シオニズムを考える

皆さんこんにちは、石川です。もう挨拶の後につける要素もネタ切れしました、はい。
さて、今回の記事ではシオニズムについて語ろうと思います。多分この記事を開いてくれた人の9割は「シオニズムってなんのこと?」と思っていることでしょう。実は皆さんもよく知っているだろうあの問題のことです。それでは、Let's GO!

ユダヤ人と差別とは

シオニズムについて語る前には前提知識が必要です。それが何かというとヨーロッパにおけるユダヤ人差別です。以前の記事ではBlack Lives Matterについて取り上げましたが、それと同じくらい根深い問題がユダヤ問題なのです。

BlackLivesMatterを考える

石川 将
Let's MUN!

そもそもユダヤ人とはどのような人々なのでしょうか。厳密に言えば様々な解釈があるのですが、大まかに言えばユダヤ教徒のことだと思ってください。紀元前11世紀、イスラエル人がイスラエル王国を建国します。このイスラエル人たちの間で成立した宗教がユダヤ教です。しかしながら、イスラエル王国の力は強くなく、ペルシャ・ローマ・アラブなど多くの国々に侵攻され、イスラエル王国は消滅・属国化し、ユダヤ人たちはヨーロッパ各地に離散してしまいます。現在でもヨーロッパやアメリカを中心に世界中にユダヤ人がいるのはそのためです。この各地に散らばったユダヤ人のことをディアスポラと呼びます。

ヨーロッパに渡ったユダヤ人たちは銀行家や高利貸しとして富を築き始めます。なぜユダヤ人が高利貸しとして成功したかというと、キリスト教の教えでは金銭に関わってはいけないというものがあり、キリスト教徒は高利貸しになれなかったので、必然的にユダヤ人が高利貸しになったわけです。ということは置いておいて、どの地域・どの時代でも高利貸しというものは憎まれるものです。シェイクスピアの『ヴェニスの商人』はまさにキリスト教徒の商人とユダヤ教徒の高利貸しの対立を描いた作品ですね。また、信教の違いからユダヤ人たちは長い間キリスト教徒に差別され続けます。

ドレフュス事件とシオニズムの興り

そんな中、1894年にフランスである事件が勃発します。当時、フランス軍の中にはドイツのスパイが紛れ込んでいると噂されていました。それを受けてフランス軍が調査を行い、スパイ容疑で訴えられたのがドレフュス大尉というユダヤ人将校だったのです。ドレフュス大尉は一貫して無罪を主張したのですが、有罪判決が出され投獄されてしまいます。しかし、その後、会計不正を行っていた兵士がなんとドイツのスパイだったと偶然わかったわけです。となると、ドレフュス大尉は冤罪で投獄されたことになります。この不祥事をフランス軍はもみ消そうとしますが、結局新聞社により事件が公表されてしまいます。これをドレフュス事件といいます。作家のエミール・ゾラが『私は弾劾する』と題してフランス軍を批判する記事を書いたことも知られています。とにかく、ユダヤ人差別が根底にあるこの事件は当時のフランスで大問題となります。

このドレフュス事件を取材していた記者の中にテオドール・ヘルツルというオーストリア人がいました。彼もまたユダヤ教徒であり、この事件を受けてユダヤ人差別を目の当たりにしました。そこで彼は考えました。「ユダヤ人が差別されるのは異教徒と共に暮らしているからだ。我々の生誕地であるイスラエル王国があったパレスチナにユダヤ人だけの国を作れば差別を受けることはないだろう」と。そして、ヘルツルはユダヤ人たちと共にパレスチナにユダヤ人国家を建国するというシオニズム運動を開始したのです。

その後、第一次世界大戦中、ユダヤ人の支持を得るためにイギリスがバルフォア宣言を出します。これは、大戦後のパレスチナにユダヤ人を住まわせるというシオニズム支援の宣言だったのです。そして、イギリスの統治領となったパレスチナにユダヤ人が居住地を作っていきます。しかし、ここで問題がありました。同時期にイギリスはアラブ人に対して、戦争に勝ったらパレスチナを与えるというフサイン・マクマホン協定を結んでいたのです。この協定を無視されたアラブ人は大激怒します。これが後々大事になってくるので覚えておいてください。

ホロコーストとイスラエル建国

その後、ユダヤ人にとっては悪夢とも言える第二次世界大戦が勃発します。アドルフ・ヒトラー率いるドイツは、極端なドイツ人至上主義を掲げ、他国籍・他人種・異教徒を排除しようと画策します。そのメインターゲットとなったのがユダヤ人だったのです。ドイツはゲットーと呼ばれる居住区にユダヤ人を強制収容し始めました。そして、それには飽き足らずついにユダヤ人の虐殺を開始したのです。第二次世界大戦中に亡くなったユダヤ人は900万人〜1100万人と言われており、まさに世界最悪の大虐殺が発生したのです。

第二次世界大戦終了後の1948年、イギリスはついにパレスチナの統治を放棄します。これを受けて1948年5月14日、イスラエルが独立を宣言しました。数十年にわたるシオニズムの理想が叶った瞬間です。しかし、フサイン・マクマホン協定を根拠にパレスチナはアラブ人のものだと主張するアラブ諸国は、翌5月15日にイスラエルに対して宣戦布告、第一次中東戦争が勃発します。国連の仲裁により領土の大きな変化は見られなかったものの、その後もエジプトの電撃戦による第二次中東戦争、逆にイスラエルの電撃戦によりわずか6日で終戦、イスラエルの領土が3.5倍以上にもなった第三次中東戦争、日本のオイルショックの原因にもなった大四次中東戦争と計四回の戦争が発生します。

その後、イスラエルがパレスチナ人の自治を認めたキャンプ・デービッド合意オスロ合意など様々な合意が結ばれましたが、今なおイスラエルとパレスチナの対立は続いており、世界に残る領土問題として知られています。


ということで今回はシオニズムについて解説しました。非常に根深い問題だということがよくわかりましたね。それでは次回もお楽しみに!