資格試験の勉強として経営学を学んでいるという人も多いだろう。公認会計士、中小企業診断士、国家公務員試験など、「経営学」を選択科目にしている国家資格は沢山ある。また、経営学の検定試験も、いくつかの団体によって実施されているほどだ。
そこでここでは、資格試験等の「勉強する対象としての経営学」が経営学界における「学問する対象としての経営学」にどうつながっているのかについて書くことにする。それによって、まずは勉強の一環として経営学に興味を持ってもらいつつ、学問としての経営学の面白さに気づいてもらえる最初の一歩になれば幸いである。
一例として、2021年6月18日(記事公開日の2日前)に公認会計士試験短答式試験の合格発表がおこなわれた。そして、今年は6月の合格発表のわずか2か月後に論文式試験の本番が実施される。そのため、経営学の試験委員対策に取り組み始めているという人もいるかもしれない。
このとき、公認会計士試験「経営学」はわりかし経営学の最新の学界事情に左右されているのではないか、という話をしたい(ただし、受験生が学界事情まで把握するのは時間的に無理だろう。だから、もし対策するとしても話題の本を読んでみるくらいでやめておく方がいいかもしれない)。
たとえば、資格試験の「経営学」は最近の組織学会高宮賞受賞作品に影響を受けている可能性がある。それもそのはずで、経営学の試験委員のうち経営管理分野の担当者は全員が特定非営利活動法人組織学会(日本最大の経営学の学会)の会員であるためだ。
たとえば、去年の公認会計士試験内容と組織学会高宮賞受賞作品(2019年、2020年の2年連続)『イノベーションを生む“改善”』(有斐閣)を見比べてみよう。『イノベーションを生む“改善”』は「はじめに」でこんなことを述べている(以下は著者最終稿を引用)。
これに対して,近年その必要性が叫ばれる「イノベーション」とは,新しい製品,生産工程,市場,材料,組織の実現をともなう諸要素の新結合のことを指し,技術革新・技術変化とも呼称される。経営学分野では,それぞれに製品イノベーション,工程イノベーション等々といった名称を用いることも多く[1],さらにそれらが持つ経済社会へのインパクトに基づいて「インクリメンタル(小規模)」「メジャー(大規模)」「ラディカル(断続的・破壊的)」「アーキテクチュアル(産業構造革新的)」「レボリューショナル(革命的)」といった修飾語を用いることもある。また,このうちインクリメンタルでないものをイノベーションと捉える意見もある[2]。
[1] ここで,工程イノベーション,製品イノベーション,あるいは組織イノベーションなどは,変化するものが何であるかという対象に関しての分類である(Birkinshaw et al., 2008; Utterback, 1994など)。これに対して,Abernathy & Utterback (1978) などのいうインクリメンタル,メジャー,ラディカルなどは工程や製品イノベーションのインパクトに関しての分類である。
[2] インクリメンタル・イノベーションとは,経済的・社会的インパクトが個別では比較的小規模であるイノベーションをいい,産業を刷新するラディカル・イノベーションにしばしば対置される。論者によって,生産性向上の幅の大小,既存の市場・技術との繋がりの有無,製品構造への影響など,様々な基準でインクリメンタル⇔ラディカルが区分される。また,インクリメンタルとメジャーとが対比される場合もある。
次に、令和二年公認会計士試験論文式試験の第一問である。
ほぼドンピシャで出題されていることが分かるだろう(ちなみに不正解の選択肢のひとつ「連鎖」イノベーションという概念は、経営学界で一般的なものではなく、『イノベーションを生む“改善”』『日本“式”経営の逆襲』が初めて提唱しているものである)。これだけだと偶然だと思われるかもしれない。それでは第一問の残りの問題を見てみよう。
このうち問2は自動車産業の部品開発慣行について尋ねるものであり、『イノベーションを生む“改善”』もまた自動車産業に関する研究書であった。問3は生産管理についての問題であり、本書も生産管理に関する研究書であることから言わずもがなである。問4はリードユーザーと答えさせる問題、問5は技術的ゲートキーパーについて説明させる問題、問6はNIH症候群について説明させる問題なのだが、これらの提唱者Hippel(リードユーザー)、Allen(ゲートキーパーとNIH症候群)はどちらも(というか1~5問に関わる文献全部)本書において引用されている。一例を挙げると2章3節の下記のような記述である。
そのため,イノベーションの実現にあたって組織内外の多様なアイデアや資源を活用する必要性から,組織内外への調整形態・組織設計に着目されることがある。たとえば,ネットワークを多数もつコミュニケーション・スターが,イノベーション活動において情報や技術を社内にもたらすゲートキーパーの役割を演じているとする研究もある(Allen et al., 1979)。
これに続く第二問は次のようになっている。
この問題は非常に簡単なものばかりだったが、一番の難問は「連結ピン」「集権」「分権」についてのものであった。そして、実はこの3つの組織構造がイノベーションへどう影響するかを考察したのが『イノベーションを生む“改善”』だったのだ。
ここでの考察は、あくまで一つの事例から、ある意味妄想的におこなったものである。しかし、試験委員の特性や知識ベース(彼らの知識のストックと彼らへの知識のイン・フロー)を考えれば、最新の経営学に触れておく利点はあるだろう(ただし、受験生がここまでおこなうのは難しいので、予備校の先生か大学のゼミの先生に質問するほうが現実的かもしれない)。なんといっても試験委員は、日々経営学の知識を仕入れ、経営学の新たな知識を生みだそうと格闘している経営学者なのである。だからこそ、最新の学界事情が試験に反映される可能性は十分にある。特に、日本最大の経営学の学術団体である組織学会の動向は注目である。
さらに、こうして試験勉強として始めた経営学が「学問としての経営学」への興味へと繋がれば、読者にとっても経営学がさらに面白く感じると思う。人に勝つための勉強は学問ではない、学問は人と協力して前人未踏の知を得るところに意味がある。そして、視野を広げてみると、勉強の先にも学問の地平は広がっているのである。