこれからの観光を考えた時に、アニメを活かさなければいけないだろう。しかし、現状は各コンテンツプロバイダーがバラバラにやっている状態であり、協会をつくってアニメの聖地88ヶ所を決めて、外国から来た人が楽しく使えるようにしようということで設立した協会である。ガンダムの生みの親である富野由悠季さんに会長になっていただき、JTBや成田空港と一緒にやっている。
アニメ産業市場は6年連続過去最高を更新し続けており、2018年には2兆1814億円の市場規模になった。今年注目すべきは海外売上であり、2兆円近くある市場規模のうち1兆円が海外売上である。これはTencentのBilibiliやNetflixが買ってくれている部分が大きい。出版市場(書籍+雑誌)は2.3兆円あったのが1.4兆円に縮小したのに対し(ただし前述の通り電子書籍は上がっている)、アニメ市場は1兆円が2兆円に拡大し、今や出版市場を超えた。
インバウンドの消費行動を見ていくと、2016年に訪日外国人2400万人のうち、「映画・アニメ縁の地を訪問した人」は4.8%(約117万人)、「日本のポップカルチャーを楽しんだ人」は14.8%(約355万人)いて、観光で日本に来る人の中でこれらの動機は大きいということがわかる。アニメ好きな人に対するアンケート結果なので一定のバイアスはあるものの、訪日の動機として、「日本のコンテンツに関係がある場所を訪問したいから」という理由で来た人は中国で30%、台湾で38%、マレーシアで67%、タイで54%になっている。政府もこの動きを後押ししており、安倍総理は「アニメで取り上げられた風景をファンが訪れやすくし、新たな観光名所にするなどの取り組みを進める」とコメントしており、田村明比古観光庁長官も「アニメ聖地88ヶ所を盛り上げていくことが地域の活性化になる」と前向きな姿勢を示してくれている。
日本のアニメ聖地88は2つの基準で決定しており、①投票が多かったということと、②観光地自体が観光としてやりたいという姿勢があること・観光地として受け入れ体制があること、という2点のマッチングで決定している。
アニメ聖地の代表例としては、すごく昔のアニメだが、『らき☆すた』の聖地は埼玉の久喜市の神社で、昔のアニメであるにも関わらず、この神社の初詣参拝者は高止まりし続けている。また、『ガールズ&パンツァー』の聖地である茨木大洗町は想像を絶する額のふるさと納税を記録した。最近だと『君の名は。』の岐阜の飛騨がある。
KADOKAWAとしては、『君の名は。』のような一つのIPがあれば、それをマルチに商品化しようということで進めている。
KADOKAWAの売上が大きく成長しているのは、一粒の飴を何度も噛みしめるように、マルチ展開していることが大きい。それも結果的に多層レイヤーの掘り起こしになっている。最初はただのアニメであるが、そこに行くツアーを作ったり、様々なレイヤーを重ねていっている。
以上のような話はすごく万々歳な話に見えるものの、あくまで稀有な例である。一点目に、作品が展開中でなければここまでうまくいくことは少ない。『らき☆すた』のように、作品の放映は終わったのに高止まりしているものの方が珍しい。二点目に、地元の人がアニメに理解があり、一緒にやろうという熱意のあるプレイヤーが存在していないと難しい。三点目に、原作者が理解があって協力してくれるかどうかも重要だ。四点目に、行政がスピード感を持って対処することも必要だ。『ユーリ on ICE』の舞台となった佐賀県には今、莫大な観光客が来ていて、佐賀県は最大のチャンスだと思って最大限に生かしている。そういった行政側のやる気も重要だ。
最近KADOKAWAが成田空港第2ターミナルに成田アニメデッキを作った。成田にやってきたインバウンドでアニメ好きな方が帰りにグッズを買えるようにとつくったものである。これには小学館、集英社、講談社も協力してくれることになり、日本の主要なコンテンツがほぼ全部そろった施設になった。それとは別に、成田アニメロードという展示も同時に行っており、大きなスペースをアニメでつくっている。出だしは好調と聞いている。
以上のように、従来型の観光ではなく、多層的なレイヤーを立て串にして、極めて自由に新しい形で活用していく、ブラタモリ的に楽しめないかなというのが私が提案したいことである。さあ、新しい地図を持って、内面への旅に出よう。
●ディスカッション
メタ観光は一過性のものか?
学生:メタ観光というのは一時的な流行りにすぎないと思うか?かなり長く続くと思うのか?
玉置:KADOKAWAが1976年に角川映画を始めたときに「メディアミックス」という言葉を唱えたが、一貫してそうだと思う。切り分けて孤立したジャンルとして取り組むのではなく、色々なジャンルが常にクロスオーバーしているし、常に多層的なレイヤーになっていると思う。「様々な意味が重なっている」ということを理解しないと、秋葉原のメイド喫茶だけを見ても一時的だと思う。電気製品の部品を見に行ったり、色々なことが重なって起きている。一つのビルの中でもメイド喫茶からDVD、家電まで一緒にあったりする、それがすごく面白い。それをあまり概念化できていなかったので、「コンテンツツーリズム」という表現では足りないと思う。「メタ観光」という言葉そのものがそんなに定着しなくても、要はそういう考え方が一般的になって、常にそう思って考えて楽しめるようになればいいなというのが私の考えだ。
岩尾:これまでも教養のある人はメタ観光的な楽しみ方を日常的にやっていたはずだ。通勤時間に見えた「あそこのお地蔵さんはこうで」「あそこのあれは200年前のもので」と意味づけをして、豊かな情報を得ている。しかし、普通の人はそういうことに気づかない。それが全ての人にできるようになるかもしれないということを「メタ観光」という言葉で言っているのではないかと考えると、普遍的なものなのではないか。
玉置:日本の文化はいわゆる引用や二次元創作が盛んで、著作権に対する感覚が欧米とは違っている。平安時代にも本歌取をずっとやっているし、コンテンツが孤立せず、それをもとに新しいものをつくっていくということがずっと繰り返されている。日本の文化は多層的にコンテンツを変形させていくことが好きで、それが形になっているのがコミケだが、オリジナルがあってそこから新しい意味を展開させていくという意味合いがあり、メタ観光と近いものがあると思っている。本来日本には単純なことよりもそういうものを楽しむという文化があったはずだが、戦後に新しい日本になり、欧米的なものを取り入れていく中で観光がやせ細ってきたところがある。旅行代理店主導になると、わけのわからないことをしようとは思わない。しかし、今この時代に「ブラタモリ」が出てきたのは偶然ではなく、日本人にはあれを許容するところはあり、タモリ倶楽部でもずっと同じことをやってきている。タイミング的に位置ゲームが出てきたのも偶然ではないだろう。それは、従来だったら勘の良い人が趣味で遊んでいたかもしれないが、そうではなく一般的な話でそういう機運が醸成されてきたから、視聴率が30%もあるわけではないが、KADOKAWAが出したブラタモリの本は100万部近く売れている。
メディアの役割:面白いからやる
学生:メタ観光という概念はたしかに重要な概念で、時代を切り取っているワードだと思うが、必ずしも出版社がやる仕事かというとそうではなく、メディアの役割はつなぎ目だと思う。読み手である個人レベルと大きなものをつなぐ立ち位置であって、昔はそれが大きな視点で、マクロ的に例えば海外に行けないなら、海外の状況をメディアを通して見るというように、大きいものと個人をつなぐというものだ。時代とともに役割は変わってきているが、それがローカルなものに変わってきていると思う。そのコミュニティにおける主人公は誰なのかによってローカルなものに落ちている。メディアの役割として地域をフューチャーしてタグ付けしているのがメタ観光だと思う。これからはさらにブレークダウンして個人が主人公になっていき、個人の幸せや幸福を何かしらの形でつなぐ役割になっていくのかなと思う。
玉置:メタ観光が今私の仕事になっているかというと全然なっていない。会社にとって私がやっていることは現状利益になっていないと思う(今後も永遠と利益にならないかはわからないが)。単純にいうと面白いからやっているだけだ。これを色々な形でマネタイズしたり、ビジネス化したりするというのはあると思うが、KADOKAWAで『メタ観光ウォーカー』を出そうということではない。従来型の観光ではない形で、メタ観光の実践は日本中どこでもできる。実際にブラタモリでは観光的に人気がないところでもできている。あらゆるブレークダウンが可能な考え方だ。しかしそういうことをしたくない人も当然いるだろう。「こういうことを考えたら面白いかな」という土地があればどんどんやってもらえばいいと思う。私は都市計画の話題に呼ばれることが多く、メタ観光の話をすると皆さん面白がってくれている。アナログでも全然できるし、ボードゲームが面白いみたいなことだ。デジタルだとよりわかりやすくなるが、アプリでPokémon GOの観光版が作れるだろう。
私がメタ観光と言い出してからまだ2~3年だが、色々な街づくりの会合で話をすると、相手の人が「メタ観光」と言い出すことも増えてきた。シンポジウムで話したことが活字になっていないので、一方でメタ観光という言葉が頭にひっかかりやすいために言葉だけが独り歩きしてしまっていて、メタ観光を定義づけて概念化する必要があると考え、元々一緒にはじめた人に声をかけて学術化できないかなとやっているのが今だ。
岩尾:Googleマップが2次利用3次利用しやすいようにオープンソースにしているのもあえてやっている。ネガティブな文脈では(すでになくなったが)破産者マップや大島てるの事故物件マップもある。ポジティブな文脈では、例えば私はトラック見ているだけでもある程度楽しい。この物がどこから来てどこに向かい、どこに在庫があってというストーリーが楽しめるからだ。こうしたマップを作ることもできる。このようにGoogleマップがGUIを公開していることによってメタ観光はより加速されるのか、またこのとき負のメタ観光に使用されてしまう可能性もあるのか、といった点を議論してみたい。
玉置:たとえばStrolyという地図の会社が地図ぶらりという名前でやっているのが、アメリカの技術を活用して、Googleマップ上に子どもが描いた花屋に行くまでの地図や商店街の地図や古地図などが全くのでたらめでない限り、リアルな場所が落ちているというものだ。現実の場所とタグづけることで現実のマップの上に手書きのマップを重ねていくことができる。
個別のものをバンドルした時に見えてくる景色
学生:私はメタ観光が今だけのものではないと思っていて、昔から札幌に行ったらクラーク博士を見に行くのは、知っているから見に行くわけだ。それの規模感が変わっていくということで、これまではアニメなどの規模感が大きいものが中心だったが、これからは規模が小さいものになっていくのではないか。まだデビューしていないアイドルのファンが広告を出稿したことが話題になっていたが、草の根レベルでそこを聖地にするということもあり得そうだ。
玉置:今は本当にマニアックなことを言っている人がたくさんいる。一方で、他の情報はいりませんという人もいる。今の技術だとマニアックな位置情報をバンドルすることが容易くできるから、それは面白いのではないか。先ほどのトラックの場所とか、特殊な蝶々が見れる場所とか、そういうことをバンドルしてみることができるサービスは、Googleマップが多少備えているが、独自につくることができるし、手書きや出版でアナログにつくることもできる。そういう可能性があると思う。特殊なことに興味を持って動くというのは重要だ。そういう個別のものをバンドルした時に見えてくる景色こそが、メタ観光が言いたい部分だ。ただし、それは絶対ではなく、やりたくない人もいるだろう。
岩尾:一つ一つのコンテンツが小さくなっていくが、それがたくさん重なっているのがメタ観光だと思う。例えば自動車の研究をしていると、「自動車の産地」と「美味いうなぎ屋」と「強い武将」の位置は一緒だということに気づく。工場に行くと知らず知らずのうちにメタ観光をしているということだ。この背景には、平地で広く河川の近くでウナギが繁殖しやすい土地と、広大な自動車工場を設置しやすい場所とが似ていたり、明治時代に没落士族が職業観から商人より職人を選ぶ人が多く金型職人の人がたくさん集まり、武家が金型職人になって金型が作れるから自動車の産業集積になったり、といった関連があったりする。
玉置:どこでもトヨタが生まれるわけではないということだ。まさにそれで、バンドルすることの一番の快楽は、全く別次元の話が実はつながっているというのは発見だし、それがないとあくまでバラバラのものの寄せ集めになってしまう。ブラタモリが面白いのは昔ここの火山が爆発してこうなって、それが美味い水になっているとか、その後の大名の話とつながってくるのがぞわぞわっとくる面白さだ。別のレイヤーのものがつながってるのが見えてくる。
偶然の出会いがつながったときに快感が走る
学生:私の会社「Synesthesia」では、自動運転車でも一般自動車でもどちらでも良いが、走行しながらVR/ARゴーグルをかぶると、周りの情景がVR/ARで置き換わるというものをつくっている。車の走行状況に合わせて見えるので、そのプラットフォームをつくっている。自動運転になるとドライバーがこれまで運転していた可処分時間が新しい時間になる。あらゆる自動運転車の中で窓が透過ディスプレイだったりするが、周囲の状況が高速道路で暇だったらバーチャルに置き換えてもいいし、京都を観光しているならARにしてもいい。すでにシステムはできているので、コンテンツは自分たちで作っていくわけではなく、オープンソースを公開してゲームメーカーや好きな人が好きな文脈でつくって車が走っている時にシステムを起動すればVR/ARができるということをやっている。
最近は観光バス事業者と話しているのだが、どういうコンテンツをつくるのが面白いのかなという話で、マス事業でサービス化をする上で最初にウケるコンテンツは、藤井直敬氏が言うには、「観光の楽しさは超能力感」だということだった。先ほど話に出た、教養の度合いに応じて結び付けられるかが変わるという話で、バスガイドに全部説明されて楽しめる人もいるが、受動的だと面白くない人もいる。その度合いをどこに調節するのがいいかとなった時に、バンドルすることの快楽という話が出ていて、それは観光の醍醐味だと思った。「超能力感」というのは、例えば「透明」や「千里先の映像」、「人に感じられない何かを感じられる」ということで、「形のないコンテクストを気づけた」とか「結びつけられた」とかが経験できる。
VR/ARで表示するときも、直接コンテクストをこうですと教えるのではなく、自分で後でハッと気づけるように錯覚できるような情報の仕方をしていく。普段車で移動している時は観光しているという感じはしないが、その場所のコンテクストに気づける瞬間というのはあるのか?
玉置:元々メタ観光でイメージにあったのは井口尊仁氏のセカイカメラだ。スカウターを持って街を歩いていると色々な情報が見える。それはすごく重要だ。Googleマップで利用するといっても、近所のATMの場所が知りたいといって探すのは「利用」にすぎず、そうではなく、そこが多層的なレイヤーが重なっている奇跡が起きているということを、ボタンを押して知るのではなく、窓に情報が出るような、「マイノリティリポート」みたいなのがあるべきだし、もちろんそれで事故が起きたらいけないが、目の前に情報があっても見る必要はないし把握する必要もないが、検索ではない形で、そこにいるからこそ、そこにある偶然の出会い・奇跡が普通に楽しめるようにしたい。MRとかもなかなか進まないが、外部を見ながら情報を楽しめるような形のものがメタ観光にとっては非常に重要だと思う。その出会いがつながったときに快感が走る。観光だから、魅力がないと楽しくないし、楽しくないと面白くない。
岩尾:Pokémon GOもいずれはGoogle Glassに変わるはずだ。
玉置:街中でやったら事故が起きるとかの問題があり、トライアルしてはいるものの、まだ難しいようだ。しかし、いずれ必ずなんらかのブレークスルーをして出てくるだろう。
サブスクリプション・ライトユーザーの位置づけ
学生:アニメツーリズムや聖地巡礼について、最近はYouTubeやAmazon Primeなどのサブスクリプションがあって、中国の友達は違法サイトでアニメを見ているし、ライトなユーザーが広がっていて、アニメを見ることに抵抗が少ない人は増えているが、「無料だから見ている」というところもあると思う。コアなファンでじっくり見るというよりは、飛ばしながら見たりする。聖地巡礼に結びつかない暇つぶしくらいのユーザーが増えているのではないかと感じている。一方で、潜在的なユーザーが多いのは事実で、それを課金ユーザーというか、例えば『らき☆すた』で毎年聖地に来てくれる人を重課金ユーザーだとすると、重課金ユーザーに引き上げるにはどういったことが必要だと思うか?
玉置:漫画村が消滅した途端に出版社の利益は跳ね上がった。YouTubeも新曲をそのままアップできるかというとそうではない。Amazon PrimeやNetflixは全然OKだ。海外のアニメ市場は2.2兆円で海外市場が1兆円と前述したが、1兆円を突破したのはAmazon PrimeやNetflix、huluがコンテンツホルダーから買ってくれている部分が大きい。彼らはレベニューシェアする仕組みになっているし、漫画村のように完全にフリーライドで全ページをアップロードされたら漫画家にも編集者にも会社にも1円も入らないが、レベニューシェアの仕組みさえあれば、本屋でジャンプを買うよりもKindleでダウンロードする方が楽だ。昔よりも活字や漫画のアクセスは増えていて、お金さえ払ってくれたら大きなお金が動く。
KADOKAWAはdocomoとdアニメストアを運営している。 KADOKAWAがスキームをつくって、他のアニメ会社がアニメをのっけてサブスクリプションでやっている。dマガジンもdocomoと一緒に運営していて、フォーマットを作って、うちは版元だからさらに儲かる。dマガジンはdocomoの人はほぼ全員入っているので、見ていない人もいるがほとんどの人がお金は払っている。『週刊新潮』や『週刊文春』や『ウォーカー』など約300誌を読むことができ、読んだページによってお金がレベニューシェアされている。サブスクリプションモデルだが、人気があって読まれた分だけお金がいく仕組みだ。結構大きな金額が動いていて、特に『週刊新潮』や『週刊文春』は読まれがちだ。漫画村のような経済モデルに入っていない違法なものを取り締まって排除していくことはダサいけどやらないとだめだなというのはやってみてわかったことだ。
岩尾:暗黙裡にコンテンツから観光を一方向にするとライトユーザーはダメだということになるが、先に場所から始まって、「あ、ここってこのアニメの聖地なんだ、見たことないけどじゃあそのアニメ見てみようかな」となり、泊っている旅館で夜にアニメを見るという反対の流れもあるだろうと想定すると、良い側面もあるかもしれない。
オーバーツーリズムの問題
学生:近年オーバーツーリズム問題になっている。色々な場所が新しい観光需要のリソースを持っているというのはあるものの、仮にうまく成功した場合、オーバーツーリズムの問題が多くなってしまう。京都でも時期や時間をずらしましょうという工夫を始めているし、外部の人が「それは良いコンテンツだ」と盛り立てた結果、そこの地域住民は相当割を食うというのが発生するとすると、メタ観光を行う主体は大きな責任を管理できる人でないといけないのではないか。
玉置:たしかに個別で問題が起きることはあるだろう。最近だとオランダがオーバーツーリズムで今後観光上のものを控えるという話もあったが、それはその通りで、住んでいる人が普通の生活ができなくなるのはダメだ。しかし、日本では現状インバウンドが3千万人、来年はオリンピックで4千万人になる試算だが、タイはすでにインバウンドが6千万人いるし、フランスやイタリア、ドイツも日本より全然多い数のインバウンドが訪れている。日本は少し前まで韓国にも負けている数だった。それを考えるト、日本の観光産業はまだまだこれからだ。
今後さらに増えてきた時にオーバーツーリズムの問題が発生した場合は観光大国で先に起きた問題を参考にする必要があるし、軋轢も大きいかもしれないが、私としては日本の産業構造を見た時にフランスや成熟国が観光に行かざるを得ないだろうというのは理解できる。成熟国は経済が回らない限りシュリンクして死んでいくので、動き続けないといけないが、発展途上から先進国になって均衡状態になったら観光が重要になってくる。
日本の観光は学問的にスポットが当たっていないことも問題だ。東洋大学や立教大学、立命館大学には観光を学ぶ学部や学科があるものの、海外ではフランスならソルボンヌ大学、アメリカならハーバード大学のトップの人たちが観光を学んでいる。観光のグレードはもっと上がっていくべきだ。日本の観光は現状、皆がどうしても行きたいような仕事にはなっていないし、成熟した日本の大きな産業の柱になるようなものにはなっていない。それが一つの軸にあり、そのうえで個別のオーバーツーリズムの問題は解決しながら動いていく必要がある。
京都ではナイトタイムを充実させて時間で分散させるためにナイトタイムエコノミーにも力を入れていて、松竹の南座で実験もやっている。メタ観光は普段スポットがあたっていないところを取り上げることが多いので、準備ができていなくて問題が起きることはあるかもしれないが、例えば金閣寺ばかりに人が集まらないで他の所に行く方が、オーバーツーリズムの緩和にもなると思う。いずれにせよ改革が必要で、「フジヤマ」「ゲイシャ」ではないものを出していくいことは必須の問題だ。ただし、どういう観光があるべき姿かは考えていかないといけないだろう。
学生:今東山や金閣に集中している人をメタ観光として嵐山などに分散させるということか?
玉置:分散させるためにメタ観光をやるわけではないが、「他のところも面白いですよ」という形になっていく。実は松尾大社も面白いし、紫式部や清少納言のことがわかったらここも面白いよねというように。きっと誰もがそういうことを楽しめる可能性があるはずだ。それを広げていきたい。