この間履修登録が終わりました。3年生なのになぜか全休ありませんでした。1・2年生のときよりハードなのはなぜでしょうか。
ということで今回は「スタツアに行って変わったこと・考えたこと」を書いていこうと思います。
今回のスタツアでは考えたことがたくさんあります。個人的には転機でした。
個人的には、大人にもできることをやったところで何なんだと思ってしまいます。学生団体なので、学生にしかできないことをやれたらなと思います。
ただ、そんなことよりもMichiiiiの支援目的はグラフィスのニーズに合った支援を行うことです。私たちの願望で支援を行うことは間違いです。だから、ニーズに合っている&学生にしかできない支援、この2つを達成できる支援内容とは???? 難しい課題に直面しました。
あと、Michiiiiの団体活動の目的・ゴールは、「グラフィス小中学校の自立」です。ということは、それが達成された時点でグラフィスにとってMichiiiiは多分必要ないのです。
ただ、グラフィスの子どもたちの笑顔を見ると、ただ現地に行って顔を見せるだけでも立派な支援活動になるのではないのかな、と私は思いました。
やっぱり海外支援のことを考えると、教育施設を建てる、物資の支援をする、という物理的な何かを想像することが多いと思います。自分はそれがずっと疑問です。
これを言うと、ただ遊んでるだけじゃんって思われることはめっちゃ分かってるし、実際そうかもしれないです。というか物理的支援めちゃめちゃ大切だと思います。
でも「一緒に笑って楽しめる人がいる」ことを伝えることも支援活動の1つだと自分は強く思います。そもそも外国人と触れ合う機会もあまりないと思うし、そのような新しくて刺激的な体験を行うことは、子どもたちにとって大きな学びになるはずです。
何で新しい刺激的な体験が大きな学びになると思ったかというと、自分自身もそうだったからです。やはり今でも、自分が受けてきた教育の中で特に記憶に残っているものはどこか新鮮で、誰かと笑いながら、全力で楽しめる活動を行った瞬間です。それは住んでいる場所、国関係なく、どこの子どもたちにも共通しているのではないかな、と思っています。
しかも、子どもたちの中には「通訳さんになりたい」という子もいました。通訳さんは外国人が来ないとあまり関わることはないはずです。そういった新しい活動が、将来の夢を見つけるきっかけになることがあるはずだし、そのきっかけ作りの手助けをすることも素敵な支援活動だと思っています。物理的支援に紛れて心理的支援が少し隠れてしまっているような感じがして、それが正直毎回不思議でした。
また、教育支援活動を行うにあたって、学校の意義や目的を考えることも必要だなと感じました。
学校は子どもたち主体の教育機関だと思います。でも、子どもたちは具体的に何を学んでいったら良いのか分からない、そもそも社会に出ていないからこれから生きていかなければならない社会の仕組みも詳しく知らない、はず。
それを社会を知っている、ある程度の知識を得た大人の立場からサポートしていくこと。あくまでもサポート。子どもたち目線で行う教育が大切なんじゃないかな、と若造が偉そうなことを考えています。大人の願望だけで教育を行うのは、子どもたちの将来をつぶしている気がします。
正直自分たち大学生は、子どもと大人の狭間だと思います。ある程度の社会性はあっても、やはり校長先生の実績を知ったときに自分もまだまだ大人ではないな、と感じました。
その中途半端な立場から支援できること。自分はそれが「子どもたちと同じ立場に立って、全力で楽しむこと。かつ教育環境の改善などの物理的サポートにも目を向けていく」ことだと思いました。このハイブリッド型の支援をすることって大学生の特権なんじゃないかな??と勝手に思っています。(笑) 子どもたちと一緒に楽しむことに関しては、わたしとても自信があります。
自分は海外支援のことは全然詳しくはないし、支援のことを偉く言える立場ではありません。というか経験が浅すぎる。
だからこそ逆に客観的に海外支援のことを話すことができるな、とも思います、1歩引いた目線で。
だからこれが正しいか正しくないかは別として、こう思っている人もいるんだなという視点で読んでいただけたら嬉しいです。マジレスしないでください(笑)
そこで思ったのが、「1回団体内で確定したことはできるだけ変えない方が良いのでは?」ということでした。
もちろん支援先の状況によって支援内容を変えることはあると思います。ニーズに合わせることが最重要です。変えちゃダメということではないです。
でも、これやりたいあれやりたいという意見を途中から出しまくると、一向に話が進まなくなります。その結果、団体の方向性が分からなくなり、迷宮入りしてしまうのかなと。
話し合う前にはまず土台を固めること。これがいかに重要であるかをスタツアを通して改めて気づきました。
あれもこれもではなく、ある程度要点を絞る必要があると思います。1年で終わるはずがない支援も絶対たくさんあるので、もしこの期はこれをやる!と決めたら、その活動の要点を絞り、それをしっかりと実行させるべきです。それか期でやるのではなく、何年もかけて達成させる長期目標にするか。
ただ今回は現地の変化が大きすぎて、支援内容を変えざるを得ない状況になってしまいました。現地の情報を確認しながら支援内容を考えないと団体の方向性もぶれるんだなということに気づきました。
あと朝のカフェは人が少なかったです。日本だったら通勤ラッシュとかもあって多少は混むと思うのですが... とても快適でした(笑) 朝に余裕があるって幸せですね。なぜか日本の朝はバタバタで、落ち着かないですね
みんなといるととても楽しくて、本当に自分は周りのメンバーに恵まれているなと活動していて日々感じています。
その一方で、「個人で、1人で」何か違うこと、新しいことを始めて、やりたいことを見つけていきたいという気持ちも実は生まれてきました。団体がいやになったわけではなく、将来のこと、自分の性格や特性を踏まえて考えた結果です。
もちろん1人きりで何もかも行うわけではなく、その場の環境に合わせてそこにいる人たちと上手く付き合いながら活動していきたい、という感じです。
将来については、スタツア中1番考えていたことです。
なぜかは正直分かりませんが、今回のスタツアで「自分が将来やっていきたいことが果たして海外支援なのか」ということを考えました。大学3年生が近づいたからでしょうか。
支援先のことを考えなければならないのに、自分のことを深く考えてしまいました。
正直自分が将来やっていきたいこととMichiiiiの活動が合致しているわけではありません、多少は繋がっているのですが...。 支援先のための活動はしたいし、子どもたちにも会いたい。だけど、それはMichiiiiを卒業したらできません。自分は残り半年ちょいしかできないのです。
大学3年生になり、実は将来の具体的な夢、目標を考え始めました。だから余計に悩んでいます。その気持ちが頭の半分以上、もはやほぼ占めているままMichiiiiの活動を続けるのもいかがなものか、ということを最近一生考えています。Michiiiiは大切だけど、自分の将来のためにももう少し時間を使うべきではないのかと。そこのバランスがとても難しい...
団体のために、支援先のために、友達のために、家族のために、とか自分以外の人のために力を入れすぎると、どんどん自分を追い込んでしまう気がします。そうなることが分かっているので、最近は自分のことを知ること、自分が本当にやりたい活動を見つけることに多くの時間を割いています。
自己中心的かと思われるかもしれないけど、自分を壊してまで自分以外の人に働きかけたいと思ったことは1度もないし、今後も一生ないでしょう。
なぜかというと、自分を捨てた人に優しくされたり、励まされたり、支援を受けたりしても何も嬉しくないだろうなと思ったからです。むしろ逆に心配されるんじゃないかなと。
他の人に優しく働きかけることができる人は、どこか自分のこともとても大切にしているんじゃないかな、と最近思います。
自分に素直な人になれるように、時には適度に追い込んで刺激的な体験ができるように。そこのバランスを上手くとりながら、将来に向けて頑張っていきたいなと思っています。
いつもと違う環境で過ごしてみると将来のことをやたら考えるようになることに気づきました。1回目渡航時は自分自身も海外が初めてで、将来のことを考える心の余裕も全くありませんでした。とにかく楽しみました。楽しむことが1番やるべきことだったと今でも思います。
2回目渡航時は現地の様子がまるで変わっていたことに驚き、Michiiiiがするべき支援とは何なのかを考えました。
そして自分が将来やっていきたいことをひたすら考え、今に至ります。
個人的には前とは違う経験をすることができたので、全く同じことを思うようなスタツアにならなくてよかったなと思いました。
またグラフィスの子どもたちに会いたいです
(この記事書くのに1週間以上かかりました。こんな考えてるやつなかなかいないと思います。自分で言うのもあれですがばかまじめでした)
ということで今回は「スタツアに行って変わったこと・考えたこと」を書いていこうと思います。
今回のスタツアでは考えたことがたくさんあります。個人的には転機でした。
- 支援とはなにか
個人的には、大人にもできることをやったところで何なんだと思ってしまいます。学生団体なので、学生にしかできないことをやれたらなと思います。
ただ、そんなことよりもMichiiiiの支援目的はグラフィスのニーズに合った支援を行うことです。私たちの願望で支援を行うことは間違いです。だから、ニーズに合っている&学生にしかできない支援、この2つを達成できる支援内容とは???? 難しい課題に直面しました。
あと、Michiiiiの団体活動の目的・ゴールは、「グラフィス小中学校の自立」です。ということは、それが達成された時点でグラフィスにとってMichiiiiは多分必要ないのです。
ただ、グラフィスの子どもたちの笑顔を見ると、ただ現地に行って顔を見せるだけでも立派な支援活動になるのではないのかな、と私は思いました。
やっぱり海外支援のことを考えると、教育施設を建てる、物資の支援をする、という物理的な何かを想像することが多いと思います。自分はそれがずっと疑問です。
これを言うと、ただ遊んでるだけじゃんって思われることはめっちゃ分かってるし、実際そうかもしれないです。というか物理的支援めちゃめちゃ大切だと思います。
でも「一緒に笑って楽しめる人がいる」ことを伝えることも支援活動の1つだと自分は強く思います。そもそも外国人と触れ合う機会もあまりないと思うし、そのような新しくて刺激的な体験を行うことは、子どもたちにとって大きな学びになるはずです。
何で新しい刺激的な体験が大きな学びになると思ったかというと、自分自身もそうだったからです。やはり今でも、自分が受けてきた教育の中で特に記憶に残っているものはどこか新鮮で、誰かと笑いながら、全力で楽しめる活動を行った瞬間です。それは住んでいる場所、国関係なく、どこの子どもたちにも共通しているのではないかな、と思っています。
しかも、子どもたちの中には「通訳さんになりたい」という子もいました。通訳さんは外国人が来ないとあまり関わることはないはずです。そういった新しい活動が、将来の夢を見つけるきっかけになることがあるはずだし、そのきっかけ作りの手助けをすることも素敵な支援活動だと思っています。物理的支援に紛れて心理的支援が少し隠れてしまっているような感じがして、それが正直毎回不思議でした。
また、教育支援活動を行うにあたって、学校の意義や目的を考えることも必要だなと感じました。
学校は子どもたち主体の教育機関だと思います。でも、子どもたちは具体的に何を学んでいったら良いのか分からない、そもそも社会に出ていないからこれから生きていかなければならない社会の仕組みも詳しく知らない、はず。
それを社会を知っている、ある程度の知識を得た大人の立場からサポートしていくこと。あくまでもサポート。子どもたち目線で行う教育が大切なんじゃないかな、と若造が偉そうなことを考えています。大人の願望だけで教育を行うのは、子どもたちの将来をつぶしている気がします。
正直自分たち大学生は、子どもと大人の狭間だと思います。ある程度の社会性はあっても、やはり校長先生の実績を知ったときに自分もまだまだ大人ではないな、と感じました。
その中途半端な立場から支援できること。自分はそれが「子どもたちと同じ立場に立って、全力で楽しむこと。かつ教育環境の改善などの物理的サポートにも目を向けていく」ことだと思いました。このハイブリッド型の支援をすることって大学生の特権なんじゃないかな??と勝手に思っています。(笑) 子どもたちと一緒に楽しむことに関しては、わたしとても自信があります。
自分は海外支援のことは全然詳しくはないし、支援のことを偉く言える立場ではありません。というか経験が浅すぎる。
だからこそ逆に客観的に海外支援のことを話すことができるな、とも思います、1歩引いた目線で。
だからこれが正しいか正しくないかは別として、こう思っている人もいるんだなという視点で読んでいただけたら嬉しいです。マジレスしないでください(笑)
- 団体の方向性
そこで思ったのが、「1回団体内で確定したことはできるだけ変えない方が良いのでは?」ということでした。
もちろん支援先の状況によって支援内容を変えることはあると思います。ニーズに合わせることが最重要です。変えちゃダメということではないです。
でも、これやりたいあれやりたいという意見を途中から出しまくると、一向に話が進まなくなります。その結果、団体の方向性が分からなくなり、迷宮入りしてしまうのかなと。
話し合う前にはまず土台を固めること。これがいかに重要であるかをスタツアを通して改めて気づきました。
あれもこれもではなく、ある程度要点を絞る必要があると思います。1年で終わるはずがない支援も絶対たくさんあるので、もしこの期はこれをやる!と決めたら、その活動の要点を絞り、それをしっかりと実行させるべきです。それか期でやるのではなく、何年もかけて達成させる長期目標にするか。
ただ今回は現地の変化が大きすぎて、支援内容を変えざるを得ない状況になってしまいました。現地の情報を確認しながら支援内容を考えないと団体の方向性もぶれるんだなということに気づきました。
- 朝強くなる(ちょっと重めだったので少し休憩)
あと朝のカフェは人が少なかったです。日本だったら通勤ラッシュとかもあって多少は混むと思うのですが... とても快適でした(笑) 朝に余裕があるって幸せですね。なぜか日本の朝はバタバタで、落ち着かないですね
- 団体と個人 自分の将来について
みんなといるととても楽しくて、本当に自分は周りのメンバーに恵まれているなと活動していて日々感じています。
その一方で、「個人で、1人で」何か違うこと、新しいことを始めて、やりたいことを見つけていきたいという気持ちも実は生まれてきました。団体がいやになったわけではなく、将来のこと、自分の性格や特性を踏まえて考えた結果です。
もちろん1人きりで何もかも行うわけではなく、その場の環境に合わせてそこにいる人たちと上手く付き合いながら活動していきたい、という感じです。
将来については、スタツア中1番考えていたことです。
なぜかは正直分かりませんが、今回のスタツアで「自分が将来やっていきたいことが果たして海外支援なのか」ということを考えました。大学3年生が近づいたからでしょうか。
支援先のことを考えなければならないのに、自分のことを深く考えてしまいました。
正直自分が将来やっていきたいこととMichiiiiの活動が合致しているわけではありません、多少は繋がっているのですが...。 支援先のための活動はしたいし、子どもたちにも会いたい。だけど、それはMichiiiiを卒業したらできません。自分は残り半年ちょいしかできないのです。
大学3年生になり、実は将来の具体的な夢、目標を考え始めました。だから余計に悩んでいます。その気持ちが頭の半分以上、もはやほぼ占めているままMichiiiiの活動を続けるのもいかがなものか、ということを最近一生考えています。Michiiiiは大切だけど、自分の将来のためにももう少し時間を使うべきではないのかと。そこのバランスがとても難しい...
団体のために、支援先のために、友達のために、家族のために、とか自分以外の人のために力を入れすぎると、どんどん自分を追い込んでしまう気がします。そうなることが分かっているので、最近は自分のことを知ること、自分が本当にやりたい活動を見つけることに多くの時間を割いています。
自己中心的かと思われるかもしれないけど、自分を壊してまで自分以外の人に働きかけたいと思ったことは1度もないし、今後も一生ないでしょう。
なぜかというと、自分を捨てた人に優しくされたり、励まされたり、支援を受けたりしても何も嬉しくないだろうなと思ったからです。むしろ逆に心配されるんじゃないかなと。
他の人に優しく働きかけることができる人は、どこか自分のこともとても大切にしているんじゃないかな、と最近思います。
自分に素直な人になれるように、時には適度に追い込んで刺激的な体験ができるように。そこのバランスを上手くとりながら、将来に向けて頑張っていきたいなと思っています。
いつもと違う環境で過ごしてみると将来のことをやたら考えるようになることに気づきました。1回目渡航時は自分自身も海外が初めてで、将来のことを考える心の余裕も全くありませんでした。とにかく楽しみました。楽しむことが1番やるべきことだったと今でも思います。
2回目渡航時は現地の様子がまるで変わっていたことに驚き、Michiiiiがするべき支援とは何なのかを考えました。
そして自分が将来やっていきたいことをひたすら考え、今に至ります。
個人的には前とは違う経験をすることができたので、全く同じことを思うようなスタツアにならなくてよかったなと思いました。
またグラフィスの子どもたちに会いたいです
(この記事書くのに1週間以上かかりました。こんな考えてるやつなかなかいないと思います。自分で言うのもあれですがばかまじめでした)
1週間はばかまじめですね笑
とてもトシらしくて好きです笑笑
書きすぎました...(笑)