香港問題を考える

皆さんこんにちは!石川です。
今回は久しぶりに「考える」記事を投稿します。テーマは香港問題。日本でも新聞やニュース番組などで大きく報じられているこの問題を深掘りしていきましょう。

そもそも香港ってどこ?

図にもあるように、香港は中国東南部に位置しています。「香港は島なんでしょ?」と思う方も多いかもしれません。たしかに、香港島という島はあるのですが、一般的に香港というと、香港島に加えてその北にある九龍半島と新界も含みますので注意してください。人口は約707万人と世界で最も人口密度が高い地域の1つにもなっています。人口構成は中国系の「華人」が約93%、続いて出稼ぎ労働に来ているフィリピン人やインドネシア人となっています。

香港の歴史

香港の歴史は列強と切っても切れない関係にあります。
古来より中国の王朝の領土となっていた香港ですが、ある時を境にイギリスの手に渡ります。それが、1840年に清朝とイギリスとの間で勃発したアヘン戦争です。アヘン戦争に勝利したイギリスは、講和条約(南京条約)を締結します。この南京条約で、香港島はイギリスに割譲されることとなりました。あくまで香港島だけなので、九龍半島や新界はまだ清の領土のままです。
その後、第二次アヘン戦争とも呼ばれるアロー戦争が1856年に起こります。イギリス・フランス連合軍と清との間で起こったアロー戦争ですが、当然の如く連合側が勝利を収めます。この戦争の講和条約である北京条約で、清は九龍半島をイギリスに割譲することになります。そして、列強の進出がさらに進んだ1898年、イギリスは清に圧力をかけ新界の租借に成功します。新界の租借期間は99年間、つまり1997年に香港を清に返還するという合意が結ばれたのです。
その後、第二次世界大戦中は日本により占領されるものの戦後は再びイギリスの領土となります。その際、1980年代から工業化に成功しアジアNIEsに数えられる急成長地域となります。
戦後、香港を手放さないために租借期限を延長したいイギリスと、香港を早く取り戻したい中国政府との間で交渉が行われます。そして、1984年、イギリスのサッチャー首相と中国の鄧小平国家主席の間で中英共同声明が発表され、予定通り1997年7月1日に香港が返還されることが決定されます。この際、返還後50年間は香港のある程度の自治を認める「一国二制度」実施を中国側が承認します。
そして、1997年7月1日、ついに香港が中国に返されました。この7月1日はあとで出てくるので覚えておきましょう。

香港とデモ運動

香港はもともとイギリスの植民地であったため、共産党の1党体制を敷く中国に比べ民主的な色合いが強い地域になっています。また、一国二制度もあり、中国本国からの圧力に対し、デモ行為で反対運動を行うケースがたびたび見られます。
まず、2014年に起こった雨傘運動です。香港では、2017年度の行政長官(香港政府のトップ)選挙から1人1票の普通選挙が実施される予定でした。しかし、中国当局が「立候補には選挙委員会の過半数以上の賛成が必要」という条項を付け加えました。この条項には明らかに「親中派のみを立候補させる」という意志が垣間見えたため、民主化団体「学民思潮」を中心に、香港の民主化を訴えるデモが起こったのです。
デモ隊は香港各地を占拠し、対する警察側は催涙スプレーなどを使ってデモの鎮圧を図ります。その際、デモ隊がポンチョや傘を使ってスプレーを防いだことからこのデモは「雨傘運動」と呼ばれました。
結局、11月よりデモ隊の強制撤去に踏み切った警察側によりデモの主導者が逮捕され、デモ側は撤退を余儀なくされましたが、元々の要求である民主化はある程度成功することになります。
そして、2019年より現在まで続いているのが「香港民主化デモ」です。
今回のデモにおけるデモ側の要求は「五大要求」と呼ばれています。その発端となったのが「逃亡犯引渡条例」の改正です。これは、外国での犯罪者が香港に逃げ込んできたとき、香港警察が犯罪者を逮捕し元の国に送還するという内容のものです。これに対し、民主化団体が「香港人が中国当局の弾圧対象になりかねず、一国二制度が脅かされる」として抗議デモを起こしたのです。
2019年6月9日には、主催者発表で103万人がデモに参加したとされています。このデモにより逃亡犯引渡条例の改正は中止されましたが、その後も五大欲求達成のためにデモは続けられます。地下鉄や空港などの交通機関もデモ活動の拠点となり、日本からも香港への渡航が制限されるなどの事態に陥ります。2020年に入りコロナ禍で集会が開なくなると、医療従事者がボイコットを行うことでデモ活動が続きます。
そして、中国当局と香港民主化団体の衝突が続く中、今月1日「香港国家安全維持法案」が施行されます。法律の内容は公表されていませんが、場合によっては死刑もあり得るとされたこの法律の施行を受け、著名な活動家たちはデモ活動を終了させていきます。この法案により実質的に一国二制度は崩壊し、奇しくも香港独立23周年を迎えたこの日、「50年間は一国二制度を続ける」と定めたルールは崩壊したのでした。


今回はいまなお対立が激化する香港のデモについてレポートしました。最後まで読んでいただきありがとうございました。