悲しみの経営学:第37回組織学会高宮賞受賞挨拶(『組織学会通信』校正前版)

 6月5日に第37回組織学会高宮賞著書部門の授賞式がおこなわれ、筆者の『イノベーションを生む“改善”』(有斐閣)が受賞作品に選ばれた。翌日6月6日の受賞記念講演では「イノベーション“そのもの”のマネジメント理論を求めて:『日本“式”経営の逆襲』への橋渡し」と題した発表をおこなった。

 この発表に先立つ挨拶の校正後バージョンは『組織学会通信』に掲載される予定だが、『組織学会通信』は一般には出回らない。そこで、筆者がおこなった挨拶の書き起こしをPandoにて公開することにした。

 このたびは組織学会高宮賞著書部門という大変な栄誉にあずかりまして感謝申し上げます。

 一見遠回りになりそうですが、最近、哲学研究者と話した際に「ああ、この人って人生で何か一つの問題をずっと考え続けてきたんだなって人には深みがあるよね」というお言葉を頂戴しました、というところからご挨拶を始めさせていただきます。

 それは、単なる一般論だったのかもしれません。あるいは、私が、最近シェアリングエコノミーの研究に手を出していたり、学術書とビジネス書の中間的な経営書『日本式経営の逆襲』(日本経済新聞出版)を書いたり、児童小説を出版しようとしていることへの忠告だったのかもしれません。いずれにしても、その一言をきっかけに「自分はいったいどんな問題を考え続けてきたのだろうか」と、ここ一か月ほど自問自答しておりました。

 そうしているうちに、そういえば自分は幼稚園ぐらいからなぜか「さだまさし/グレープ」が好きだったなと思い出しまして、どうも自分は「どうして個々人で会えば善人しかいない世の中で、善人が集まっているはずの組織がこんなに悲しみにあふれているのだろう」ということを考え続けてきたようだと気が付きました。いつもニコニコ(ヘラヘラ?)お調子者の私ですが、その実ずっと虚しさや悲しさから逃れられずにおります。

 たとえば、私の地元の佐賀県有田町で、認知症を患って老人ホームにいらっしゃった方がおられましたが、その方が毎日施設を脱走して、ただ何もせず散歩して帰ってくるということがありました。不思議に思って後をつけると、実はその方は、15歳から65歳まで働いた陶磁器製造会社への通勤路を歩いて帰っていることが分かりました。一生涯家庭も持たず、その会社の寮に住み、働き続けた方でした。親兄弟の名前も忘れてしまっても、その会社の名前と通勤路だけは覚えている様子に、何とも言えない悲しみを感じました。

 また、同じ陶磁器製造会社の子会社が、焼き物製のベンチやテーブルを作って大成功したのですが、大成功をしたとたんに親会社の役員人事および一族の家督争いが起きて、解散するということがありました。そこに集まった有為な人材は全国ちりぢりになり、中には今でもインターネット掲示板に張り付いてこの件について誹謗中傷を続けているという廃人のような生活をしている人もいるようです。優秀な人材が集まって、良い仕事・楽しい仕事ができて、利益も出るというのに、どうして争いになるのだろうと疑問に思いました。

 このように、善人が集まっても、有能な人が集まっても、なぜか人が集まると悲しみが生まれる。裏返しに言えば創造性を発揮できない、イノベーションが生まれない。そんな状況がありうるのはなぜか、ということを私は考え続けてきたのだと思います。そのようにとらえてみますと、今回の受賞図書『イノベーションを生む“改善”』も、日本の十八番カイゼンが組織の設計いかんによって大きく育つことも小さく留まることもある、色んな意味での創造性を発揮できうるということを示したかったのではないかと思うようになりました。

 そんなわけで、いつも漠然とした悲しみに包まれている私ですが、このような賞もいただき、しばし悲しさもお休みのようでありますので、これからも前向きにこの悲しさと付き合っていき、研究に邁進したいと思います。

 この度はありがとうございました。


松下 耕三
2021.06.24

改めて受賞おめでとうございます🎉
岩尾先生は強く、優しく、それ故に悲しみも人一倍感じるのだと思います。人がより良く生きられる世界へ向かい、共に歩んで参りましょう!!

岩尾俊兵
2021.06.24

ありがとうございます!
そうですね。とはいえいつも元気で幸せという不思議な状態です笑
引き続きよろしくお願い申し上げます!

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