スマホを落としたあなた。

あなたはスマホをなくしたことがありますか?

おそらく大半の人は1度や2度はあるだろう。

そしてその時の嫌な感情を思い出したと思う。
スマホが使えないことでイライラしたり、SNSやゲームが気になったり。


しかし、私の場合はそうではなかった。
ここでは私がスマホ依存者ではないと言いたいのではない。何なら依存している。
この記事を書こうと思ってからそして書き終わるまでに何回スマホを無意識に手に撮ってしまったか。

話を戻すと、私はスマホをなくしたとき、正確には壊れて使えなくなったときに、なんてラッキーなことだと思った。意地になっているわけではない。ちゃんと2秒後にそう思った。
なぜなら、いつも触ってしまうスマホを触らないですむのだ。

これを聞いてあなたはただの屁理屈じゃないかと思うかもしれない。
しかし、中には同意してくれる人もいるかもしれない。
では、あなたがどちら側の人だったかちょっとしたゲームであててみよう。

次の言葉に従って絵を紙の上か、頭の中で書いてみてほしい。
「あなたの現在、過去、未来がそれぞれ円で表されると仮定した状態で、あなた自信の過去、現在、未来の関係について、あなたの感じていることを最もよく表すように3つの円を使って表現してください。書き方は自由です。円の位置は大きさはあなた次第です。3つの円が書き終わったらそれぞれの円が過去、現在、未来のどれを表しているかわかるように書き入れてください。」

どうだろう。3つの円は描けただろうか。

紙がない人はぜひ頭の中でやってみてほしい。1秒あればできるだろうから。

できればこのあとはこの円を自分で書くか想像してから次に読み勧めてほしい。


想像できただろうか。


私の場合はこうなった。

過去から未来に向けてだんだん大きくなっていって、どれも重なっていない図だ。

今やってもらったこれは「サークルテスト」といって、Cottleという人が50年ほど前に考えた時間的態度を測定するものである。

・どの円が一番大きいか
・時間軸によって円の大きさがどう変化するか
・位置関係はどうなっているか(離れているか、接しているか、一部重なっているか、完全に内部に含んでいるか)

これら3つの指標によってその人が時間をどのように捉えているか簡単に知ることができる。

自分の場合は、特に未来志向が強いという特徴がわかる。
そのため、スマホが使えなくなったことで有意義に使える時間が増えて将来このことを喜ぶ可能性が高いと考えたからだ。

さすがにここまで未来志向が強い人は少ないかもしれないが、未来志向型の人はまだ理解を示してくれると思う。

このように、その人の指向性によって描いた円はバラバラで、人によっては円が3つとも完全に重なっていたり、上下につなげた人もいるかもしれない。


あなたの場合はどうだっただろう。自分の円がどのような意味を表してるか気になる人は是非あとから調べてみてほしい。

このように、人は過去、現在、未来のどれを重視するかという指標で3グループに分けることができる。そして、このグループはそれぞれ1/3ずついるらしい。
(このことから、キング牧師やジョブズなどの有名なスピーチはどのグループにも響くように、3つの要素を網羅するように作られている。バズるツイッターもこれが多い気がする。)



話を戻そう。
ここで、もう一つ時間に関わる考え方を紹介しよう。
レヴィンが提唱した時間的展望という考え方である。

これは、簡単に言うと
「どこかのタイミングでその人が自分の過去や未来をどのように考えているか」
という特徴である。

過去を受け入れているかどうか、未来をどう見ているか、そして、それらが現在の行動にどう影響するかといったものだ。

これは生まれ持つものではなく、環境に左右されるという考え方がされており、特に高校生や大学生は将来のことを考える時間が多いため、未来が現在に与える影響が大きいと考えられている。


ここまでいくつかの例を出して時間に関する話をしてきた。
これまでの話で何が言いたかったかというと、自分の思考や行動などは無意識的に自分の中にある常識のフィルターを通して現れるものである。
しかし、それらの常識は他人の多くが感じている常識とは違うことがほとんどだということだ。

時間という全員が知っていて、体感しているものに対しての見方でさえも全く違うのだ。

時間という簡単に理解できるものでさえ自分の常識は他人に当てはまらない。
自分の常識とは世間の大半からすると常識ではないことが多い。
そして、その常識はあなたが常識だと感じているよりももっと無意識に自分の思考を縛っている。

けれどこのことを忘れてしまっている人が多い気がする。


多くの人とつながる可能性が増えた一方で、自分が認知し、処理できる情報や人が減っていることで、あたかも自分の周りが持つ常識が際限なく世界に常識として流布していると無意識に感じてしまっている人が多いのではないかと思おう。

このことを盾に世間を批判すること自体が矛盾しているようなので、やらないが、個人としてこの考えを覚えておくことは大切だと思う。


そして、自分が他人とは違うということを都度自覚するには、他人との交流、しかも、多様な人と深い交流がないと難しいだろう。自分と違う無意識的な価値観を持った人が、その無意識を意識的に表現してくれることによって自分と違う無意識の価値観を持っているということに気づける。

このような点からも、他人との鋭い価値観の交流を行える場は大切であると考えており、このような貴重な場を提供しているKatharsisが私は好きだ。


今回はこれまでとちょっと違った方向からKatharsisという場の生み出すものを書いてみた。
これまでの記事で、他のメンバーが自分の正義感や芸術、学問など様々な観点からKatharsisは自分以外の価値観を取り入れる場所であるという点を書いている。

そして、それと同時にKatharsisは自分の価値観の特異性を見つめ直す場所でもあると思う。

他人と違うことは恐れることでなく、忘れてはいけないことだと思う人。
そして、それを思い出してみたい人もぜひ私達のもとに来てみて下さい。

きっと自分の特異性に驚くと思います。

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